ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

無縁社会としての「地域」社会-インクルージョンの前提を考える

2010年11月30日 00時05分59秒 | 生活教育
土曜日午前・午後と特別支援教育の公開講座があった。
いろんな人が講演し、シンポジュームなどもあった。

その中で、田中康夫さん(北海道大学)のさりげない発言が気になった。
「特別支援教育が進んでいる中で、息苦しさがましている」「児童養護施設、自立支援施設の子どもの現状に接する中、この国の在り様は…と思うことがある」

障害のある子ども・青年の貧困と排除-生きづらさの今をどう考えるか?
「生命の再生産の場としての地域」つまりは「生活の場」をどう考えるかが問われているとも思う。行方不明の高齢者の問題を通して鋭く照射された「無縁社会としての「地域」社会」は、障害や息苦しさをかかえる人のインクルージョンの前提を再考することを要請しているのではないか…。地域・生活の問題は、国連においてそれぞれの権利条約として検討されているが、それに照らして日本社会の問題を考える必要がある。

岡田知弘(京都大学)
「現代日本の地域再生を考える-新自由主義が新しい福祉国家か」
岡田知弘氏は地域について、本源的に社会的動物としての人間の生活領域であり、地域において、自然経済、政治、文化のあらゆるカテゴリーが一体化して存在し、このような住民の生活領域としての地域があってはじめて国、地球が存在すると、概念規定を明確にしたうえで、多国籍企業主導のグローバル化や自由主義的構造改革政策による地域社会の衰退の現状、そして地域再生とその主体形成の意義について詳細な資料をつけて講演している。

上坪陽「一人ぼっちの高齢者をなくすために」『人権と問題』(2010年12月)
国連高齢者権利条約づくり
 国連は1941年210月1日を国際高齢者の日とし、1991年には高齢者のための国連原則を採択しています。この原則は、独立・参加・ケア・自己実現・尊厳の5章を通して、どのような状態にあっても、状況にあっても、高齢者の人権が守られるべきであると社会に呼びかけています。
1999年には、「すべての年齢の人達のために」という合言葉を掲げて、国際高齢者年が実施されました。「高齢化は長年にわたる人類の努力の成果」とか、「高齢者が直面する問題は社会で解決する問題」とか、「高齢者は過去と未来をつなぐ架け橋」など問題提起が続きました。
 2002年の国連高齢化問題第2回世界会議は、高齢化に対応する社会行動計画が採択され、政治宣言が各団体代表で調印されました。
 2010年5月、日本高齢者NGO会議が、高齢者権利条約策定の要請を事務総長あてに提出しました。これに対して、国連総会に12月、高齢者権利条約案を提出したいとの回答がありました。
 私たちとしては、貧困差別格差がはびこる現状を打開して日本政府を高齢者権利条約づくりに参加させる取り組みを強めたいと考えています

子どもの貧困と教師

2010年11月21日 12時59分20秒 | 生活教育
子どもの貧困について、2~3年前から、議論が高まってきている。
貧困は、以前の貧困とは変わったのか? 考えてみる必要がある。

奈良の教師(もう退職してずいぶんになるが)の本が資料室にあったので手に取った。
浜田博生『新しい小学校の同和教育』(問題研究所、1986年)
1950年代半ばの教師になりたての頃の経験が記されている。

 東井さんの『村を育てる学力』、小西さんの『学級革命』などに学び、学級経営に腐心していたときのことです。
 心を開いてくれないK君のことを校長に相談してみました。
「家へいったか」「はい」「もう一回いってみー」それだけでした。翌朝、
「お父さん、朝鮮人やったやろ。嫁はんの仕事きまっとったか。Kはよく仕事する子や、書かしてみー」
 しかし、Kは書かないのです。三日後の朝、校長室に呼ばれました。Kが校長のむこうで小さくなっています。
「K、言うてみー。自分の口でちゃんと言うてみー」
 Kは泣きじゃくりつつ、
「先生、文集にのせんといてや。校長先生に約束してもろてん。な^、先生」
 私はそっと綴り方をよみました。五枚。朝鮮人を父にもつなやみ、酒乱のなやみ、兄弟げんか、母も差別うけていること、宿題できない、わからない、守もしなければ、内職も-などなどがしっかり書かれています。その後、何度Kの家を訪ねたでしょう。時には父の酒をたしなめ、母の内職を手伝いもしつつ、Kと宿題もしました。Kは、明るく、活発になっていきました。
 卒業式の日、校長はKの手を握りつつ、「あの綴り方はな、Kが一生背負うもんや、文集にはならんだけどな」と私にも聞こえるように励ましていました。

