「玉川上水に親しむ会」へ入会-活動記録

20年前、玉川上水の市民講座に参加された方々が、立ち上げられた「玉川上水に親しむ会」に入会が叶いました。活動を記録します

第228回例会 玉川上水再踏破-三鷹~高井戸(02萬助橋~井の頭公園稲荷神社)

2015-11-22 10:46:39 | 第228回例会・三鷹~高井戸01

江戸時代の初期、江戸の人口が増えて、飲料水の不足が懸念され、玉川上水が計画された。

 

昭和40年の淀橋浄水場の廃止に伴い、玉川上水に水が流れることは無くなりました。

しかし、流域住民の方々のご努力により、浄水ではあるが浅間橋まで流される今日。

(今回の実踏で、玉川上水は神田上水へ流れ込む仕掛けを教えて戴きました。ビックリです!!)

 

 

江戸時代を思わせる上水の流れを直視できるのは、今回の踏破が最後です。

 

山本有三記念館い立ち寄り、小休止。

小雨がぱらつく中を、踏破再開です。

 

吉祥寺通りに架かる「萬助橋」に到着。

八代目萬助氏が昭和26-30年ごろに書いたと言われる文字が未だ残る。

 

下流側欄干

此処から下流部分は、井の頭恩寵公園。

ホタル橋まで下り、 

牟礼分水口跡を見に戻ります。 

 左が取水堰、右中程が取水口跡と思われます。

 渡れそうですが、今回は渡りません!!

 部分的に色が変わった案内看板

 左岸の「松本訓導殉職の碑」を見学

身をていして生徒を守った先生・松本氏の説明パネル。 (大正8年)

 

 

公園を抜け、井の頭池方向へ歩きます。 

 かなりの段丘があり、江戸の人の造詣の深さに感動します。

 

 小雨に煙る井の頭池

 

井の頭弁財天を眺める。 

神田川の源流だったらしく、湧き水が流れ始めた場所だそうです。

現在は涸れ、ポンプで吸い上げた水を流しているそうです。 

後方の巨大なマンション建設が、水涸れの原因という人も居るそうな、・・・・。 

お茶の水の由来、説明。 

 

 

 

弁天橋北側に立つ親之井稲荷跡の案内看板 

 

 

井の頭弁財天へ到達 

以下次回へ・・・・


第228回例会 玉川上水再踏破-三鷹~高井戸(01三鷹駅南口~山本有三記念館)

2015-11-19 06:00:00 | 第228回例会・三鷹~高井戸01

20年の長きに渡り、玉川上水をはじめとした水の探求を続けておられる「玉川上水に親しむ会」

偶然と必然が重なったかのようにも思える20年目の昨年から参会させて頂いている小林です。

 

勝手にブログを作成、会の活動記録として紹介できればと願っております。

 

とは言え、既に年金生活に入る年齢、無骨で、ぶしつけな内容となります。

ご覧戴けると継続、更新の励みになります。

 

 

11月度の例会は、あいにくの雨でした。

しかし、新たに入会された方もあり、全員が(心は)血気盛ん!

雨も気にならないほどの熱気であふれておりました。

 

 

三鷹駅南口のコンコースに集合は午前10時

参加費は、写真代込みで500円、ご夫妻では900円です。

 

人通りの少ない場所へ移動して、再踏破をご指導頂く櫻井様より、

手作りの資料を参照しながら説明からスタート!

20年もの間参加されておられる方も多く、服装から靴、傘など大いに学ばせてもらいます。

 

通路の後ろ側にある大きな地図の前へ移動

お手製の指示棒で、視覚的な面からも説明を受けます。

経験の少ない新入会員さんは、特に前へ前へ・・・・・。

満員電車の車内の如く大盛況!!

熱気にあふれる雰囲気に、講師の櫻井様も一段と熱が入りました。

 

 

空模様を気にしながら、最初の見学地「三鷹橋」へ移動。

玉川上水、此処までは暗渠ですが、この橋を抜けると流れを見る事が出来ます。

↑ 工事中の柵の右側に案内板と手押しポンプがあります。

 

案内板

 

古い橋柱

 

その先に立つ案内板

 

此処から玉川上水の流れが見られます。

 

今日の一つの見どころ!?

