T・Cの日誌

自然豊かな旧水原町に住み、登山やスキーを楽しみ、自然を愛する者の目から見たことなどを……。

感動の立山登山

2008-08-19 | うれしい」
16日に立山登山に行ってきた。立山は、3003mの高山。北アルプスの一角に

ある。俺にとっては、3000m級の山に登れるのは、この時しかないと決心して

臨んだ。ところが、一の越山荘までは普通に登れたが、そこからは急登に次ぐ急登

だ。見上がるように岩場の急坂がつづく。











「俺に登れるかな」と一瞬、不安が心をよぎる。しかし、参加者のほとんどが登り

だしたので、俺だけがここから引き返すわけにはいかない。そこで、俺も挑戦し

た。予想した以上に凄い山だ。行けども行けども岩とガレた石道だ。一時間ぐらい

登っただろうか。突然、「頂上が見えたぞー」との声で上を見ると雲に切れ目から

立山神社が見えた。






「よし行ける」と一気に登った。暫くしてついに登頂。「やった!」と思わず叫ん

だ。全体として曇っていて、回りが見えないが、そこでも下の切り立った崖を見る

だけで、立山の高さを知ることができる。立山の山頂に立って、流れる汗が、気持

ちのいい汗となった。何というか、達成感と言うか、充実感と言うか、そういうも

のを感じざるを得ない。

問題は、下山だった。下山しようとしたとき、雨が降り始めたので雨具に着替えた

が、下山し始めると、すぐにその雨は激しくなり、やがて土砂降りとなった。途

中、雷も鳴り始めた。これには恐怖を感じた。急坂の登山道は、滑りやすく、慎重

に下りなければならない。メガネのレンズは雨で濡れて前が見えないときがしばし

ばあった。「これは大変だ」と覚悟しなければならないときもあった。しかし、暫

く下りると下にボーッと一の越山荘の電灯の光が見えた。このときはホッとしただ

けでなく、助かったと思った。それから50分ぐらいかかって宿泊所に着いたのだ

が、今回の登山は、俺に大きな自信を与えてくれた。

それにしても、上には上があるものだと思う。実は、翌日、室堂バスセンターにい

るとき、偶然、俺の義弟とあったのだ。雨具を身につけているので「これから立山

ですか」と聞くと「ハイ、立山を通って剣岳に登ります」と言う。「エッ、あの剣

岳」と言うと「そうです」と言う。今朝電話で聞いた話だが、なんとあれから、立

山は、珍しく晴天となり、剣岳も雲一つない晴天だったそうだ。いずれからも北ア

ルプスが一望でき素晴らしい眺めだったという。それだけでない。剣岳を登ったの

は71歳が2人、60代が4人、50代が1人の7人だったという。タフな人たち

だ。俺などは立山で精一杯なのに彼らは、剣岳を余裕をもって登っているのだ。偉

い者だと思う。


盆休み

2008-08-15 | ささやき
13日は墓参りだ。わが両親や先祖代々の墓に詣でてきた。あらためて、一族の人

たちにあった感じだ。大事にしなければと思う。あまりにも現在社会は、親子の絆

をはじめ、人間と人間とのつながりを大事にしないからだ。これでは人間としては

最低だ。

ところで、この盆休みに女房の友だちが突然泊まりに来た。

こっちが登山に行くために早く寝る予定の日にである。これには困ってしまった

が、帰ってくれとは言えない。しかもその人は62になって夫と別居し、学校の調

理師をやって食べていると言う。別居された夫も自分勝手な我が儘な人で、自分で

稼いだ金を一度も家に入れたことはなく、すべて趣味の車に注ぎ込んでしまうと言

う。66になっても格好や世間体ばかり気にして、いい車を乗り回し、いい気にな

っている人物と言う。そんな夫に愛想が尽きたのだろう。わからないこともない。

子どもたちはと言うとこれもみんな一本立ちしているのだが、いまの社会だから親

の面倒を見るほど余裕がない。そんな状態の人が、食い扶持をもとめるようにわが

家に転がり込んできた。いつ帰るのかわからないが、ほどほどにしてほしいと願っ

ている。

知人の死

2008-08-11 | なげき
Sさんは死んだという。享年55歳か。まだ若い。いまが働き盛りだった。

その彼がなぜ、死んだのか。わからない。

聞くところでは彼は鬱病だったという。その鬱の結果だろうか。

彼を今年に入ってほとんど観たことがなかった。

この前の納涼会にも顔を見せなかった。

みんな「どうしたのだろうか。具合が悪いのか」とか、「仕事が忙しいんではないか」などと心配していた矢先だった。

その彼が死んだのだ。可哀想だとともに、何も出来なかったことに自分の力の無さ

を痛感せざるを得ない。

眠い!