1950年代の後半の校長と新米教師のやりとりの中で、子どもが心を開いていく…その背景の家族や生活。

この本の第二章は、「今の子どもたちと新しい同和教育」で、その一が、「今。親。子どものくらしをたてなおす」というテーマとなっている。

その中に、「「くずれ」-それは危機と言わねばならぬ深刻さで、子どもに広がり、子どもを蝕んでいます」とあり、1980年代の半ばまでの様相を記している。高度成長の終焉でもあったのだろうが、しかし、1950年代の半ばの貧困とは異なってたともいえる。その中での「くずれ」のあらわれ…。

1970年代後半に、僕たちがみた子どもの姿を確認してみたい。

赤旗社会部「子どもと貧困」取材班『「誰かボクに、食べものちょうだい』(新日本出版社)

2010年11月20日 21時56分24秒 | 
本の書名にひかれて赤旗社会部「子どもと貧困」取材班『「誰かボクに、食べものちょうだい』(新日本出版社)を読んだ。
虐待・放置の根っこには、貧困がある。保育園や学校、施設がその防波堤になってはいるが…。「ホームレス中学生」が話題となった時には、まだ、笑いやユーモアがあった。しかし、それを許さない事態の深刻化がある。本書は、その一端を描いている。

はじめに
第1章 一歳半のホームレス-保育現場から見える貧困
第2章 「食べ物、ちょうだい」-学校から見える貧困
第3章 傷を抱え、愛情求め-施設で暮らす子ども達
第4章 のしかかる教育費
第5章 高校生の今
第6章 卒業
第7章 「貧困の連鎖」を断ち切るために
おわりに

これまで、出会った子どものことを思い出した。

学校や施設にとっても、子どもの権利としての生活と学習を考える必要が提起されている。

教師は言う-「このお母さんはふまじめだとみんなに思われているけど、本当にそうなのか。愚痴をいえる夫もいない中で、自分のことを切り詰めて子どもを育てている。飲み歩いたりしていたとしても、だからこそ子ども手放さずに育てられているのかもしれない。私がもっとしっかりしていたらという、彼女にそれ以上『がんばれ』だなんて言えない。教師として自分に何ができるのか突きつけられるような思いをしています。」(p.49)

施設の職員は懸命に子どもたちのケアに勤めています。しかし15人の子どもに2人の職員という国の配置基準では、家庭的に接するのは非常に困難です。施設で、目にしたのは職員がどんなにがんばっても家庭的にならない実態でした。保護されるまでの生活環境も様々な子どもたちが一緒に生活する。そのような5人、6人の子どもの宿題を1人の大人が見守る。一般の家庭とは大きく異なる世界がそこにあります。晩御飯も朝ご飯も調理や調理室で職員が行います。子どもが、「今日は僕がチャーハン作るよ」という光景は、こうした施設が起こりにくいでしょう。

欧米では日本のような集団生活を基本とする児童養護施設は現在ほとんどして、存在しません。
日本では、こうした子どもたちの保護といえば施設の大規模な集団生活が普通ですが、虐待を受けた子ども達に本当に必要なのは心理的な親代わりになる家庭的な存在です。アメリカなどではこうした施設では職員配置は、1対1が当たり前だといいます。虐待の増加に対して児童相談所も養護施設も量的に足りません。しかしそれだけではなく、いま問われているのは保護のあり方そのものなのです。同じ施設内に60人以上の子どもが暮らすという環境は、家庭とあまりにも違う。もっと小規模のグループホームや里親制度充実などが求められています。(p.83)

教育の中身でいえば、貧困を学ぶということが大事だと思いますね。教師を目指す学生たちにワーキングプアーを取り上げ、貧しさからの脱却をめざしてたたかっている若者のことを紹介しています。教師になる人たちが「違う世界のこと」というのではなく、同じ社会に生きるものとしてそうした子どもたちに共感を持てるようになることも大事だと思うのです。
教員養成のカリキュラムに地域の学習センターなどで、貧しくて、学力のつかない子ども達を支援をする実習が盛り込まれるといいですね。教師をめざすす学生にとって、力をつける格好の場となると思います。(p.169)

