べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

山鹿ホテルの解体はじまる|西南戦争の薩摩軍陣地あと

2009年11月30日 | 社会
 写真は、山鹿市にある山鹿ホテル。団体むけの大きな浴場(よくじょう)のあるホテルでした。阿蘇(あそ)や熊本城への観光ツアーや修学旅行などの貸し切りバスがよくとまっていましたね。現在、解体作業(かいたいさぎょう)が始まっています。

 山鹿ホテルのある場所は小高(こだか)い丘(おか)になっています。豊前街道(ぶぜんかいどう)にちかく、さくら湯などの温泉街(おんせんがい)でもあります。

 豊前街道は南関(なんかん)や久留米(くるめ)にぬける交通の要所(ようしょ)だったために、西南戦争において、薩摩軍(さつまぐん)の陣地(じんち)がこの丘におかれていました。

せいなんせんそう【西南戦争】
江戸から明治にかわり仕事をうしなった、士族(しぞく)がおこした最大・最後の内乱(ないらん)。明治政府の官軍(かんぐん)と、鹿児島の西郷隆盛(さいごうたかもり)と士族たちの薩摩軍がたたかった。薩摩軍は敗(やぶ)れ、士族たちは国会の開設(かいせつ)をめざす自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)をおこなうようになる。

「1877年(明治10年);いやな内乱(ないらん)西南戦争」

 山鹿市でも、南関にむかう鍋田(なべた)が激戦地(げきせんち)となりました。山鹿市立博物館には、鉄砲(てっぽう)の弾(たま)のあとがのこる民家(みんか)が展示されています。

 続きます。(塾長)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
裸の大将 (肥後もっこG)
2009-12-01 23:02:02
初めてコメントします。
山鹿出身の肥後もっこです。
山鹿ホテル、すごく懐かしいです。
この前テレビ「裸の大将」のロケで使われていませんでしたか。
返信する
ようこそ! (塾長)
2009-12-02 16:19:33
>肥後もっこGさま

コメントありがとうございます!

「裸の大将」のロケで、スタッフの車がいっぱいとまってましたから、まちがいないでしょう

しょっちゅう前を通りながら、一度も中に入ったことがなかったんですよ、山鹿ホテル

地元にいるとそんなもんかもしれませんが、一度くらい入っておくんだったなあと思います

改築中だったプラザファイブのほうは、あと10日ほどで復活するようですよ

また、気軽にコメントください!
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