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我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

根津美術館 「円山応挙展」&中国の青銅器

2016年11月23日 | 漢検1級高得点獲得のためには
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●根津美術館に行って来た・・・円山応挙展(開館75周年記念特別展)・・・平日なのに混んでた・・・やはりどこに行っても高齢者が多いな、自分も含めて・・・。行くと決めた後に、NHKで遇、放映もあったりしたから混んでたのかも。広い庭園と紅葉が綺麗だったらしいけど、京都で何度も何度も紅葉を見てきた者としてはどうしても物足りなく感じてしまったりして・・・。
●こういう展覧会は展示室が暗くて仄明るい光で展示物を照らすだけなので、どうしても色合いなどがわかりづらく、説明文も読みづらい・・・
●一通り展示物を観覧、庭園散策、売店探訪(何も買わなかったけど)・・・猫を描いた作品のクリアフォルダーが一番売れ行きが良かったみたいだった(^^)・・・。

●1Fと2Fの複数の展示室で展覧されていたけど、たまたま通った2Fの展示室の隣に常設の「中国の青銅器」の展示室があった・・・興味があったので、覘いてみた・・・面白かった。饕餮文のある青銅器(酒器、食器、水器)が展示されていた・・・楽器は無かったような気がする・・・。円山応挙のよりもじっくり見ちゃった・・・中に、饕餮文卣(トウテツモン・ユウ)とか饕餮文方盉(トウテツモンホウカ)とか、見慣れない漢字もあって、実物を見ながら解説も読んでいたので時間がかかった・・・
  *饕餮文の器が多かったが、蟠螭(ばんち)文の青銅器も展示されていた・・・蟠螭(ばんち)文:「殷・周~戦国時代の銅器や銅鏡に用いられた文様。蟠は「わだかまる」、螭(チ・みずち)は角のない若い竜の意で、互いにからみ合うさまを表す。夔竜文の一つの変形文様。」
  *ちなみに「饕餮」の「饕」は“財をむさぼる”意、「餮」は“食べ物をむさぼる”意。人名(綽名?)、神名でもある・・・。

●帰宅して“深掘り”しようと調べたら、Wikipediaに、この展示物そのものではないけど写真つきでいろいろ解説されていて大変勉強になった。この記事はたしかに良質だと思う。以下、自分用にまとめ・・・(Wikipediaの内容をかなり簡単に抜萃)・・・漢検1級程度の知識では太刀打ちできない漢字も多かった(^^;)でも面白い・・・こういうのも読んでおくだけでも、どこかで役立つかも・・・

