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はてしなき流れの果てに

「対立と混乱」の「流れ」とどう向き合えばいいのかを考えます。コメントにはほとんど対応できないと思いますがお許しください。

「左派」さんの課題

2006-08-22 | Weblog

1990年から16年間、就職して忙しかったこともあり、ずっと「どうして社会主義は崩壊したのか」について考える余裕がありませんでした。

もっとも考えたとしても文学部出身の僕には無理だったかも知れません。まして今はさらに無理な頭になっているような気がします。

最近になって調べたのですが、僕が現実べったりになっていた間も、ずっとそれを考えていた方はいるようです。

「左翼」というのは言葉の原義としは「個人主義」「理性主義」「進歩主義」の立場にたつ人間だそうです。

小泉氏などは日本一の個人主義者であり進歩主義者、改革主義者ですから、まさに左翼そのものということになるのでしょう。(これは皮肉では全くありません)

ただ小泉氏は理性の信奉者ではなかった。竹中氏が起案した新自由主義(グローバル化)を推進しながら、一方では反グローバルの姿勢を強く強調した。たとえば靖国参拝などがそうです。

国民を「だまくらかした」とまでは言いませんが、グローバル化を推進しながら、自分は見事に反グローバル化の旗手のような役回りを演じた。本来なら反グローバルの立場にたつべき「右派」さんが、何故かみんな小泉支持になってしまった。そして「左派」さんの目ももっぱら改憲、ナショナリズムの台頭に向き、経済問題が二の次になってしまった。

もっとも「国家の品格」の著者は、「右派」さんですが、それを見抜いて、小泉氏の幻術をわかりやすく説明した。だから売れたのでしょう。

しかし小泉氏がもし「回顧録」を書くとしたら、「これしか方法はなかった」と書くのではないでしょうか。

「右派」さんは小泉氏を支持しましたが、新自由主義経済政策は支持しているのでしょうか?

これは素朴な疑問です。私はこのブログではなるべく誰も攻撃はしたくない。ただ純粋に疑問なのです。

もっとも課題はむしろ「左派」さんの方にあるのではないでしょうか。あくまで課題です。「問題」ではありません。批判などしていません。

新自由主義経済政策に対して「左派」さんがとった反論、反攻は「ナショナリズム復活反対」「靖国参拝反対」「福祉切り捨て反対、格差社会反対」「護憲、平和主義の維持」といったものでした。

経済政策に対する反論は「福祉切捨て反対、格差社会反対」だけ、とまでは言いませんが、どうもそれ以外は情緒的な反応にすぎず、小泉政策に対する有効な反攻は「格差社会反対」のみであったように思います。

もちろん僕も「格差社会」は非常に問題だと思います。

しかし「左派」さんの反応はもっぱら「情感」に流れ、新自由主義経済に代わる現実的な経済ビジョンを打ち出すことができないでいる。

これは全てソビエトの崩壊と真剣に向き合わず、あれはスターリン主義の崩壊であって、マルクス主義の崩壊ではない、などと言ってきたことに起因する失敗なのではないでしょうか。大企業は悪の元凶であるなどという、「善悪二元論の経済論」を共産党が唱えても、広範な支持を得られるとは思えず、実際得られてもいません。国際資本に対する分析が欠けているからです。

つまりグローバル資本主義、「国際資本の動き」に対して、現実的な分析ができないでいるのです。だから対応ができずにいる。(僕にはできるなどとは言いません)

グローバル化は文化の画一化を伴いますから、反グローバリズムとしてのナショナリズムが台頭するのは必然的な動きです。小泉氏はグローバリズムを推進しながら、彼個人としては反グローバリズムの姿勢にたつという「離れ業」を演じたのです。そしてナショナリストの目をグローバル経済からそらすことに成功しました。

僕は「左派」さんにエールを送っているつもりです。また僕がいう「分析」を行っておられるブロガー(たとえば晴耕雨読さん)の存在も知っています。しかしそれは大きな流れにはなっていないように感じます。

もう小泉批判を情感的に行うのはやめて、グローバル化と真剣に向き合う段階にきている、と僕は思います。

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