先日、新淀川の謎の構造物(川岸近くの杭)の謎が問題解決となりましたが、そのお陰でもう一つの謎の構造物の疑問が解けました。
もう一つの謎というのは、この写真。
片側が淀川の途中で切れている橋。
水道橋であり、柴島の浄水場から地下を通って、川の中で立ち上がっているものであることは既に判明していたが、なぜ
わざわざ水面から立ち上げているのかがずっと疑問のままであった。
が、先の謎の構造物その1が大雨による増水時の洗堀防止対策に設置した水制工であることが判明したことから、どうやらこの橋ができたころにはもっと川幅が狭く、河川敷から立ち上がっていたのであろうと推定できました。
古い写真は無いかと探していたら、カシミール3Dに組み込まれた国土地理院の地図で1961年の航空写真がありました。やはり想像通り、当時は今より川幅が狭いのがわかった。残念ながら、水制工を施工するきっかけとなった台風は昭和24年(1949年)であったので、川岸が既に大きく侵食されたあとの写真であり、完全に陸上にかかっている状態ではなかった。
現在の航空写真(国土地理院より)。写真中央付近の川の途中で途切れた橋がわかりますか?
1961年当時の同地域の航空写真(国土地理院より)
現在と比べると川幅が狭く、川岸近くまで橋がかかってます。
この水道橋(正式名称は本庄水管橋だそうです)は明治末に建設されたそうで、建設当時はもっと狭かったのでしょう。
ネットで探してみたら、情報が見つかりました。このサイトに下の地図とともに詳しい情報が載ってました。
http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20110704(旧道倶楽部録)
やはり、建設当時は右岸側(北側)もちゃんと陸上に架かってますねえ。