2008-08-09 | ささやき
 今朝は眠い。
 
 昨夜の北京オリンピックの開会式を終わりまで見たためだ。
 だから寝たのが午前一時過ぎだ。
 
 最初は、十一時頃に終わると思っていたのだが、長かった。

 それにしても北京オリンピックの開会式は感動的だったね~。
 
 最初から、二〇〇八人による太鼓演奏をやり、その演奏にあわせて論語の一節「友あり。遠方より来たる。また楽しからずや」を朗々と中国語で朗読するあたりになると思わず涙が出るね~。論語を高校時代に習ったわれわれ世代にとっては、論語の一節を聞くとやはりジーンと来る。

 このとき使用した太鼓は二〇〇〇年前の銅器の太鼓だという。それが一糸乱れず演奏され、演技されるのだからたまらない。論語の一節は、その太鼓演奏の冒頭で読み上がられた。それが実に感動的だったのだ。

 しかも、論語が各所に出てきた。これには驚きであった。かつて論語は否定されたのではなかったかと思っていたが、そうではなかったようだ。

 開会式では、中国五〇〇〇年の歴史を絵巻物にして展開されていた。これを見ているとまさに西洋文化とは違う東洋文化の凄さ、先駆性がわかるとともに東洋文明が西洋文明に影響をあたえていったこともよくわかった。なかでも紙の発明、磁石の発明などが人類にどれほども進歩をもたらしたか……中国はそれらの文化の中心なんだと言っているようだった。

 また文字の発明では漢字を生み出し、それを「和」という文字をつかって歴史を振り返っていた。それは論語の一節(?)を述べるためであっただろうか。「和を持って尊しなす」と。現代の場面では、地球温暖化問題などもを取り上げていた。

 そうした歴史的絵巻が延々と続いた後、いよいよ選手入場となった。ここでも入場の順序が中国語の画数で決めるという手法を取っていた。これも英断だと思う。 ただ、事ある毎に盛大に花火が打ち上げられたがこれは気になった。もちろん、凄いの一語に尽きるがだんだん時間とともにやりすぎではないかとも思えてきたからだ。
 
 今回の北京オリンピックには史上最多の二〇四ヶ国・地域から一万六千人が集まったそうだ。その背景には、昨日の開会式を見て、これからの時代は、まさに中国の時代だなーと感じざるを得ない。



これはちょっとピンぼけか。やはり寝不足のためかな?。




 

立秋過ぎれば……

2008-08-08 | ささやき
 昨日が立秋だったという。
 そのせいか、昨夜は、非常に涼しく、寝やすいし、気持ちいい夜だった。今朝は、午前5時頃は涼しいと言うより、寒いくらいだった。

 やはり、季節も立秋を過ぎると秋風が吹くのかも知れない。
 もちろん、昼になれば、暑くなるだろうし、これからも残暑厳しい日々が続くとは思うが……。
 わが阿賀野市は、いよいよ市議選となり、県段階では知事選となる。悪政と闘おうとスキー仲間の山崎さんが知事選候補に立候補したが、その勇気には驚くし、その気概に感動する。それだけに、なんとしてもいいところまで行くように応援しなければと思う。

わが家のムクゲは奥手だ。花のつけるのが遅いのだ。今頃になって咲き始めた。




サルスベリは、全面的に花をつけ始めた。うれしい。


一度枯れたと思ったシモツケがまた咲き始めた。これには驚いた。

暑い日がつづく

2008-08-03 | なげき
このところ、暑い日がつづく。今日の最高気温は34度を超えるという。いやだねー。暑いのは……。今朝は6時半から町内会の公園掃除と青空常会だ。俺は、その後ツゲの剪定をやった。なにせ、先月中頃やったのだが、それでも今年のツゲは伸びが早いせいか、無精髭のようにちょぼちょぼ伸びて体裁が悪るかった。そこで、その無精髭を刈り取った。それでも汗びっしょりだった。

このサルスベリは道路の反対側しか、いまのところ咲かない。どうしたのだろうか。よく見ると蕾はあるのだが……


「会報」53号できる

2008-08-02 | うれしい」
7月31日に印刷・袋詰めし、昨日から配布しはじめた。みんなのところに行くのは3日か。今回は、筆者の花沢さん、イラストの小川画伯はあっという間に書いてくれたので、すぐ完成した。特集は、月山登山。内容も楽しいものになったので嬉しい。