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アルバニア Pepublic of Albania

2007-08-04 | 世界地理
農業の難しい自然環境
夏の乾季に植物・農作物が枯れてしまう地中海性気候である。しかも平地は少ない。人口350万を養うだけの農業生産をあげることができず、小麦が最大の輸入品である。山岳地域では羊・山羊の飼育が見られる。一人当たりGDPは2120ドル。ヨーロッパの最貧国である。



独裁の果ては鎖国と無神国家
1912年にオスマントルコから独立した。アルバニアには軍事力も外交能力も乏しく、独立後にイタリア、ギリシャ、ドイツに占領された。
第2次大戦後、1946年に人民共和国宣言をし、ソ連の影響下に入った。
アルバニアの最高指導者ホッジャ労働党第1書記は、熱心なスターリン主義者であった。スターリンの死後、1961年にフルシチョフがスターリン批判を始めると、ホッジャはソ連と国交を断絶した。
中国毛沢東政権から潤沢な資金・食料援助を受け、ホッジャは独裁を続けた。中国の文化大革命では、毛沢東崇拝と宗教否定が大きな流れになった。ホッジャは中国の文化大革命をモデルに、1967年、アルバニア国内の宗教施設2000を閉鎖し、無神国家を宣言した。アルバニア国内においては、宗教の一切が禁じられた。
1978年に中国とアメリカが国交回復したことを理由に、ホッジャは盟友中国とも国交を断絶した。ホッジャはソ連・中国と国交断絶をし、鎖国という異常な国家体制になった。ホッジャは自給自足をアルバニア国民に求めた。
宗教禁止と鎖国を誤りとする政府関係者や宗教指導者は、処刑粛清されて、ホッジャの独裁政治が強化された。1985年にホッジャが死去するまで、アルバニアでは無神国家と鎖国体制が続いた。




国民総参加のネズミ講事件
アルバニアでは1993年から経済の自由化が進んだ。国内10~20社の投資会社が月利5~8%の利子でカネを集め、新興企業に融資していた。
投資会社の中には、ネズミ講の形でカネを集めるものもあった。投資会社が月利50~200%を支払うので、投資家が新たに3人の投資家を集める、という手口であった。3人勧誘のネズミ講は、10世代で6万人が参加、20世代で35億人が参加しなくては成立しない。早晩、破綻は目に見えていた。
しかし、多くの投資会社は、アルバニア人の3割からカネを集めた。海外出稼ぎのアルバニア人も送金した。麻薬資金のロンダリングを目的にイタリアのマフィアも参加した。
最大の投資会社VEFAは、国営テレビで出資を呼びかけるコマーシャル放送を流した。ベリシア大統領や民主党幹部もVEFAにカネを出した。
アルバニア国民は、ネズミ講を政府保証の国債を買うつもりでカネを出した。ルールにもとづき、先ず、自分でカネを出し、次に新たな出資者3人以上を紹介した。高い利子付きで出資金が戻るはずであった。
しかし1977年、ネズミ講投資会社は支払うカネがなくなり、次々と倒産した。出資した国民には利子どころか、元金さえも戻らなかった。
アルバニアは内乱状態になったが、ベリシア大統領は暴動をおさえきれず、多国籍軍の派遣を要請した。また、財政金融制度再建のために、IMFが乗り出した。
ホッジャ政権の統制経済が終わり、自由経済の知識が乏しい国民がネズミ講に出資した事件であった。結果的に、アルバニアの年間GDPの3割が失われた。

ホッジャ、スターリン、毛沢東が生きていたら、どう思うだろう
並みの国同様、アルバニアでもミスアルバニアコンテストがあった。アルバニアの独裁者ホッジャはどう思うだろう。怒り心頭で全員処刑かも。





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