この堰の辺りで太宰治氏が入水自殺をされたと言われる場所。

 

少し上流から、

 

少し下流から、

 

道路の逆側に、太宰氏の出身地の石を碑として設置されている。

記念碑としたいとか、自殺記念碑ではよくない、等意見があり、ただ石を置かれているそうです。

広場には、太宰治氏「乞食学生」の一文が掲出されている。

 

玉川上水右岸を下り歩きます。

秋も深まり、常緑樹と落ち葉の織り成す綾が味わい深い。

むらさき橋の由来銘鈑

見事としか言えない古木が連なります。

 

右手に、今は市の史蹟となっている「山本有三記念館」が見えてきました。

南側にある前庭は、無料で見学できます。

 

記念に、集合写真を撮りました。

私を含め、二人を合成。

文字を入れて、顔の明るさを調整、人が小さくなりますが二階のベランダを入れました。

 

上水右岸に戻り、次へ向かいます。

時々小雨が降る中、阿吽の呼吸で、足並みも、間隔もぴったりです。

 

20年と言う年月の重みと、やすらぎを魅せて戴いています。

 

我々小林は、ようやく入会して一年、足手まといになっていますが、

後2回残っている「玉川上水再踏破」、懸命に追走を心がけます。

 

第228回例会の記録、次回02へ続きます。


11月15日(日)毎日新聞-羽村取水堰

2015-11-15 12:13:07 | 日記

11月14日(土)は、「玉川上水に親しむ会」の例会がありました。

三鷹駅南口に集合、小雨の中を24名の参加者が玉川用水と周辺を歩きました。

 

その玉川上水の水の取り込み口が、「羽村堰」ですが、紹介記事が毎日新聞に掲載されています。

 

 

この様な歴史的建造物を、ゼロから学習をさせて貰っています。

 

興味をお持ちの方が居られましたら、コメントでも下さい。

ご案内申し上げますので、・・・・。


227回例会-玉川上水再踏破-桜橋~三鷹 最終回05(いちょう橋~三鷹駅)

2015-11-04 07:36:53 | 第227回例会 玉川上水再探索 桜橋~三

10月10日に踏破した玉川上水・桜橋~三鷹駅ですが、個人的な私用が重なりアップに大変時間を要しました。

ご覧頂いている皆様には、ご迷惑をおかけしたかと思います。

 

今回の05・いちょう橋~三鷹駅で10月の走破分は完了です。

 

本日は、いちょう橋からアップさせて頂きます。

上流側欄干

 

↑ 撮影地点より、下流側欄干を見る。

 

いちょう橋の下流側欄干より、ぎんなん橋欄干を見る。

ぎんなん橋は歩道で、中島飛行機の軍需工場から三鷹駅まで専用の軌道が走っていたそうです。

その名残でしょうか、線が二本引かれています。

脇には、大砲の鏡台土台部分が残っている。

 

トイレ休憩は、西久保公園

 

野鳥の森を過ぎた辺りから暗渠になります。

大通りを抜けると、再び流れが見られます。

 

そして、欅橋で暗渠になります。

こちらの欅橋は、下を水が流れている訳ではありません。(更に深い地下部分を流れている。)

 

暗渠の上に、玉川上水もどきがあります。

見える部分に流れはありません。

 

駅裏側の行き止まり、鉄柵の中を流れています。

 

出口は、斜めになりながらようやく通り抜けられる狭い通路。

暗闇から抜け出ると、一挙に三鷹駅前!

 

三鷹駅北口の東側にある国木田独歩碑が最後の見学地

会長が熱弁を振るわれます。

 

締めは、玉川上水の探求者・櫻井様より御挨拶

 

未だ、三鷹~四ッ谷大木戸まで、三回も続きます。

 

宜しくご指導賜ります様お願いして、

玉川上水再探索 玉川上水43kmを歩く・その4を終わりとさせて戴きます。

 

 

※ 出来うる限り正確を期しているつもりですが、性格的に集中心が途切れることがあります。

間違いや意味不明な箇所、誤字脱字などお気づきになられましたら、コメントをお願い致します。

出来る限り早く、修正・訂正をさせて戴きます。

 

お手間を取らせますが、何せ「玉川上水一年生の新入生です。」

ご指導賜ります様、重ねてお願い申し上げます。


227回例会-玉川上水再踏破-桜橋~三鷹04(品川用水分水口~松美橋)

2015-11-04 05:31:23 | 第227回例会 玉川上水再探索 桜橋~三

玉川上水の側道を下って行きます。

堰があります。

向こう側に行くので、先に渡っていなさいの指示があり、やむなく小林が渡ります。

振り返ると注目の的。

落ちない様細心の注意を払います。

何とか渡り切れました。

ホッ!!

