「クリード チャンプを継ぐ男」を川崎109シネマズにて観て来ました
”クリード” とはかの有名なシリーズ作である「ロッキー」に登場したロッキーのライバルであり、親友でもあった ”アポロ・クリード” の姓です
1976年の第一作から2007年の「ファイナル」まで、30年以上もかけて計6作品が製作された「ロッキー」シリーズですが、全作において主演・脚本を担当しているのがシルベスター・スタローン自身であり(一作目と五作目を除いて監督も務めています)、8年前の「ファイナル」公開時にこのブログにて、”スタローン自身の俳優としての境遇がロッキーという登場人物とオーバーラップする構造こそがこのシリーズを名作たらしめている” ~みたいな事を書きました
そして今回の「クリード」ですが、基本的にスタローンは俳優としてのみの参加で、物語としても主人公は ”アポロの息子”であり、完全に ”外伝” 扱い(スピンオフという奴ですな)になっています……そりゃ「ファイナル」であれだけ完璧に ”ロッキーとしての生き様” を表現しきって見せたんですから、もうスタローンに「ロッキー」の新作を作る気は一切無かったんだと思われます(実際、その様な発言もしていたかと)
でもおそらく「クリード」の脚本を見せられたスタローンは、”あ、ロッキーについてまだ語り切っていない部分があった” という風に思わされたのでは無いかなとはオレの勝手な推測ですが…
全ての脚本を手がけてきたスタローンが(自他共に認める)見事さで既に完結させているシリーズで、しかも自らの俳優人生の大半を分かち合った ”分身” とも言えるロッキーを、”他人の脚本” で改めて演じるに至った心境を想像すると、「クリード」に登場する ”その後のロッキー” も紛れもなく ”ホンモノ” だと確信出来たからだと思うんですね
もうすぐ70に手が届こうかというスタローンが何故また、ロッキーを演じる必要があったのか?(演じようと思い至ったのか?)
外伝といえども、ロッキーを通してスタローン自身の心情が垣間見えてくる物語は今作でも見事に表現されていますので、シリーズのファンは是非とも劇場で確認するべきです!!
ロッキー1~5の感想、ロッキー・ザ・ファイナルの感想
以下ネタバレ感想:
”ロッキーについてまだ語り切っていない部分” とは何か?
オレが思うにそれは主に2つあって、まず一つ目は本来なら完結編となるハズだった「ロッキー5」でやり残した事、つまり ”自分の後に何を残すか” というテーマについてです
「5」においてロッキーはボクサーを引退して、(自らの師匠であった亡きミッキーを見倣って)後継者の育成に乗り出しましたが、ものの見事に失敗してしまいました…
そして中途半端に燻り続けたロッキー(スタローン)の想いは17年後に「ファイナル」へと結実して、”人生は(死ぬまで)己との戦いだ!” というテーマを高らかに謳い上げてその想いは実の息子にも世界中にもちゃんと届きました……が、その息子はボクシングとは違う道へと進んでしまったので、ロッキーが自ら半生を捧げたボクシングという素晴らしいスポーツならではの技術論やら精神論やらの持って行き場が無くなってしまっていたんですな
> 「ロッキー」はパート2以降、ロッキー自身の戦いへのモチベーションを
> 如何にして引き出すかに腐心し続けてるシリーズなんだなあ、ということを
> 改めて思いました
>
↑こちらは8年前に書いた感想ですが、今作「クリード」では生まれの境遇に不遇さはあっても、その後の人生は順風満帆で、金銭的にも大いに恵まれている(ハングリーさなんて一切無い)クリードJr. がどうしてボクシングなどという(父親を死に至らしめた)危険な競技をやりたがるのか、そして(ボクシングから完全に足を洗っていた)ロッキーがどうしてその Jr. のトレーナーを引き受けるに至るかが序盤の展開のキーなんですが、その答えは非常にシンプルでした
それは、”ボクシングが好きだから”
スタローンが70年代~80年代にかけて「2~5」までの脚本であれだけ苦労した、”戦うモチベーション” の構築がこんなにあっさりとしていていいのかと戸惑ってしまった程でしたが、それが紛れもない真実だというのも確かなんですよ……だって、お前ら(観客)ボクシング好きだろ?お前らロッキー大好きだろ?とスクリーン越しに問われたら、確かにその通り!としか返せませんもんw(クリードのモチベーションについてはラストで一捻りありますが)
