人骨

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プラレール

2008年04月27日 | ただの雑談
こんどは「プラレール」がアツい!


休日に私と妻のどちらも都合が付かずチビの面倒を見れない時、互いの実家に預かってもらうことがある。両家ともチビが暇をしないため色々としてくれており、いつも感謝している。

そんな中、私の方の実家では、チビに遊ばせるため、私や私の弟が幼少の時に遊んでいたプラレールを屋根裏収納から引っ張り出してくれた。半年ほど前のことである。
その際多くの線路が発掘された一方で、車両や橋桁や踏切等、線路以外の部品が出てこなかった。おそらく別の場所へしまわれているのだろう。しかし見つけることは出来なかった。
そのため私の父親は、最低限のレイアウトをなすために必要なレールを買い足すとともに、「ライトつき新幹線700けい」を併せて購入し、チビに与えてくれた。
ただしチビに持ち帰らせず、実家でチビを預かるときの専用おもちゃとして保管することとした。よってチビにとっては「実家へ行くとプラレールで遊べる」という記憶が形成されることになった。

それが嬉しかったのだろうか。休日に「今日は何したい?」と問うと、自ら

「オ爺チャンチデ、電車デ、遊ビ行クノ」

とか言うようになっていた。

ところが先月のこと。わが家のご近所さん(小学生の子供がいる)が、使わなくなった大量のプラレールをくれた。
これまた実家の発掘と同じで、そのほとんどがレールであった。車両がなくては遊べまいということで、チビに大好きなSLを買って与えてやった。これが「ライトつきD51セット」とかいう3両セット。プラレールの3両セットの値段はいずれも1000円チョイなのが嬉しい。
かくしてチビは自宅でもプラレールを得て、鉄ちゃん趣味に磨きをかける運びになった。
およその遊び方は習得しているが、電池を入れたり線路をサーキットに接続することはまだ出来ないし、ポイント分岐による車両の進行方向等も教えてやる必要がある。
ともあれ親子でプラレールを囲むと私までなんだか懐かしくなった。

その後まもなくして赤ん坊が産まれ、またまた実家にはチビを預かってもらうのに随分世話になった。
しかし私の実家は「プラレールで遊べる唯一の場所」という魅力が消滅してしまっている。はたしてチビは行きたがってくれるかどうか。心配の種であった。

ところがチビは相変わらず

「オ爺チャンチデ、電車デ、遊ビ行クノ」

と乗り気であった。何故だろう。
ある日、妻が預けてきたチビを、私が引き取りに実家を訪れたところ。

彼はプラレールではなくNゲージで遊んでいた。
私の顔を見るや興奮気味に

「ア、オ父サン、コデハ京王線ナンダヨ!?」

と説明してくれた。確かに、見たことのない、デフォルメされた京王線のNゲージが、レイアウトの上をチョロチョロと走り回っていた。最近はこんなNゲージがあるのか。

ここで父のことを少し紹介しなければなるまい。父は決して「孫可愛さにいきなり2歳児にNゲージなんていう高価なオモチャを与えてしまった」わけではない。
私の父は昔からオタク趣味が多いが、ご多分に漏れず鉄ちゃんであった。一般に鉄道ファンと言えば「鉄道写真撮影」がほぼ相場らしいが、父は一眼レフで撮った写真を自宅でカラー現像するほどのカメラマニアであったにも拘らず、鉄道写真には興味が行かなかった。その代わりに鉄道はもっぱらホビー派だったのだ。すなわち上述のレイアウトというのは、そもそも40年くらい昔に父が「HOゲージ」として製作したものであるが、定年退職を機に手を入れNゲージにリサイズしたものだ。山とか池とか町とか駅とかトンネルがあって、小さいサイズながら凝っている。

さすがに2歳児には「触っちゃだめ、見るだけね」という条件つきであったが、どうやら父は自分の趣味が分かってもらえる2歳児にずいぶんと入れ込んでいるようだ。
京王線以外にも見たことない新しい車両が走っている。おそらく父が自分で遊ぶために買ったものであろう…。
Nゲージが登場してしまってはプラレールも霞んでしまう。道理でチビが実家へ行きたがったわけだ。

