鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

まだ悩んでる「ネットで文章を書くこと」

2004-08-27 00:34:47 | 原稿再録
 最近三十代になったこともあって、自分の過去を振り返ることがある。
 どうしてこんなことになったのかな、と。確か二十歳の頃はサラリーマンだったはずだったのになあ。
 自己顕示欲、だったのだろうか。自分の考えていることを活字にして表現するという行為に酔ってしまった。ひょんなことから雑文をSM雑誌に書いた。その仕事に関わっていた編集プロダクションから「もし何だったらうちに来いよ」といわれ当時の勤め先を退社した。そうしたらその編プロが潰れてやんの。そこからいまに至るフリーの生活。フリーとはいうものの全然自由じゃなかったりしてね。
 自分がこの世界に入った当時はインターネットなんてまだ夢のメディアだったりして、まだ自分はワープロで原稿を書いて、ファクスであるとかフロッピーであるとかで原稿を入れていたなあ、と。
 ま、技術の進歩もなかなかであるがそれよりもこのネット環境ってのはいろいろ考えさせられるなあ。あ、最近紙メディアの危機とかいわれているけどそういうことではないのね。だってバブルの時に雑誌が増えすぎただけでいまは普通になっている過程だと思うから。自分が食っていけるかどうかは棚に上げて、と。
 それよりもあれだよ。ネットで簡単に文章を発表できる環境ですよ。匿名性に埋没することも可能。普段の自分と違う自分で文章が書ける。業界に対して利害関係もないから割とたやすく好き勝手書ける。編集者も出版社もいない。だから儲かりはしないけど自由度は高いね。しかも読むのは電気代プロバイダ云々を考えなければ無料だ。作るのも読むのも無料。そりゃあ便利だなあ、と思う。素直に。
 もし自分があの悶々としていたサラリーマン時代にネット環境を手に入れていたら自分のサイトを立ち上げて、そこに好き勝手な原稿を書いて、掲示板やメールでそこそこの反響を貰って満たされていたのかな、と思う。
 いまの自分とどっちが幸せかなあ、と。
 たまーに、ネットで文章を書いている人のそれが面白かったからって試しに雑誌で使ってみたらまったく使えなかった、という話を聞く。
 そのときに思うのだがやはりプロ意識ってのは自分は正直希薄かもしれないけど、それなりにあるんだな、と。
 自分だってあれですよ。この原稿を書きながら、金髪巨乳目当てに買っている人にこんなん読ませるのはどうかな、とはちょっとは意識しているんだってば。どう最近は?
 相変わらずで恐縮だけどこの問題はまだ未整理。自分にはなかなか答えが出せない。プロ意識が低くて非常に申し訳ない。(バチェラー掲載)

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