田島征彦・吉村敬子作「ななしのごんべさん」(童心社)

2010年11月15日 11時32分49秒 | 絵本

田島征彦と吉村敬子の共同の作品は、「あつおのぼうけん」と「ななしのごんべさん」がある。後者は、大阪大空襲のことを描いたものですが、脳性マヒで家にいた「もも子」と近所の双子の子どもの交流を描いたものです。その中に、就学免除の話もでてきます。

役所から、「歩かれへん子ォは、学校へこんでもよろしい」ていう、通知がきてん。
おかあちゃん、もも子は 学校へ行ったら あかんの?
うばぐるまで 外に行けるのに、学校は 行ったらあかんの?
せんそうの役に たてへんからか?

おかあちゃんは、なんにも こたえてくれへん。
もも子かて、いっしょに べんきょうしたいわ。
友だちもつくって、いっしょに あそびたいわ。


遊象さんの「キノコ」談-追悼・三好作次さん

2010年11月13日 18時02分41秒 | 生活教育
 三好さんは、「遊象」というハンドルネームで、ブログで発信するなどインターネット上で活躍してきた。そんな活動を基に、寄宿舎教育のメーリングリストを運営し、寄宿舎教育のホームページをつくって、みんなを励ましてくれた。アナログな寄宿舎の先生方の中で、みんなを巻き込みながら情報の共有や議論の場をそれとなく創り、下支えしてくれた。
 そんな三好さんに励まされて、2006年11月から僕もブログを始めた。第25回の「障害児の生活教育全国研究集会in沖縄」の際に、話題となった「ちゃ~すが」という沖縄の方言の響きと意味が気に入って、ブログには「ちゃ~すが・タマ」(「どうなる・どうする」という意味)と名づけた。三好さんは密かに開設したブログにいち早く「開設おめでとう」のコメントを寄せて、寄宿舎研のホームページからリンクをはってくれた。遊象さんの優しいまなざしは、時に短いコメントとして寄せられてきた。「キノコ」談もその中の一つである。
 1回生の担当となった時、「トイレでシイタケを栽培する学生さん」と題して次のような記事をブログに書いた。
「昨日の新歓コンパは衝撃であった。新歓コンパで、自炊の話になった時のことだ。
 その中で、シイタケをトイレで栽培、収穫し、料理に使っているという男子1回生がいた。
 シイタケの生えてくる元を「元気君」とも名付けて、かわいがっている。ちょっと顔を出したシイタケも、2日もすればりっぱになるという。その元気の元となっているから「元気君」だ。
 トイレで栽培するのは、薄暗いこと、適当な湿度があることがシイタケに必須だからだという。トイレの、水が出る上に、棚をつくって、元気君をおいている。元気君に音楽を聞かせると、シイタケも立派になるという。その音楽はレゲエがよいそうだ。
 おまけに、トイレの写真、大きくなったシイタケの写真、そして料理に使われるところの写真などをとって、ミクシイの自分のホームページで限定公開しているということだ。今後は、そのレシピも公開してほしい。
 この学生さんには、頭や耳からキノコが生えないか今後も注目だ。」

 遊象さんもこの学生のことを気に入ったらしく、次のようなコメントを寄せてくれた。
「こんばんは。いつも楽しく読んでます。
 椎茸は寄宿舎では裏山で栽培してます。何時だったか、そう創立15周年の頃、共同作業所づくりの資金カンパを兼ねて、椎茸の原木と菌をセットで購入し、自家栽培にチャレンジした。…いやせざるを得なかった事を思い出しました。トイレは考えませんでしたが、風呂場でやりました。音楽は私のまずい歌を聴きながら育った椎茸。結構のもんでしたよ。」
 そう、遊象さんは、風呂場でシイタケを栽培していた経験があることを告白してくれたのだった。学生さん達の中で、時々、トイレでキノコを育てるようなかわった学生さんも時にはいるが、そんな学生さんはなかなか見られなくなった。学校現場の中にも、遊び心が少なくなっているが、遊象さんは、その名の通り、遊び心をいっぱい詰めた大きな身体で、やさしくみんなを見つめてくれる人だった。

