送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

宇土分岐線の現在と過去

2011-12-14 10:59:46 | 気になる鉄塔
【前回のあらすじ】
昨年秋に撤去されてしまった宇土分岐線の鉄塔。しかし18号以降は「宇土JR九州熊本総合車両所線」として現在も生きていた!

   

南側から見た熊本総合車両所。右奥にちょっとだけ見える陸橋の向こうに整備施設が5棟連なっている。それで変電所はどこー?

               

前回記事の画像では判りにくかったので9号の腕金をもう一度。送電線を吊る「腕」ではなくブッシングなどを載せるための「棚」。
足場も取り付けてあるから部材が多くて重量感がある。架空地線用腕金の形が謎だ。1本しかないのになぜこの形に・・・

                        

新幹線の高架を越えた空地に建つ8号。北と西が水路、南が工場、東が民家という鉄壁の構え。工場と民家の間にある入口には
ロープが張られている。「絶対に入れてやらん!」という決意が感じられる( ̄▽ ̄;)
これも作りが新しい。高架の建設に合わせて建て替えられたんだろうか。9号と同じ時かなぁ。あ~、近寄れないのが悔しいw

  

8号は諦めて次へ行く。7号はひねりの入った2段重ねの台座つき。本体も66kV鉄塔としては高い方なのでとても偉そうに見える。
番号札がB脚ではなくD脚に付いていた。送電方向が逆転したのに標示の位置がそのままなんだ。そういうのは時々ある。
番号札に記された年月が建設時だったり路線開通時だったりするのは過去記事のとおり。路線の開通が1990年じゃないことは
判ってるからこれは建設年月と考えていい。8号の建て替えはこっちと同時期の可能性もあるか。

        

続く鉄塔は住宅地の中だ。昔のものでもない。通行人(子供と高齢者と犬)の多いくねくねした路地へ車で入りたくなかったんで
それはパスして古そうな鉄塔を見かけた記憶のあるJA前へ行ってみることにした。時間に余裕があったら徒歩で戻ってもいいし。

                 

で、その古い鉄塔がこれなんですが。(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-、ますますエラそうだぁ~
今度は建物正面、駐車場の真ん中に堂々と芝生の台座付き。どこにも「立入禁止」とは出てなかったので人目の少ないのを幸い
しっかり上がり込んで結界撮影もしてきました。オバチャンって恐いねぇww

      

1941年!宇土分岐線の消えた鉄塔の建設年月もこれだったんだろうか?年号でいうと昭和16年。ブライヒ結構誕生の年かぁ。
その頃ここはどんな場所だったのかな。たぶん元は台座なんて無かった。これは周囲が整地された時に取り残された島だ。
鉄塔の内側の低い位置に×を描く鋼材がよく見える。この×は大淀幹線の古鉄塔のほとんどに入っている。だからブライヒより
前の鉄塔には付き物だと思ってたんだけど解体されてしまった鉄塔には入ってなかったような気がするな。数本入った垂直材も
戦前の鉄塔の特徴だ。この3号では昇塔防止器の上下に斜めの部材もあってブライヒっぽくも見える。この斜材は後で付け加え
られたんじゃないかと考えてるんだけど、どうやって確かめたもんか・・・九電に訊いてみるしかないか・・・

       

3号には注意看板がにぎやかに取り付けられている。農協ビルの駐車場なんていう人の出はいりの多い場所だからねぇ。
「あぶない のぼるのはやめよう!!」の札のマスコットキャラが古い3号では現在の「みらいくん」なのに1990年製の7号では
昔の「九電坊や」(右の画像)だったのが自分としてはとても感慨深い。先代の鉄塔に付いてたものなんだろうなー。

   

田植えされたばかりの田んぼに立っていた2号もプラット結構とブライヒ結構の折衷みたいな構造だった。行った時期がマズくて
結界に入れなかったのが残念。鉄塔巡りを始めて2年。フィールドワークは10月~5月に行うべきだっていうのがよく解った。夏場は
鉄塔に近寄れないとか陽射しが強すぎるとか虫が多いとか、あれこれ厄介だ・・・
ヘリ巡視用の番号札が「25」だった。宇土分岐線時代の番号だ。こういうのは放置してていいんですか?紛らわしくない?そういや
5号は飛ばしてきちゃったからヘリ番がちゃんと付いてたかどうか見てない~。

        

畦から撮ったので番号札が遠い。思いっきり逆光だし。文字が読めなくてごめんなさい。これも「1941.4」でした。m(__)m

    

いよいよ1号。変電所のフェンス際じゃない。なぜか間に民家がある。宇土変電所って周囲ぐるっとこうなんだよな・・・
またもプラットとブライヒごたまぜの構造。今度の画像だとよく解るでしょ?白っぽいから重たくは感じないけど妙に部材が多い。
鉄構を挟んで反対側にも66kV鉄塔が建っている。この配置・・・線路の途中に後から変電所ができたんじゃないの?実はあっちの
線路にも1941年製の鉄塔がある。白状するとそれを先に見てたから宇土分岐線に引っかかってたっていうのが本当のところだ。
最初がどういう線路だったかは大淀幹線について調べていた時に判った。1941年どころじゃない。これも大正期の線路だった。
ただ当時の鉄塔は残ってないようだ。建て替え後の鉄塔が1941年製なら「それでもいいか」としか言えないけど、見たかったなー。
元々は三里木駅付近にあった境の松開閉所から弓削開閉所を経て松橋変電所に至る2代目「松橋送電幹線」。1925年8月完成。
初代松橋送電線はルートが違うので別物と考えたい。初代が木柱で1回線だったのに対し2代目は鉄塔の2回線と進化した。
宇土分岐線になるまでには何度もの改変を経ているはずだ。途中いくつかあった開閉所はなくなったり変電所になったりしている。
出発点が弓削に変わっている。分割もされている。送電方向が反転したところもある。宇土変電所はやっぱり後から造られている。
そして昭和後半のどこかでこの線を横切る新線路ができ、その交差点から宇土までが「宇土分岐線」になった。そして今はそれも
半分がなくなってしまい、残った半分が「宇土JR九州熊本総合車両所線」だ。最初の線路の他の部分もそれぞれ形を変えながら
ほとんどがまだ生きている。
まだ解決してない疑問点は「宇土変電所の竣工がいつだったのか」。もしかしたらその答えが「1941年」なのかもしれない。

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