そして父の息子たる私もかつて多分にその薫陶にあずかり、Nゲージで遊んでいた時期がある。私にとっても鉄道は決して未知の領域ではない。
2歳の子供のおかげで、私や、私の父が忘れていた「鉄道熱」が、にわかにくすぶり始めた。

※ ※ ※

私もプラレールで思い出したことがある。
実家の収納より発掘されたプラレールは、実は全部ではなかった。前述の通り車両がいっさい出てきていないからだ。
実は私には思い出のプラレール車両がある。「EF58」という青色の機関車だ。まだ実家のどこかに眠っているに相違ない。

私のプラレール歴はというと、始めは男の子の通過儀礼として(?)、未就学児のころ一旦プレイしていたらしい。男の子なら誰でも多少なりとも乗り物が好きなものだ。ただしこの時期の記憶は残っていない。プラレールの思い出は、後に物心ついた頃になってリバイバルした時のものである。
私が鉄道に興味を持ったのはちょっと遅く、小学生になってからである。興味を持ったきっかけが、実は弟の存在である。私には5歳下の弟がいるのだが、彼が私と同じく「未就学児の通過儀礼」として鉄道に興味を持ち電車オモチャ類で遊んでいた時期、兄である人骨少年が、弟にインスパイアされてしまったのだ。
既に小学生に達していた私は、ほどなく父の影響で「Nゲージ」というアダルトなホビーに手を出したのだ。
一方の弟はというと、さすがにまだ小さいので、以前私が使っていたプラレールを与えられていた。その際新たに車両を買い足したりしていたのだが、ここで人骨少年はまたも弟からインスパイアされた。
「Nゲージも良いけど、プラレールも悪くない!」
所詮子供である。
こうして私はそこそこ分別がついた年齢で再度プラレールで遊んだのだ。10歳くらいだったかな。リバイバルとはそういう意味である。
この時に唯一購入した車両が、単体の青い機関車「EF58」ならびにその後ろへつなぐ数両の貨車であった。Nゲージと同様に、かなり大切に扱っていた記憶がある。
なお記憶によれば、弟は私のEF58と一緒に買ったディーゼル機関車「DD51」を愛用し、兄弟で遊んでいた気がする。

結局私が鉄道趣味を持っていたのは小学生時代の足掛け5年間程度であり、Nゲージも機関車2~3台を保有した程度で辞めてしまった(当時の車両を、現在父が愛蔵している…)。プラレールもしかりである。わずか5年間程度で現在に至るまで当時好きだった鉄道の知識を維持しているのだから、子供の知識欲・記憶力というのはすごいものである。

かくして、チビと一緒に遊べるプラレールで、私ももう一度プレイしてみたくなった。
実家のどこかに埋蔵されている、あの青い機関車「EF58」で。

※ ※ ※

しかし実家の収納は、狭い空間にかなりものが押し込まれており、発掘は困難が予想された。
そう、私の実家はモノを捨てられない家なのだ。収納内部には70年代初頭の両親の新婚時代の遺物(調理具等)をはじめ、夫婦と家族の歴史の全てが収納されているのだ。もう数年経ったらお宝鑑定団かなと思わせるような時代モノが満載だ。この中からプラレールを探し出すのは楽ではない。父も半分見付けるのがやっとで、残りはどうしても見付けられなかったと言う。

私は意を決し、汗だくになりながら発掘に取り掛かった。
20数年前に弟からそうされたように、現在私がチビにインスパイアされていることをひしひしと感じながら…。案外人に影響されやすい一面があったりして。
父もたまに様子を見に来て、「その場所は既に捜索済みである」等のアドバイスをくれた。
収納物の中には1950年代父幼少時に使用された辞書や星座早見盤等もあった。ここはほとんど昭和の遺跡である。埋蔵文化財だ。