 2007年頃から春の寄宿舎教育研究会の運営委員会の際には、与謝の海養護学校の資料整理をしたいと三好さんにお願いして、道筋をつけてもらってきた。日程がとれずに、バタバタしているうちに、時は過ぎていった。2009年の夏には、環境が整ったとの連絡をいただいたが、突然の学長選挙などがあり実現できないままとなった。その夏、三好さんは検査入院され、続いて闘病生活となった。与謝の海養護学校の歴史と実践、寄宿舎教育の課題と将来展望など、話を聞きたいことやいっしょに整理したいことはたくさんあった。そんな仕事をいっしょにできなかったことが残念でならない。また、後回しにしてそれができなかった自分のふがいなさを思わざるを得ない。
 三好さんの遊び心と優しいまなざしを想いつつ、三好さんのこれまでの活動への感謝とともに、残してくれた生活教育の課題を心に刻みたい。


玄田有史『希望の作り方』(岩波新書)

2010年11月09日 01時28分47秒 | 
玄田有史『希望の作り方』(岩波新書)を読んだ。この本は、おもしろかった。「希望」を考えることから、自分に向き合うこと、寛容、ウィーク・タイズ、失望と修正とやりがい、物語、必要な無駄、セレンディピティ、どっちつかず・両義性、人生という長い道のりを考えるためのキャリア教育、ユーモアと遊び、まんざらでない自分、などなどが紡ぎ出される。平易な言葉で語られるてはいるが、この語りが成り立つまでには、筆者の学問的な基礎となる労働経済学の研究、様々な調査・インタビュー、語らい・議論が前提となっているのだろうと思う。

「多様性をバラバラにしないために必要なこと…誰もがこれだけはどんなことがあっても守り抜く」という「集団的なアイデンティティ(少し言いかえてます)」(128頁)
「大きな壁にぶつかったときには、大切なことはただ一つ。壁の前でちゃんとウロウロしていること。ちゃんとウロウロしていれば、だいたい大丈夫」(200頁)
などなど、興味深い指摘がたくさんころがっている。

目次は次の通り。

はじめに

第1章 希望とは何か
正直に話す/少しだけ笑う/若者の問題/書けている言葉/正確な情報/人生、悪くなかった/「頑張る」は禁物?/希望はいらない?/希望とはみえないもの/生きる困難の中で/夢とのちがい/水俣の再生/幸福とのちがい/安心とのちがい/四本の柱/希望とは何か/「変わる」と「変える」/共有すること

第2章 希望はなぜ失われたか
データからみる/大切な注意/希望はないのか/近くの希望・遠くの希望/「何か」は何か/なぜ仕事なのか?/行動と仲間/可能性について/高齢社会/リスクに備える/教育をどうするか?/関係性について/人間関係の禁じ手/ウィーク・タイズ/共感社会へ/家族という困難/希望が失われた理由

第3章 希望という物語
第三の論点/子どもの頃/修正の旅へ/ある青年の物語/挫折の持つ意味/私の挫折/経験は伝播する/日本を先取りする街/八幡さんから学んだこと/無駄の効用/希望は出会うもの/脱線の役割/必要な無駄/セレンディピティ/まだない存在/希望というフィクション/なぜ物語なのか/働くことの両義性/アニマル・スピリット/経済のなきあの両義性

第4章 希望を取り戻せ
希望は妖怪のよう?/勉強する意味/「わからない」ということ/大学・学部の選び方/経済学は何を学ぶか/希望の政策/絶望を避ける/最悪でなければ/地域から始める/ローカル・アイデンティティ/地域内外のネットワーク/高齢社会の別側面/会社の再生/努力が報われないとき/キャリア級行く/大丈夫の使い方/大きな壁/絶望の向こう側/創造の源泉/私の希望

おわりに-希望をつくる八つのヒント

吉見俊哉『ポスト戦後社会(シリーズ日本近現代史⑨)』(岩波新書)

2010年11月04日 00時56分11秒 | 
シリーズの最後。ポスト戦後はいつからかが問題となる。この本は読んではどこかに置き忘れ、また買い、それが3回積み重なった。結局、家の中から、3冊のこの本が出てきた。2冊は途中に読みかけのところに印がついており、最後に読んだ本はカバーがなくなっている。しかし、この本にはいろいろ考えさせられるものがあった。

吉見俊哉『ポスト戦後社会(シリーズ日本近現代史⑨)』(岩波新書)
岩波HPの紹介
バブルの発生と崩壊,深まる政治不信,そして高まる社会不安.列島が酔いしれた高度成長の夢のあと,何が待ち受けていたのか.崩れゆく冷戦構造のなかで,この国は次第に周回遅れのランナーとなっていったのではないか…….60年代半ばから現在まで.政治・経済・社会・家族……すべてが変容し崩壊していく過程をたどる.

