映像大好き

レタッチの練習。日常の生活・楽しかった旅の想い出・美味しいもの・セピア色の大好きな写真をよりいきいきとさせたいな

保津川下りの男達Ⅱ

2006-11-28 | 映像編集
同窓会を京都湯の花温泉にて
保津川下りの男達
保津川下りの男達Ⅱ
保津川下りの男達Ⅲ
保津川下りの男達Ⅳ
保津川下り最終章
保津川下りスライドショー
出力ファイル2Mbps

夏目漱石の長編小説「虞美人草」の中で、甲野さんと宗近君が保津川下りをする場面がある。二人は国鉄山陰線の嵯峨野駅から汽車に乗り、亀岡から春の日の保津川下りを楽しんでいる。保津川とはどこからどこまでを指すのか。諸説があるが、普通は、丹波平野の水を集めて流れる大堰川の、亀岡市の保津橋付近から嵐山に至る約十六キロを特に保津川と呼んでいる。「虞美人草」の書かれた明治末期と現在とでは、こと保津川下りに関してはたいした変化はない。宗近君が「妙な舟だな」と言ったたかせ船は、今も急流を水しぶきを上げて突っ走る。ただ変わったことと言えば、嵐山まで下った船は昔は船頭たちが網で引っ張って亀岡までさかのぼっていたが、今は国道をトラックで輸送している。

嵐山付近は今も、昔もレクリエーション地帯。映画やテレビでおなじみの渡月橋付近では、平安時代、貴族達が船を浮かべ、管弦の遊びに興じたところでもでもある。だが、この保津峡に初めて船が通うようにしたのは、京都の豪商、各倉了時以である。彼は高瀬川を開通したことでも有名だが、慶長十一年(一六〇六)約五ヵ月間でこの難工事を終え、丹波の物資をはじめて船便で京都へ運ぶことに成功したのである。」-1972年「文学の旅」より抜粋

船頭さんの説明では昔は船を戻すためには4時間かかっていたが今ではトラックに3艘乗せて40分で運ばれるとのこと。また船頭さんは一日二回船を漕ぎ、嵐山から亀岡まではJRの電車で移動するとのこと。偶然にも京都駅から亀岡までの移動中、嵐山駅から船頭さんのはっぴを羽織った方が乗ってこられた。そこでいろいろと情報収集をすることができた。保津川下りは亀岡から嵐山の渡月橋までの約十六キロを所要時間約2時間、水かさの関係で所要時間は幾分変動があるとのこと。保津川は流れが急で、景色も面白く、冬を除いて賑わっている。今年の冬は営業しないとのこと。

舟を漕ぎながらのガイドと会話はユーモアに富み気取りがなく二時間はずっと笑いっぱなし、三人男のチームワークはすばらしく時々「業務用言語の会話」乗客には何を言っているのかは不明会話で安全を図っておられたようだ。30人も乗せての急流は気を抜けないことだろう。腰をかがめて竿を水平に構え流れを見つめ、竿が宙を舞っていたことが印象的だ。

トロッコ電車の乗客もたかせぶねの乗客もちぎれんばかりに両手を振る。よくよく考えれば不思議な感じがする。遊びのとき、集団のときは童心に戻ってのびのびとなる。

明日に続く



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