その間に開発工事は進み、野村不動産が開発中のプラウドシーズン千里円山町は、3月から入居が始まるとのことです。
大林新星和不動産の工事はまだしばらくかかるようですが、緑豊かな高台がばっさりと伐採され、見る影もなくなっていっています。
人間が豊かに暮らす、ということは素晴らしいことです。
しかし、何かと引換に豊かになるとしたら、その引換に手放したものについて、深く思いを致すことは大事なことではないでしょうか。
この手放した物は、もう本当に人々の暮らしに必要ない物なのか。
あとで間違いだと気づいた時、再び取り戻せるものなのか。
もしかしたら、永遠に失われるものなのか。
1980年以来、世界では持続可能な開発、という言葉が盛んに唱えられるようになりました。
失われ再び戻らないならば、持続は不可能です。
また、日本の人口は減少の一途をたどっており、2030年には大阪府を含めすべての都道府県で人口が減少し、2045年までに2000万人以上の減少が予想されています。
しかもその人口の半数近い4割が65歳以上の高齢者となる見込みです。
そのような中で、すでに大半の緑地が失われた吹田市にさらに緑地を削って住宅を建てていくことにどのような意味があるのでしょうか。
高台は、眺望は素晴らしいけれど、高齢化した時の移動手段は確保できるのでしょうか。
書類がそろっていれば行政の開発許可が出て、自然破壊が公然と認められる現在の体制についても、一考の余地があると思います。
『吹田市の緑の移り変わり』 製作:西山田ヒメボタルの会 2004年