正直、物語としては Jr. が僅かプロ二戦目にして最強の世界チャンピオンと対戦する展開は強引にも程があるといったカンジだったんですが(第一作目よりも遙かに強引だったかと(^0^;))、「ロッキー」シリーズの根底にあるのは勝ち負けではなくて、”如何に自らの人生と向き合うか” という事なので(今作はセリフでの説明がちょっとやり過ぎ感もありましたが)、ボクシングの試合内容そのものについては、まあどうでもいいと言ったら言いすぎですかね…(念の為に書いておきますが試合シーンはワンカット演出と相俟って、役者自身の相当なトレーニングが伝わって来る物凄いアクションだったのは間違いないと思います)
進行性の難聴の症状に罹りながらも、歌手になる夢を追いかけてるヒロインの役割とか非常に上手い脚本だったですし、ハリウッド映画史上で2番目に ”煽り耐性” が低そうなクリードJr. のキャラも非常に愛らしかったですな(ちなみに1番目はマーティ・マクフライですw)
そして、”まだ語り切っていない部分” の二つ目ですが、これはもう、”ロッキーの死” についてですね
「3」のラスト、ロッキーがアポロと(観客も誰も一人もいないリングで)私的に決着を着けようとしたシーンで画面がストップ!っていう実に印象的なエンディングがありましたが、今作であの顛末がロッキー自身の口から語られるシーンを見て、”ああ、この映画(外伝とか言ってるけど)スタローンが超本気だ…” と思わず劇場の座席で居住まいを正してしまいましたが、いよいよあの不屈の魂の象徴であるロッキーにも ”死” が目前に迫ってくるという状況が描写されました…orz
エイドリアンが闘病に苦しみながら死んでいった事が示唆されて、化学療法を拒否しようとするロッキーに対するクリードJr. の説得が涙モノでしたね……すぐキレやすいというのはともかく(^_^;)ここまでクリードJr. のいい奴っぷりがじっくりと描写されていたおかげで、”あんたが(病と)闘わないんならオレも闘いを止める” という優しさが実に身に染みてくるようでした
ああ、こいつが後継者でホント良かったと、きっとロッキーの胸中では「5」で裏切られた事なんかもよぎっていたのではないかと自然と思えた名シーンでした……そして「ロッキー」の代名詞的なシーンである、フィラデルフィアの街中をロードワークで駆けるシーンが決して勇壮で高揚するような音楽ではなく、”闘うロッキー” を優しく鼓舞するシーンとなっていたのにもう、涙が溢れて止まらなかったです…(ノД`)
クライマックスの世界戦の方は、例の紅白のトランクスが出て来た所でまたジーンと来たりしましたが、”善戦するも勝てない” という予定調和になる事はわかりきっていましたし、ただただ満身創痍になりつつも最後まで諦めない、”ロッキーイズム” を最後まで見届けるだけでしたね……とは言っても最後の最後で、旧シリーズのテーマ曲がかかった時はおおおおおお!と拳を握りしめましたがw
ラスト、足下のおぼつかないロッキーが例の石段をやっとの思いで登っていたのも涙なくして見られませんでしたが(T_T)、果たして化学療法に効果があったのかどうか(ロッキーの寿命が伸びたのかどうか)、どちらとも受け取れるカンジでしたな……まあハリウッド映画の宿命とも言える、続編を作れる余地を残しているというカンジなんでしょうけど、うーん、正直な所、クリードJr. の成長を見届けたいっていう気持ちとここで美しく終わらせておくべきっていうのと半々かな(きっと、スタローン自身もそんなカンジかなあ…)
追記:
ゴールデングローブ賞助演男優賞受賞おめでとう!!
”誰より、私の人生で一番の親友であるロッキー・バルボアに感謝したい!”っていうスピーチに涙出そう…
これ、オスカーも来るんじゃないですかね
更に追記:
オスカーノミネート来ました!( ゜∀゜)o彡゜
そしてクリード続編も決まった!……でもクーグラー監督が降板しちゃうのには一抹の不安が…(;´Д`)
一気に引っ張りだこの監督になってしまったので仕方ないとは思うんですが、考えたらスタローン側としても(70歳過ぎた)2~3年後のスケジュールなんてどうなっちゃうかわかりませんものねえ…
更に更に追記:
あああ…スタローン獲れなかったか…orz
>うーん、正直な所、クリードJr. の成長を見届けたいっていう気持ちとここで美しく終わらせておくべきっていうのと半々かな
正に正に。私もそう思いました。
でも、確かにJr.の成長も観たいですし、これ以上弱っていくロッキーは観たくないですし…
というのが正直な気持ちです。
”果たして続編を作る意味なんてあるのか?” と、「ロッキー」シリーズを通して自らに延々と問いかけ続けてきたスタローンですから、そんなスタローンが認める「クリード2」の脚本がどのような展開になるのかっていうのは非常に興味深い所なんですけどね…
遅かれ早かれいずれミッキーと同じ展開を辿るのは間違いないでしょうし、かといって ”死ぬ死ぬ詐欺” みたいな展開に陥るのも御免ですしw、やっぱり見たいような見たくないような……ですよねえ(^_^;)