熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

それは 夏休みも半ばを過ぎた頃だった  ~突然の帰国の話 ②~

2011年09月20日 10時14分47秒 | 本帰国への道 (クアラルンプールにて)

我が家の場合  昨年の秋ごろ(日本の秋ころですね)  <駐在1年延長>の打診がありました。

駐在が4年になるだろうという話でした。

それまで 我が家は 任期3年の辞令で赴任してきたので 2011年秋本帰国を想定して暮らしていました。

そうなると たとえば 日本から持ち込んだ常備薬やこどもの学用品などが不足しますし
帰任時の子どもの学年も 予定より上がることになります。
また 日本の家の公的私的な事務処理も 伸ばしておく必要があります。

そこで いつもは夏休みに一時帰国するのですが 春休みに一時帰国しました。

日本の家のしておくべき事務処理やさまざまな手続きを 前もって処理しないと困るからです。

マレーシアでは手に入りにくい学用品や衣料品、 子どもや私の特定の薬の確保など
春休みの一時国で 済ませました。

我が家の場合 両親はすでに天国で 日本から荷物を送ってもらうことはできません。

また 駐在が年単位で伸びるということだったので こどもたちの教育のことも考えました。

長男は 中学生のなりますし 二男も小学校の高学年になります。
日本の中学や小学校を見せておきたいと思い 学校訪問をしました。
短期の一時帰国でしたので たった1日でしたが 日本の学校の先生に 学校を見せてもらいました。
春休みでしたが クラブ活動や教室、給食室をみせてもらいました。
休みではない日に行く方が良かったのですが スケジュールが合いませんでした。

また 日本の学校の先生から

「海外で生活するのは 得難い経験なので ぜひ 現地での交流やスポーツ交流をしてください
 マレーシアで これをがんばったというものを 見つけてください」

とアドバイスされて 息子たちは とてもうれしかったようです。

それまで 意識しなかったマレーシアでの学校生活を 見直す機会になったと思います。
こどもは 現状を客観的になかなか 把握できません。
体験することで あらためて 意識が変わります。

春休みの一時帰国で こどもたちは 久しぶりに近所の友達に会ったのですが
3年の月日は それなりに変化をもたらしていました。
次男の友達は 次男のことを ほとんど忘れていましたし
長男の友達は受験組と「コンビニたむろ組」が 出現していました。
マレーシアの学校と日本の学校の違いを痛感した休暇になりました。

そして このころに また 会社から <駐在の延長>を打診されました。
このとき 家族全員 駐在4年突入を信じていました。

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このことは、後日事実が判明しました。

これは 駐在延長の打診ではなく、社員全員に定期的に聞く

ただの会話でした。

社員たちは だれひとり 延長の打診とは受け取っていませんでした。

彼だけが 勝手に延長の打診だと誤解していたのです。

しかも、延長と思い込み、会社に確認しませんでした。

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こどもたちの日本の学校への転校時期を考えて 駐在延長になったとしても 2011年3月 年度末をもって
母子は 先に 日本に帰ることに決めて その準備を始めました。

そして マレーシアに どっかりと大きな腰を落ち着けて 秋からは インター校のワークショップに参加しようかとか
スポーツを始めようかと動き始めた 夏休み

その夏休みが後半にはいろうかというある日

突然の本帰国 打診が 降ってきたのでした。

晴天のへきれき でしたが  「あれは 打診であって 辞令ではない 」といわれれば・・・・・・・

この夏休み後半 8月の 本帰国打診は 正式な書面などではなく まだ 不確定な状態でした。

この不確定な状態では こどもに話すこともできないし、第一 予定していたさまざま もろもろのことが
すべて 覆ることになります。

そして このときは まだ 対外的にも 不確定なので 移動のことは話せない状況でした。

この 不確定な状況は えんえんと続き 最近まで 至りました。

私と連れ合いは おとなで(あったりまえ)  この突然の帰任は まあ いいのです。
いいというか 仕事できているのですから それは それですし
私は とくに マレーシアで責任があるのではないですから
帰国は 障害ではありません。

しかし こどもたちは 違いました。
学期途中の転校は 人生を左右する条件が変わってしまうのです。

しかも この話が 1か月早かったら 2学期開始時の転校が可能で 当初の目標をかなえることができたのです。

でも 夏休みも後半に入ってしまっては もう どうにもなりません。

そこで 私が思ったのは 2学期学期末まで マレーシアに住んでいたいということでした。

さて それは どうなっていくのでしょうか。

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このように 会話を正確に聞き取ることができないという特性。

この特性は、この前にもたくさんあったし、この後の生活でも多発していきます。
人との会話の理解ができない ということは

家族間の会話でも日常茶飯事です。

若いころは まだ 柔軟性があり、修正できましたが、この後

歳をへるにつれて、この特性は固定し、

「自分は正しい、ほかの人が、おかしい。」

というようになりました

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その日まで (寧夢)
2011-09-23 02:49:53
貴重な記録、ですね。
個人的にも、あなたのファンにとっても。
同じ年頃の娘を持つ者として、
色んな意味で、応援しています。
(といっても何も出来ないですが・・・)

関西に帰ってこられて、お会いできる日を
楽しみにしています。
寧夢さま (まーしゃ)
2011-09-23 10:39:43
おはようございます

ありがとうございます。

今日UPの日記に書きましたように
息子たちは 今も 本帰国したくないとは
絶対に 言いません。

子どもの力では どうにもならないことだと
思っているのかもしれません


ただ 2学期は行事が多く
学習発表会終了後 すぐ 帰国するので
本心は 辛いと思います

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