収納に篭ること数時間、ある箱を手にとると「チリン」と音がした。
私はその音がプラレールの線路の一種である「踏切」の鈴の音だと即時に理解できた。
間違いない、この箱にプラレールが入っている!
青い機関車もここに眠っているのだろうか?
はやる気持ちを抑え箱の封を解く。
中からはボロボロの車両が数編成現れた。0系新幹線や485系エル特急等だ。私のもの違いないが、リアルで遊んでいた当時の記憶はない。つまり30年前のものである。
やがて弟がプレイしていた「DD51」が現れた。間違いない、ここにはEF58も居る!果たせるかな、その中に混じり、極めて保存状態の良い青い機関車が顔を出した。二十数年ぶりの再会である。歓喜の声をあげたのは言うまでも無い。

すぐさま箱ごと持って階下へ走り、父とチビに報告する。
「プラレールの残り、あったよ!」
「おーよくあったな、どこにあった?」
「ウッワー!コレハズゴイネェ!」

Nゲージに見とれていたチビも、急遽たくさん現れたプラレール車両に飛びついてきた。すぐにチビには釘をさしておく。

「この青い機関車はお父さんのだからね!ほかのはみんな君にやる」
「ウン、分カッタ…」


幸いチビは他の多くの車両に目移りしてしまい、私が早々に取り分けたEF58にはそれほどこだわらないみたいだ。
ほかに保存状態の良いものとしてはEF65(500番台)とブルートレインがあった。これも自分が遊んでいたのかもしれないが、記憶に焼きついているEF58は別格なのだ。

さっそくモーターに電池を繋いでみる。無事に動き出すだろうか。しかし全く反応が無かった。何しろ20数年間放置されているのだ。オートバイもそうであるが、レストアはなかなか一筋縄では行くまい。しかしガソリンエンジン以上に、私はこの小さなモーターの仕組みが理解出来ていない。
すぐに「こんなのはスワップよ、スワップ!」と安直な勇み足を踏みかけたところ、

「どれどれ」

父親が覗き込んだ。

「これはマブチのモーターだな。こんな単純なモーターが経年劣化で動かなくなるとは思わないな」

等々言いながら、サーキットテスターを片手に手早く器用にモーターを分解し始めた。ホビーオタクが本領を発揮しはじめた。
彼はグリスが固着してどうのこうのと言いながら、Nゲージ用のコントローラーを直結して始動を試みた。
プラレールは乾電池1本で動く。乾電池1本はご存知の通り1.5Vの電圧であるが、父はここへ容赦なく過電圧を流し込んでいた。

「それ何ボルトあるんですか?」

「あー?(テスターを当てて)15Vかな。平気平気こんなモーターはカツを入れれば目を覚ます…」

「ぎょ!」

父の言葉通り、ギュルギュルとすごいノイズを立てながらEF58のモーターはあえなく復活した。そのまましばらく過電流を流し、次第に電圧を下げながら反応を見て、ついには1.5Vで動くようになった。ホコリがたまっているようなのでクリーニングし、シャフトやギアにはシリコンスプレーをしておいた。

「残りの車両のモーターも直しておくか」

父はそう言いながら、新幹線やエル特急、その他小田急ロマンスカー等のモーターに次々と過電流を流していた。正しい方法かどうかは知らないが、とにかく復活したものは復活した…。

懐かしのEF58をカバンに詰め込み、チビも気に入った車両を適当にリュックに詰め込み、私はチビと一緒にルンルン気分で車中でデイヴ・メイソンを熱唱しながらここで一旦帰宅した。ヘイッ!ほぅッ!

※ ※ ※

自宅でレールを走らせて見ると、すぐさま次の問題に当たった。

まずチビが持ち帰った車両が全て非動力車であった点である。これは彼の勘違いであったらしい。モーターつきの機関車をいじくる私に向かって泣きながら「オ父サンノガ良イ~!」とダダをこね始めた。これは非常に困る。
すぐさま、先日D51のセットを買ってやったときに貰ってきたトミーの製品一覧カタログを開く。