目次
はじめに
第1章 左翼の終わり
1 あさま山荘事件と1970年代
2 「運動」する大衆の終わり
3 ベ平連とウーマンリブ、反復帰論

第2章 豊かさの幻影のなかへ
1 高度経済成長の頂点で
2 消費社会と都市の若者たち
3 重厚長大から軽薄短小へ

第3章 家族は溶解したか
1 変容する日本人の意識
2 郊外化と核家族の閉塞
3 虚構の世界へ

第4章 地域開発が遺したもの
1 反公害から環境保護へ
2 地域開発とリゾート開発の結末
3 農村崩壊と地域自治への模索

第5章 「失われた10年」のなかで
1 震災・オウム・バブル崩壊
2 国鉄民営化から郵政民営化へ
3 拡大する格差

第6章 アジアからのポスト戦後史
1 企業の海外進出と産業空洞化
2 「海外」の経験・「日本」の消費
3 「戦後」の問い返しと日米関係

おわりに
あとがき

「あとがき」より
 本書がテーマにしてきたのは、そうして構築されてきた日本近現代の時間や主体が自壊していく過程である。この過程を促してきた最大のモメントはグローバリゼーションだが、国内的にみるならば、高度成長期からの開発の徹底、地域開発からリゾート開発への流れの中で列島の自然はダメージを受け、これに産業空洞化が追い打ちをかけた。家族のレベルでは、果てしなく広がる郊外に自閉する核家族のなかで、若者達は内的自我を空洞化させてきた。新自由主義は、「豊かさ」の幻想を打ち砕き、「格差」の現実を私たちに突きつけている。
 「戦後」」から「ポスト戦後」への転回は、同じ日本史の中の段階以降なのではない。むしろそうした歴史の主体の自明性がぐらつき、空洞化しているのである。私たちは〈歴史〉を語る実践を手放したいとは思わないが、「日本史」が不可能になる時代を生きている。
 だから本書は、通常よくある「ドル危機と石油ショック」「日中国交正常化」「高度成長から安定成長へ」「昭和から平成へ」「バブル経済と平成不況」「55年体制の崩壊」といった変化の時間的連続としては歴史を語らない。そんおような連続性そのものが問われていると考える方だ。70年代半ば以降、過去からの連続性としての歴史がどう壊れてきたのかを、本書は多面的に考えてみようとした。

武田晴人『高度成長(シリーズ日本近現代史⑧)』岩波新書

2010年11月04日 00時53分07秒 | 
ずいぶん前に読んだ…この時代を青年期までに過ごしてきたのだと思う。身体の中にしみこんでいるのかもしれない…。

武田晴人『高度成長(シリーズ日本近現代史⑧)』岩波新書

岩波HPの紹介
日本経済の「後進性」が問題にされ,近代化・合理化の必要性が熱心に叫ばれた時代から,「経済大国」としての地位を確立する時代まで.「経済成長への神話」はどのように浸透し,また「ゆがみ」を生じさせていったのか.人々の欲求と政治の思惑はいかに寄り添い,あるいはすれ違い続けたのか.

目次
はじめに 経済成長神話の誕生
第1章 一九五五年と一九六〇年―政治の季節
1 転機としての一九五五年
2 独立後の政治不安
3 保守合同と五五年体制
4 国際社会への復帰
5 春闘と三池争議
6 日米安全保障条約改定問題
7 五五年体制と戦後民主主義

第2章 投資競争と技術革新―経済の季節
1 経済自立から所得倍増
2 投資とその制約要因
3 「技術革新」と新産業育成
4 「みせびらかしの消費」の時代

第3章 開放経済体制への移行―経済大国日本
1 ベトナム戦争下のアジア
2 開放体制への移行
3 証券恐慌と大型合併
4 大型合併と企業システム
5 「成長志向」への異議申し立て

第4章 狂乱物価と金権政治―成長の終焉
1 二つのニクソン・ショック
2 沖縄返還
3 列島改造と狂乱物価
4 二つの石油危機
5 企業の社会的責任と金権政治
おわりに 経済大国の陥穽

あとがき