 

皆様が側道を回ってこられる前に、看板を撮影・

 

品川用水分水口跡を記録します。

再度、分水用堰

 

此所で中嶋会長が、武蔵野市立第六中学校へ侵入!

先生を連れ出され、急遽案内人へと変身されました。

大病を患われた直後とは思えない闊達な説明にビックリ!!

 

我々も中学校敷地内へ案内して戴きました。

 

品川用水に架けられていた「水吐橋」の親柱を見せて頂きました。

 

中学校の校舎裏にひっそりと佇んでいます。

 

少し下り、松美橋へ到達。

名前の確認

 

更に下り、今は無くなって居るみどり橋跡

イラスト看板

↑ 住宅街を強引に緑の道が走っています。

 南側には、住宅街を突ききる道が見えます。

 

 

大橋到着

 

案内板

 

 

中嶋会長の快調な説明はここまで。

 

次回は、いちょう橋・ぎんなん橋から三鷹駅までは、櫻井様に戻ります。

05へ続きます。


227回例会-玉川上水再踏破-桜橋~三鷹03(関野橋~桜橋)

2015-11-03 17:28:46 | 第227回例会 玉川上水再探索 桜橋~三

「玉川上水に親しむ会」の227回例会の三回目のブログは、昼食休憩を済ませ、l小金井公園を出ました。

 

関野橋からご紹介。

関野橋を真っ直ぐに南下すると、東小金井駅に到達するため、車の往来が多いです。

 

桜樹接種碑が立てられていました。

「さくら折べからず」と描かれているそうです。

 

次の「梶野橋」はかなり傷み。  私には読めません、・・・・・・。

 

 

梶野分水を見に路地に入ります。

住宅地の裏を抜けて、

用水路の跡を見せて貰います。

埋められた用水路の上を歩きます。

(この辺りで、「私は地元に住んでいるけど、こんな道があることを知らなかった!」と仰る御仁有り。)

 

裏道を抜けて、木製の太鼓橋「新橋」に出ました。

玉川上水の脇に、水引が咲き乱れていました。

 

側道を進みます。

 

 

旧千川用水の分水口の説明を伺います。

こちらは、分水口の跡。

 

旧千川用水分水口の水止め施設

 

親しむ会の重鎮は、お渡りになりまして、・・・・ ・ 

無事渡り終えられたようです、・・・・・。

 

 

曙橋を通り過ぎ、

 

くぬぎ橋を通り過ぎます。

 

この橋も車が多く、一寸傷んで見えました。

 

側道を歩きます。

すぐに、もみじ橋に到着

こちらは狭い橋で、自転車以下の専用橋のようです。

 

次は、車が多く走る境橋に到着。

 

↑ 境橋の脇に、「名勝境界石」があります。

「名勝」とだけ描かれています。

 

丁寧に作られた立派な橋です。

とは言え、車にぶつかられ、傷ついています。

補強はされていますが、一寸無残・・・・・。

 

 

境水衛所跡と千川用水分水口に到着

 

左側が千川用水、右側が玉川上水へ流れます。

千川用水口

 

玉川上水口

 

左岸の説明碑

 

もう一つあります。

左岸側から見た境水衛所跡と取水口堰

 

左岸の少し上流に建つ、「史跡 玉川上水の碑」

日本紀行文学会という団体が、昭和56年(1981年)に建立されたらしい。

 

 千川用水の地上から見える場所へ案内して戴きました。

此所を抜けて、

 見える場所へ到着すると、若者達が魚を釣っています。

物怖じせず、堂々とツリを続けます。  ← 大丈夫なのかな?と一寸心配。

 

資料に基づき、櫻井様より詳しく説明戴きます。

 

大凡の場所は、↓ こちら

 

うど橋

昭和43年に地元の高橋様が土地を提供され、通学路として架橋された橋。

 

独歩橋

国木田独歩が愛した林が近くにあり、よく散策をされたらしい。

 

↑ 橋の南側に「境 山野緑地公園」 ↓ があり、独歩の森と呼ばれているそうです。

 

独歩橋の下流 左岸に建つ国木田独歩 文学碑

 

 

 

わずか下流にある桜橋

 

案内パネル

以上、関野橋から桜橋までをアップ致しました。

 

次回は、04 に続きます。