「よしオマエはどれが欲しい?そうかこのEF66貨物列車セットだな。分かった明日にでも買ってやる。だからこのEF58だけはお父さんのだ。OK?」

「ウン、OK」

続いての問題が、駆動部ゴム部品の経年劣化である。そのおかげでEF58はモーターこそ動くものの線路上に乗せるとまともに走行できなかったのだ。
チビが遊んでいる最新のプラレールと、今回発掘された古い車両のモーターユニットは仕組みが異なっており、現在は問題のゴム部品が出ないのだ。詳しく説明しよう。

まず新旧のモーターユニットに共通する点は次の通り。

●モーター軸は縦置き。回転はベベルギアを介してヨコ回転へ変換される。

●駆動輪にはゴム輪がはめられ、トレッド面の摩擦係数を稼いでいる。


続いて新旧の違いは次の通り。

★電源スイッチの位置。旧モーターは車両前面部、新モーターは車両屋根上部にある。

★駆動ギアの位置。旧モーターはゴムで覆われた駆動ギアがモーターユニットの筐体外部へ2箇所露出している。露出位置はそれぞれ左右後輪のすぐ上部であり、両ギアは同軸である。これらが直接駆動輪と接触することでモーターの回転を車輪に伝えている。一方の新モーターでは駆動ギアはユニット筐体内部にあり非露出。

★クラッチの有無。新モーターには、スイッチと連動してギアがスライドする仕組みのクラッチがあり、スイッチOFF時には駆動輪がフリーとなる。旧モーターは上述の通り最終ギアと後輪が直接触れるため、車両を浮かして最終ギアが車輪と接触しない時以外は原則車体は動かない。
これは、電池駆動をあえて行わず手で動かして遊びたい時に大きな違いとなる。

★ユニット筐体の材質。旧モーターはスチールで、新モーターはプラケース。ただし今回実家で発見した旧モーター車両の中には、仕組みは旧方にも拘らず筐体のみプラケースを採用している個体が存在した。


今回部品が出なくて困ったのは2つ目の★、駆動ギアのゴムだ。上で説明したとおり、新しいモーターには存在しない部品なのだ。
実家にはしっかり未使用のスペア部品が残してあったのだが(すごい)、このスペアゴムも変質して使い物にならなかった。

実はプラレールのEF58は現行でも発売されている。ただしそれは「EF5861号機お召し仕様車」だ。違いは、分かる方には分かるだろう。
私の古いEF58と現行のEF5861では、モーターやスイッチ位置が違うほか、モーターをマウントするシャーシまでもが異なる部品であり(モーターのマウント方法は、旧モーターはツメ留めで新モーターはネジ留め)、車体色の違いのせいもあって、単純なスワッピングは不可能なのだった(上述カタログ等より判明)。
だから、駆動ギアを覆う小さなワッカ状のゴム部品は、何かで代用するしかない。

ひとまず応急処置として、家にあったバイク用の適当なゴムホースを輪切りにし、ギアへ被せるゴムとしたところ、案外これが上手く行った。後日改めてサイズと摩擦係数がオリジナルに近いホースをホームセンター等で購入してくれば決まりであろう。

かくして私のEF58は復活(仮)を遂げたのだ。


EF58の勇姿


写真からも分かるとおり、旧型プラレールのモータースイッチの位置は車体前方スカート部である。この位置のほうが、実車の連結器っぽくてリアルじゃないだろうか?
旧型モーターは筐体全体より軋み音を発生しており非常にノイジー。最新のプラレールと比べると、省エネやCO2の問題はこんな場面ですらう随分進展しているじゃないかと思わせる。
そしてこれこそが旧型プラレールの一番の特長ではないかとも思うのだが、後ろにある貨車を含め全て「Made in Jpan」と銘記されているのだ。最新のプラレールはタイ製と中国製ばかりであった。
かつては誰が見ても何とも思わなかった「Made in Jpan」が、「Made in China」に取って代わられてから既に久しい。こんなオモチャにさえ「Made in Jpan」と書かれている点が、最後尾の車掌車と相まって何だか諸行無常で寂しげだ。

その後私のEF58はは、約束通りチビに与えたEF66と一緒に、青いレールの上を今日も元気に走っています。

現在、チビと一緒に頭を悩ませています。ちょうど明日から池袋で開催される「プラレール博」を見に行くべきかどうか!

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