お墓参りをして 思いました。
千の風にのって という歌では 「私のお墓の前で泣かないでください。 そこに 私は いません。
眠ってなんかいません」 と あります。その通りだと思います。
きっと 亡くなった人の魂は お墓に じっとしているのではないと思います。
それは あまりにも あまりにもですものね。
魂も ずっとお墓なんて 退屈です。
だけど 私は お墓の前で いつも 泣いてしまいます。
不思議と。魂は お墓に眠っては居ないと思います。
事情があって お墓参りに行けない駐在妻の方々は だいじょうぶですよ。
遠い異国からでも 魂に 会えると思います。
イスラムでも お墓参りがあります。
ただし イスラムでは 霊魂は認めていません。
私は お墓は いわゆる電話機というか 受話器というか、 お互いに会いやすい待ち合わせ場所。
プロバイダーの基地のような気がしています。
電話機が お墓ではなくて 思い出の場所の人もいるだろうし 仏壇の方や 教会の方もいるでしょう。
あまり こだわらくてもいいのではないでしょうか。
お墓参りに行けないからと 気に病むのは なんだか 亡くなった人も望んでいないような気がします。
それよりも 思い出してあげて 心の中で かたりかけるほうが 好きです
ところで 私の母は 私が36歳の時に他界しました。
そのころ 私のは まだ こどもは居ませんでした。
3月4日のことでした。
その2年後 38歳のとき 父が 亡くなりました。 月は違いますが 母と同じ4日です。
これは 母からのメッセージだと 勝手に 思い込んでいます。
12月4日に父が亡くなり その2週間後に 長男が生まれました。
父が亡くなったとき 私は 妊娠22週から入院していて 歩くこともできない状態でした。
ちょうど 35周のとき 父が亡くなったことになります。
もちろん 父が突然他界したとき 私は 24時間点滴連続4か月 寝たきり入院中でした。
がん闘病中ではありましたが まだ 余命は1年以上あると医師から言われていたのです。
子どもが生まれても 寝たきりで歩けない私に、 末期がんの父の介護が待っていました。
もうすぐ子どもが生まれると言うときに 私は 父の世話をどうしようか 悩んでいたのです。
私は持病があって あまり丈夫ではありませんし
子どもを生むこと自体 命がけで、 生むことができるかどうかも ぎりぎりでした。
4か月寝たきりなので 足が弱り 歩くことも お風呂も できていませんでした。
生まれた子を どうやって育てようか それさえ わからないのでした。
母は もう 他界していましたし 頼れる身内はいませんし、夫の両親は 遠い田舎にいて
大阪に来ることは不可能だと言われていました。
長男が授かったのは 奇跡で、 これが最後の妊娠で、 健康な子が生まれるか 私が出産できるか
すべて わからないほどのことでした。
母の癌の闘病を看病するのは 大変なことでした。
その経験から 赤ちゃんと父の看病が 両立するのかどうか 不安でした。
あれは 絶望的な気持ちでしたよ。
私の妊娠は 母の看病をして それをきっかけに 持病の手術をうけて こどもをあきらめていたら
母が 亡くなり そして その2年後に 奇跡的に長男を授かったのですが
妊娠がわかった直後 父の癌がわかり 看病が始まりました。
会社勤めもしていたし 仕事は 急には辞められないし
父の看病もあるし 妊娠して 体は辛いし・・・
本当に あのときは 絶望的に落ち込んでいました。
せめて 私の自宅に近い病院に父を入院させたかったけれど
父の実の姉が医師で、彼女の懇意にしている病院に入院させていたので私の家から
1時間半もかかる病院でした
4か月の入院の間に 26週で 破水してしまい もう 赤ちゃんは だめかと思ったのですが
なんとか これまた 希有な事例だそうですが うまく 乗り切り 37週まで がんばりました
最後は 呼吸も浅くなり 痩せるほど苦しかったのでした。
生まれた長男は 健康な子でした。
その長男誕生の2週間前 父が 母と同じ4日に 突然 亡くなったのでした。
母が 迎えに来たのだと思います。
まあ そんなことを言っても 奇跡は また 起きて 次男が生まれるのですから 人生 わかりません。
医師が 一番 驚いていました。
奇跡だ でも これ以上産んだら 死ぬよ
次男出産も たいへんでしたが 2度目だし・・・・
ただ 入院中の長男の預け先が見つからず 市役所からは 児童養護施設に入れろと言われ
それはいやなので ベビーシッターを 〇百万円かけて やとい 長男は 笑顔を忘れた2歳になってしまい 次男が生まれました。
このころも 誰も身内がいなかったので 心身の限界でした。
あれは 根性だけが たよりでした。
私は 両親が亡くなってから こどもを授かったのです。
このすご~~~い 高齢出産。
自然に子を授かるまでが 紆余曲折 長い道のりでした。
子どもを授かるためには たくさんの修行が必要だったのですね
次男は 父にそっくりで 言うことも 食べ物の趣味も 同じです。
長男は 私よりも 人間がおとなで 幼稚園のころから 「できたせいかく」でした。
長男ができた性格というよりは 私の性格が悪い。
母の差し金でしょう。
ちなみに 長男の顔は 夫の父にそっくりです。
こうして 命が つながっていきます。
ところで 昨日 金正日さんが 亡くなりました。
どうなるのでしょう。
信じがたいことですが 息子さんが 世襲するようです。
命のつながり。これは いかがなものでしょう。平和であることを 祈っています。
私は 両親との縁が きれたとき 我が子に出会いました。
私は 人間は あるきっかけで 精神的に生まれ変わっていくような気がしています。
からだは 同じでも 親が亡くなり 子が生まれ そのほかのたくさんの経験を経て
その中で 扉をあけて 新しい道に
出るような気がします 私は こどもを授かることなどできないような状態でしたが
奇跡といわれなかがらも 2人の子を授かりました。
今でも 授かった2人は 私のこどもではなくて 多くの人の命のつながりのひとつだと感じています。
たまたま 私の体を使って 生まれてきたけれど
それは なにか縁があって 意味があっただけで たとえば 私の修行とか
私の子どもであって 私の子どもではないと思うのです
たくさんの人の 命のつながりが ここに 現れて。
私だけの子どもではないと思うのです
そう思えば 隣の子も 学校のクラスメイトも みな つながっている命。
そんなことを お墓で想いました。
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