日蓮への路

日本を愛していた日蓮を偲んでのブロクです。

親鸞聖人

2005-07-09 23:50:15 | 日蓮について
比叡山から生まれ、はじまった日本の仏教から、親鸞聖人について見てみましょう。

比叡山より

平安の最末期、京都に生まれる。9才で第62世天台座主慈鎮和尚の弟子となり京都青蓮院で得度した。
 比叡山の無動寺谷大乗院に住して千日行に励み、また西塔聖光院においては常行堂の堂衆として念佛三昧を行った。
 29才の時京都吉水に法然上人を訪ねて門弟となり他力易行門を会得した。
 35才法然上人と共に配流の身となり、越後や関東地方に教化の旅を続け、在家往生の実を示し、自ら肉食妻帯した。
 「教行信證」を著し浄土真宗を開いた。

親鸞-ウィキペディア(Wikipedia)より

親鸞(しんらん、承安3年4月1日(1173年5月21日) - 弘長2年11月28日(1263年1月9日))は浄土真宗の開祖である。

仏教の一派である浄土真宗(じょうどしんしゅう)の開祖。天台宗の堂僧となった後、法然の弟子となり、一派を起こした。ただし自身はあくまで法然を師と仰ぎ、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承しさらに高めて行くことに力を注いだ・・・(以降省略します)。


親鸞の教え-ウィキペディア(Wikipedia)より

南無阿弥陀仏と念仏を称えるという称名によって、阿弥陀仏の浄土(=極楽)へ往生し、阿弥陀仏のもとで修行をすることによって仏陀となること(=成仏)ができる。なぜなら阿弥陀仏によって48の誓願(=四十八願)が完成されており、その第18番目の願(=本願)に「すべての衆生が救われなければ、わたしは仏とならない」と誓われているからである。この18願から十八番(おはこ)という言葉が生まれた。

他力本願-ウィキペディア(Wikipedia)より

親鸞が『教行信証』で「他力というは如来の本願力なり」と書いているように阿弥陀仏の本願の働きであると浄土教側は解釈する。ここで、本願とは仏自身が立てた「願」であって、その願力によって衆生は浄土へ往生することができるから、「他力本願」といわれる。

悪人正機-ウィキペディア(Wikipedia)より

悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ用語で、「悪人こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である」という意味。つまり、阿弥陀仏が本当に救いたいのは悪人であり、善人は自らの力で成仏を目指せるので、眼目ではないというものである。

ここでいう悪人とは、阿弥陀仏の真実に照らされたときに自らが悪人であるということを自省した上での悪人である。つまり、真実に目覚めたときに、自らが何ものにも救われようがない悪人であることに気付かされ、すべての衆生を救うとの本願によって救済の本当の目標が悪人である自分自身であったと気付かされるすがたを悪人正機と言うのである。


====ごく平易な言い方・・・より====

我々が善いことをしようが悪いことをしようが、救われることに違いはない。しかし、善いことをしようと思うのは阿弥陀仏の誓願の働きを疑っているのではないかという理由1や、善いことをしようにも自分自身にその善悪の判断基準がないという理由2や、何を行うにしろ我々には欲望がありそれによる行為はすべて悪いことでしかないという理由3で、我々の行為すべてが「悪」でしかない。

浄土真宗-ウィキペディア(Wikipedia)より


長くなりました。高校時代に学んだ親鸞とイメージが異なるのは、いろんな意味での、人の弱さ(人としての立場を含めて、自力では、どうにもならないこともあるということなど)を知ったからでしょうか?



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