多摩爺の「歴史の小径(その4)」
この世界の片隅に - 祈りの朝、あの日から75年 - (広島県広島市)
波穏やかな瀬戸の海が、今しがた昇ったばかりの朝日を照り返し、
水面を渡ろうとする涼風を拒んでいた。
暑い・・・ 広島の夏は、とにかく暑い。
コロナ禍の真っ只中とはいえ、特別な日のはずなのに、トップニュースにならないことがもどかしい。
いつもの夏と、なんら変わることがない、賑やか過ぎる蝉時雨で目覚めた広島は、
深い祈りとともに・・・ あの日から75年目の朝を迎えていた。
毎日、毎日、毎年、毎年、正確に刻まれ続けた時刻と暦は、寸分の狂いもなく、
今年もまた・・・ 広島上空に原爆が投下された、8月6日午前8時15分を告げていた。
先の大戦でともに戦った隣国は、侵略の報いだと云い、神の罰だとも云った。
原爆を投下した大国は、戦争を終結させる手段だったと繕い・・・ その行為を正当化した。
他国から発せられる声に、一つひとつ反応するつもりはない。
そういった感情に任せた声が、世界の総意でないことは明らかだから、
あえてそれを証明する必要もない。
何故なら・・・ 無防備な一般市民を巻き添えにした、
神の罰などあり得ないし、あってはならない。
戦争を終結させる手段だったら、なぜ今までイスラム国に投下することがなかったのか。
原爆を使用することが間違いだと、既に世界が知っているから・・・ 出来なかったことと推察する。
もし、そうでなかったら、非文明的なイスラム国は、
多くの巻き添えとともに・・・ 1発の原爆で決着していただろう。
被爆した国の民は、責任の追及はさておき、過ちを繰り返さない未来を目指すことにしたが、
平和公園の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」と刻まれている。
いったい、誰が犯した過ちなのだろうか。
慰霊碑に刻まれた、この言葉には主語が抜けている。
戦争を仕掛けた国をさすのか、それとも・・・ 原爆を投下した国をさすのか。
この言葉は、極めて重く、極めて深く、極めて尊いが、
曖昧を美徳とする国の文化は、誰が犯した過ちなのか、それを明言することなく、
結果として、疑問を投げかけるだけにとどめている。
慰霊碑に刻まれた文字が訴える、本来の意図をハッキリさせなければ、
その先の未来に進めないと考えるが・・・ そう思うのは、間違っているだろうか。
武士道の国は、曖昧さの対局に、潔さという文化を作った。
小説「徳川家康」の著者・山岡荘八は、
「人間の世界に、果して万人の求めてやまない平和があり得るや否や。」と問いかけた。
戦後は既に75年、被爆した方々の平均年齢は83歳を超えたという。
もはや、戦後という言葉を使うことさえも、憚れるような時代になったといっても良いだろう。
しかし・・・ 75年が経った今でも、我が国の周辺には、核兵器の開発に執着する国があり、
屁理屈を並べて、海洋進出を正当化する核保有国があることも、
現実のものとして受け止めねばならない。
さて、世界で唯一の被爆国である我が国が、
出来ること、やるべきことは・・・ いったい何なのだろうか。
令和の世になって、既に・・・ 1年と3か月
そろそろ、慰霊碑に刻まれた問いに答えを出さねばならない。
現実的な二つのリスク(核の傘の下に居るリスク、隣国が保有する核のリスク)に対し、
もしもの時・・・ どのように対応するのか?
よって・・・ 憲法改正の議論を避けて通ることは出来ない。
「9条があるから、我が国の平和はこれからも守られる。」という声がある。
本当に、そうなんだろうか。
「9条を守れ。」と声高に云う政党と、同じ思想を持ったお隣の大国は、
武力を背景にチベット、ウイグル、香港の自由を奪い、内政に口出し無用と開き直ったばかりか、
領土領海の拡張をたくらみ、いま・・・ 近隣の諸国に喧嘩を吹っかけている。
何をやったら改正で、何をやったら改悪なのか。
論点を明確に整理して、改正するのか、しないのか、それとも書き加えるのか。
議論することを躊躇してはならないし・・・ 恐れてはならない。
コロナ禍のなかで迎えた・・・ 2020年8月6日
75年は草木も生えないだろうと云われた町は、先人たちが流してくれた尊い汗のもと、
緑豊かな明るい町として生まれ変わり、蝉時雨で目覚め、カープで盛り上がる健康的な町に発展した。
「微力だが、けっして無力ではない。」
ご高齢になられた、語り部さんの言葉が・・・ 忘れられない。
一人の力は小さくて、本当に弱いものだが・・・ 大河の一滴であることを忘れてはならない。
世界の片隅(広島)で、核兵器の廃絶と、世界平和を祈念する人々とともに、
この世の中から「戦争」と「悲惨」の二字を無くす努力から、目を背けてはならないと誓う。
75年前の記憶を知る・・・ 世界文化遺産「原爆ドーム」