べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

「こわいゆめ、わすれてないよ。」|さよなら小松左京

2011年12月28日 | おもしろかった
「こわいゆめも、すぐわすれるでしょう。」

宇宙人のしゅくだい」小松左京(こまつ・さきょう)

 ボクが読んだのは「少年少女講談社文庫」版、いわゆる「ふくろうの本」です。イラストが怖かった。「怖い」だけじゃなくて、心臓のウラ側にずしんとのこるお話が詰まってます。

牛の首 小松左京

 コレで知ってる人もいるかもしれませんね。


>小松左京さんが死去(しきょ) 「日本沈没」「復活の日」(アサヒコム・パソコンむけ)



>1931年、大阪市生まれ。京都大文学部卒。在学中にモリミノルの筆名で漫画を描き、同人誌などに小説を発表。作家の故高橋和巳とは学生時代からの同人誌仲間だった。ラジオのニュース漫才の台本を執筆する一方、米国のSF小説に大きな影響を受けた。

>61年、「SFマガジン」誌のコンテストで「地には平和を」が入選。以後、生物兵器ウイルスと核戦争による人類滅亡を描いた「復活の日」や社会性の強い「日本アパッチ族」、超能力者スパイをめぐる活劇「エスパイ」、第6回日本SF大賞受賞作「首都消失」、自ら映画監督も務めた「さよならジュピター」など多くの話題作を送り出した。

>中でも、当時の地球物理学の最新研究を織り込み、地殻変動で日本列島が海に沈む「日本沈没」(73年)は400万部のベストセラーに。危機に直面した国家と日本人の姿がセンセーショナルな話題を呼び、ドラマ、映画化もされ、一大ブームを起こした。 (ここまで引用)

(='ω')SFは、大予言とはちがうんだってば!

 純文学が"偉い"時代だったんです。SF(エスエフ)は、思考実験。気候など地理的に恵まれた日本列島に住む日本人が、その土地を追い出されたらどう変わっていくのだろう。ってのが「日本沈没」のテーマでした。


>「みなさん……私はいま……泣いております。涙が流れるのをとめることができません。人間は――人類は……もっと別のものになりえたはずでした。この冥妄(めいもう)もまた……徐々に……徐々にではありますが――まったく、情けないぐらい遅々(ちち)とした歩みではありましたが――わずかずつ、啓(ひら)かれていくきざしはあったのであります。このまま猶予(ゆうよ)が――誰によってあたえられた猶予かは知りません。おそらくは大宇宙のあやなす、運命の目の一つが、偶然(ぐうぜん)かもし出していた猶予が――このままあと、せめて一千年つづいてくれていたら……人類は、やがて人類全体として、一つの高みに達(たっ)していたかも知れません。

>「みなさん……おそらく……もうどこにもいないみなさん……私は泣いております……人類という数多くの可能性に満ちあふれていた”種”のために……そしてさらにまた――学者のはしくれとしての私が――ついに、この最後の瞬間にいたるまで、責任を回避(かいひ)してしまったということの自責(じせき)の念から……私は……私は泣かざるを得(え)ません……。この涙は、もはやささげられるべき対象をもたないでありましょう。……しかも……なお、私は、泣かずにはいられません。なぜなら……これはまた、学者の責任でもあるからであります。

>「もう眼が見えなくなってきました……胸(むね)がくるしい……心臓がしめつけられそう……
「まだ生きております……みなさん、私は……まだ生きております――そう、学者の責任であります。なぜなら……すくなくとも、知性者は――この太陽系第三惑星における知的生物の……人類の……真(しん)の姿と、正確な意味を知っていたはずであります。彼らは……私は、それを知っていた。この際(さい)、知識人もまた、人間であるというようなことは、弁明(べんめい)になりません。それは知性が不可避的(ふかひてき)に提示(ていじ)するものについて、眼をとざすことであります。いや、つまり……知りつつ、大勢(たいせい)に流されて、口をとざすということは、知者としての責任をはたさぬことであります。それは火災を見つつ人に告(つ)げず、溺(おぼ)れる者を見ながら口をとざしていることにほかなりません。知性者は――エンペドクレスが、アリストテレスが、カントが、ニュートンがドストエフスキイやニーチェが、ブッダやジャイニストたちがすでに見ていたものでありましたが――自己(じこ)の知性に忠実でありさえすれば、不可避的に、この単純な真実につきあたるはずであります。――物質界との対立において、人類は、すばらしくもなければ絶望的でもないこと、知性はこの大宇宙において、なにものでもないこと――つまり、この大宇宙とは別の系(けい)に属(ぞく)するものであること、それはこの物質界において、いかなる序列(じょれつ)も、しめるべき席もあたえられておらず、それは生命によってうみ出されそれによってささえられながら、生命とは別のものであること、生物としての人類は、大物質宇宙の秩序(ちつじょ)の中にあって、永遠の執行猶予(しっこう・ゆうよ)と、一瞬後に出現する虚無(きょむ)の間に、常(つね)に宙吊(ちゅうづ)りにされているということ――こんな単純にして自明(じめい)の事実を……人間の所与(しょよ)の条件を、なぜ人々にくりかえしうったえなかったのか?――おそらくはげしい反対や、詭弁(きべん)や、嘲笑(ちょうしょう)や、甘いごまかし、人類に対するいつわりの慰撫(いぶ)などによってむかえられるこの真実を、なぜ正面からかかげて、冥妄とたたかわなかったのか?

復活の日」(小松 左京・ハルキ文庫)

 地球にとって"種"の絶滅などありふれた出来事で、たかが風邪なんかで人類が滅んでしまう。ボクらが学んでいく知性が、なんの役に立ちどう使うべきなのかって、「復活の日」で考えさせられました。

 さよなら、小松左京さん。(塾長)


 原作のボリュームを消化し切れた作品はなかなかありませんでしたが、小松左京原作の手に入りやすい作品を二本紹介。原作とは、雰囲気違ってますが。

復活の日―人類滅亡の危機との闘い」(新井 リュウジ・TEENS' ENTERTAINMENT)

マンガ版「日本沈没」(一色 登希彦・ビッグコミックス)


少年少女講談社文庫(ふくろうの本)『宇宙人のしゅくだい』テキストの快楽(個人サイト・パソコンむけ

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