これはたまげました…
とてもハリウッドのメジャータイトルとは思えない程の残虐性と、”平和”をお題目のように唱えていれば実際に世界に平和が訪れるかのように信じている人権団体や平和団体といった人々に対する痛烈な皮肉…
いやはや、これはもう純粋に”怒り”ですね…世界にはびこる理不尽さに対する、表現者としてのスタローンの怒りを大いに感じさせられた映画でした
思えば「ランボー」は、”如何にしてランボーを怒らせるか?”という表現に注力していたシリーズでしたが、今回の怒りはとても静かで、しかしながらどのシリーズ作よりも激しいモノでしたね
…ちょっと矛盾してるかのような表現ですが、かつてのランボーがシリーズを重ねるごとに、個人の枠を遥かに超えた規模の戦いに突入して行ったのに比べると、今作における戦いの規模は非常に小さく、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権が諸悪の根源として描写されつつも、敵として登場するのはあくまでその一部隊のみです
何千何万もの正規軍を相手にするような派手さは全くありません…ですが、60年も続いているという内戦状態の中ですっかり荒みきった軍隊の行動を、ひたすらリアリティたっぷりに描写しているので、女子供だろうと容赦なく誘拐し、レイプし、虐殺する…その極悪非道ぶりは、本気で吐き気をもよおす程の迫力で描写されていました
そんなこんなで、怒るランボーなワケですが…そこは既に60歳を越えているランボーなわけで、若い頃のような爆発的な怒りは表現されません
しかし、これまでの凡百な”戦争映画”に対して、まるで、”そんな描写で戦争を語ったつもりか?”(と同時に、観客に対しては”戦争を知ったつもりか?”)と、突きつけているかのような、あまりにも多くの哀しみを背負って来たランボーという”一兵士”の人生の重みを感じさせる演出は流石だと思いましたね
この映画には痛快な娯楽性という側面も確かに存在しているんですが、現実のビルマの問題は何も解決していないワケで(巨大サイクロンの被害に対する対応だけ見てもヒドいです…)、”これ程の破壊力を持った作品をもってしても(現実の)世界は変えられないのか?”と、ずっしりと重い荷物を両の肩に背負わされたような気分で劇場を後にしました…
以下ネタバレ感想:
気になったのは、例の女性の人質が2週間近く(?)もそのままで放置されていたことですかね…敵の隊長が男色家だったのは上手い設定だなと思いましたが、ランボー達が突入するまで彼女が放置されていた理由は結局、不明なままでしたよね…?
アメリカ本国の宗教組織と、人質の交渉をしていたとかの流れが裏にあったんでしょうか
後はやはり、”あれは何地雷だよ?”っていう瑣末な部分とw、タイトルでもある”最後の戦場”っていう部分ですが…ラストでランボーは故郷(父親の農場)に向かって帰っていきましたが、何かを成し遂げたと感じたってことですかね?…それともあれは一種の諦念から?
”世界中のどこの戦場だろうと、もはや勝利なんて存在しない”…という現実(リアリティ)を、このパート4では観客に見せてしまったので、もうどんな続編を作っても同じことの繰り返しにしかならないっていう意味では、確かに”最後を飾る”に相応しい内容だったと思います
でもスタローンは、主人公も観客も”完全燃焼”からは程遠い「ロッキー5」のラストがずっと気に入らなくて、「ロッキー・ザ・ファイナル」を作ったわけですからねえ…(例えリアリティを損ねたとしても)ランボーの”ラスト”に相応しい、新たな作品をまたいつか作ることになるのかもしれませんね
オレ個人としては、また新作を見たいという気持ち(”戦場”は世界中にあふれてますから…)と、このまま終わらせてやってくれという気持ちの半々かなあ(汗)
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