何でも知ってるタカハシ君のうんちく日本史XYZ

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山岳信仰と密教伝来

2004年08月30日 | 歴史
日本に密教をもたらした最澄と空海。二人とも唐に渡る前には、奈良の都を捨て、都会からはるかに離れた山岳で修行したって、セイゴオ先生が言ったね。なぜ、山を拠点にしたか、その理由が分かるかな?

山を聖なる場所として信仰することを「山岳信仰」というけれど、アジアには、古くからこの山岳信仰が発達していた。インドでは、仏教以前からヒマラヤの山々が信仰の対象になっていた。たとえばヒマラヤのカイラーサ山は、バラモン教(のちのヒンドゥ教)の有名なシヴァ神の身体とみなされ、その頂には夜空の天の川が降りて、ガンジス川となると信じられている。ガンジス川が聖なる川とされるのはそのためなんだ。シヴァ神を信仰する行者は、今でもガンジス川の源流で、病気や貧困に悩む人びとを救う力を得るために厳しい修行をしている。

紀元前3世紀、アショーカ王の時代になると、インドでは仏教が発展して国教になった。やがて仏教は、それまでの出家して厳しい修行を積んだ僧りょだけが救われるとする小乗(しょうじょう)仏教から、多くの人々を救おうとする大乗(だいじょう)仏教へと変化していくんだね。でも7世紀ころからインドは分裂時代に入り、西方からイスラム教なども影響を強めてきたので、仏教の勢力が少しずつ弱くなってしまったんだ。

そこで大乗仏教は、古来からインドで信仰されつづけた神々が仏教に帰依したという形をとって、新しい宗教へと衣替えしていった。それが密教なんだ。言うならば、仏教が人々を救うための宗教だったのに対し、密教は人々が修行によってそれぞれの力を高め、新しい時代に立ち向かっていく宗教になろうとした。その力を与えてくれるのが、ヒマラヤの山々の古き神々だったわけだ。そうなると、人々が神々と交信するための呪文がとても大切になるね。その呪文が、セイゴオ先生の話にも出てきた「真言」と呼ばれているものなんだ。

では、中国はどうだろう? 中国の山々にもやっぱり神々が住んでいるとされてきた。その神々のもとで修行して仙人になることを目指した道教(どうきょう)は、紀元前からあった。また、国づくりの精神的な基盤を求めた儒教(じゅきょう)という教えもある。紀元前5世紀の孔子が始めたものだね。

「真言」は、インドで大乗仏教が密教に移る数世紀前から、さまざまにつくられていた呪術的な密教的経典によってすでに中国に伝わっていた。これらの経典が中国古来の道教や儒教と融合し、山や川、星の神々、道教の仙人や儒教の聖人たちまでも仏の化身(けしん)として取り込んでいく。このようなかたちで発展していった密教は、雑多な密教ということで、「雑密(ぞうみつ)」と呼ばれているんだ。

7世紀、玄奘三蔵がインドから持ち帰った大乗仏教は、唐帝国が認める正式の仏教となり、奈良の都に伝わって南都六宗に発展した。実は、このとき、同時に「雑密」も日本に入ってきたんだな。その影響で、山岳に入って修行する僧りょが増えていった。その代表格が、各地に謎と伝説を残す役行者(えんのぎょうじゃ)だ。

役行者は、634年に葛木山(かつらぎさん)のふもとに生まれたとされ、名前を小角(おづぬ)という。幼いころから博学で、葛木山で修行を重ね、すぐれた呪術者として名をはせた。旱魃には雨を降らせ、空を自由に飛び回ったとも言われている。20代のころには、藤原鎌足の病気を治したという伝説も残っているんだ。行動範囲も非常に広くて、近畿・東海一円にわたっている。その小角がとくに霊峰(れいほう)としてあがめたのが、今も修験道のメッカとなっている奈良県南部の大峰山(おおみねさん)だ。

伝説によると、小角が大峰山に深く分け入って千日の修行を重ねると、蔵王権現(ざおうごんげん)があらわれた。「権現」とは密教の仏に帰依した山の神のこと。日本にもやっぱり山の神々がいたわけだ。この不思議な「権現」に守られ、さまざまな呪術を用いる役小角は、やがて朝廷から怖れられるようになり、遠く伊豆大島に流されてしまった。それでも小角は、毎晩島から富士山まで飛んで修行を続け、最後は空高く舞い上がり、姿を消したという。

このように山岳にこもり、真言を唱えて、古来の日本の神々を密教に転向させ、その力で社会を変えようとする山岳仏教は、当初は邪教(じゃきょう)として弾圧されつづけたんだね。しかし、奈良時代の終わりに、疫病が流行し、世情が乱れるなかで、雑密の僧りょはだんだんと影響力を持つようになってきた。あの孝謙女帝の病をなおした道鏡も、葛木山で修行した僧りょだった。つまり雑密の出身だったわけだね。

道鏡もそうだったけど、雑密にはどこかちょっとあやしげなところがあるよね。しかし、インドと中国を往来する僧りょたちは、アジアの知恵を結集しながら、雑密をきちんと体系化し、密教として確立していった。これが最澄、空海が中国から伝えた密教で、雑密に対して、「純密」と言われる。その教えは、『大日経』(だいにちきょう)と『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)という二つの経典にまとめられた。

大学を中退した若き空海は、日本各地の険しい山海で修行を続け、山深い久米寺(奈良県)で『大日経』を発見する。そこに描かれていた華厳よりも壮大な宇宙の姿に夢中になったが、どのように修行し、実践したらいいかわからなかった。そこで空海は、この『大日経』に対応し、行者の実践の方法を示す経典の研究のために、遣唐使船に乗って中国をめざしたわけなんだな。


2001 コメント

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高み (mame)
2006-09-08 23:49:04
山から下界を見下ろすと、自分がどんどん小さくなっていって点になる。

川の音に意識を集中させていくと、これまた自分がどんどん消えていく。

呪文を知っていれば、神との交信もできたのだろうか?



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むずかしかった (shoku)
2011-05-30 18:53:36
でも、密教は面白いですね。
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Unknown (orika)
2011-06-14 09:52:03
密教はすごいですね。
不思議な世界です。
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lilao@gmail.com (friv)
2013-03-23 05:11:43
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ateş ve su buz devri (ateş ve su buz devri)
2013-07-29 18:59:47
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neuromania@gmail.com (cipto junaedy)
2013-09-11 17:06:10
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ana_mr.mido@yahoo.com (giga2host)
2013-10-21 08:00:24
ところで、今年の大河ドラマの配役ですが、滝沢秀明の義経はともかく、小池栄子の巴御前は僕のイメージにハマっていて今から楽しみです。

衣川の館の場面では、「マツケンサンバ」を踊りながら立ち往生する弁慶(松平健)を是非とも見たい
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aqiqah@jakarta.com (aqiqah jakarta)
2013-11-27 00:14:39
楽しく読ませていただきました。
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jas@almamater.com (jas almamater)
2013-11-27 00:15:26
調べものをしていました。
かなり詳しく書いてあるので、
参考になりました。
ありがとうございます
返信する
aqiqah@tangerang.blogspot.com (aqiqah tangerang)
2013-11-27 00:16:46
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