ー中国の青銅器ー
<酒器>
(しゃく):温酒器、飲酒器。中国の青銅礼器のうち、もっとも早くに出現。くびれのある胴に三足がつき、把手(鋬(ハン))を有す。(当時信仰されていた神は、爵を用いて酒を飲むと考えられていた)。爵には大型のものはない(爵は儀式の際に人が実際に手に持つ器であったことを示唆)。
(か):温酒器。殷前期にわずかな出土例。三足を有し、器形は爵と似た部分もあるが、爵より大型で、爵と異なり「流」や「尾」をもたない。
(こ):飲酒器。殷前期からみられ、殷後期に流行。西周時代前期には他の器種に取って代わられる。爵とセットで出土することが多い。全体に細長く、口縁部、胴部、脚部に分かれ、口縁がラッパ状に開く。
(し):飲酒器。殷後期に加わった器種で西周前期まで製作された。觚よりは器体が太く下ぶくれになる。
(かく):温酒・飲酒器。殷前期にはわずかな出土例。爵に似るが「流」をもたない。出土例が少なく、特殊な器であったと推定される。
(か):注酒器。筒状の注口と把手を有し、3本ないし4本の足がつく。蓋を伴うものが多い。欝金草の煮汁を作り、酒と調合するための器と推定。
(そん):盛酒器。「尊」は本来は酒器全般の総称であるが、古代青銅器の分類では、上方に向かってラッパ状に開いた広い頸部を有するものを尊と呼んでいる。これには大きく分けて2つのタイプがある。「有肩尊」と「觚形尊」(脚部・胴部・頸部の3部分が明確に分かれる酒杯形の容器で、肩部がない)。
方彝(ほうい):盛酒器。数は少ない。断面長方形の身に四柱屋根形の蓋を有するもので、枓(酒を酌むための柄杓)を伴う例もある。銘文を伴う例によると貴族専用の器であった。「彝」は本来は祭器全般を指す言葉であり、「方彝」は、この種の容器の名称が文献にも器の銘文にもみられないことから、仮に名付けたものである。
(ゆう):盛酒器。提梁と呼ばれる吊り手を有するのが特色で、蓋を伴う。器形は「壺」に似たもの、筒型のものなどさまざま。提梁がつくことから、酒などの液体を持ち運ぶための容器と考えられる。蓋は身にすっぽりと嵌まるタイプで、密閉性が強いことから、保存用の容器ともみられる。動物を立体的に象った容器で提梁のついたものも卣と呼ばれ、鳥形卣、虎形卣などがある。
兕觥(じこう):注酒器。殷後期に集中的に作られ、以後は衰退した。身の部分はカレーソースの容器のような形で、一方に注口、反対側に把手がつく。必ず蓋を伴い、器全体の形は虎、象、羊などの動物を立体的に象る。出土例は少ない。
(こ):盛酒・盛水器。殷後期から造られ、西周後半から作例が増加し、盛酒器の主要器種となって戦国時代まで引き続き作られた。胴部が張り、口部が狭く、頸部が長く、双耳(持ち手)と蓋を伴うものが多い。器形はバラエティがあり、殷後期には断面偏円形の扁壺が流行した。
(ほう): 盛酒・盛水器。殷後期に集中的に作られた。広口で大型の盛酒・盛水器で、蓋を伴う(紛失している場合もある)。高さよりも横幅が広く、短い頸部と圏足を有する。肩の部分が広いのが特色で、肩に牛首、虎首、羊首などを付すものが多い。小型のものはない。
(らい):盛酒器。殷後期からみられ春秋時代以降まで長く製作された。壺や瓿と似るが、丈が高く、口部が小さく、頸部が短く、壺とは逆に器の上部の径が太く、底面が狭いのが特色。

<食器>
(てい):煮食器。肉類を煮るためのもので、鍋形の身に三足を有し、上部には一対の持ち手を有する。単なる鍋ではなく、権威の象徴とされた。西周時代には身分に応じて所持できる鼎の数が決められており、同形・同文様で大きさの異なる鼎をセットで揃える「列鼎」が作られた。周王室に伝わった「禹の九鼎」は特に有名であった。
方鼎(ほうてい):煮食器。羊等の犠牲獣を神に捧げるための器で、もっぱら宗廟で用いられた。そういう用途から巨大なものが多い。
(れき):煮食器。土器としては新石器時代から。青銅器としては殷前期から登場。殷代には少なく、西周中期から盛行し、春秋時代以降まで長く製作される。器形は鼎と似るが足は中空の袋状になっている。
(げん):煮食器。下部は鬲、上部は甑(そう、こしき)で、中間に簀子(すのこ)があり、蒸気によって食物を蒸すためのものである。殷後期に出現し、春秋時代以降も製作されるが、あまり広く普及しなかった。
(き):盛食器。殷後期から現れ、春秋時代以降まで長期にわたり製作された。調理した穀物を盛るための断面円形の椀状の容器で、身が深く、圏足がつく。蓋や双耳を有するものもある。西周時代には方形の台座を有する儀礼的なものや、口が狭くすぼまった器形のものも登場する。口の狭いものには器面全体に平行線状の文様(瓦文という)をつけることが多い[34]。
(ほ):盛食器。西周後期から戦国時代まで製作されるが、数は少ない。平面長方形で身と同形の蓋を有する。蓋は逆さにすれば食器としても使える。
(しゅ):盛食器。上記の簠を隅丸形にしたもので、西周時代後期から春秋時代中頃まで製作された。数は少ない。
(う):盛食器。広口の鉢形の身に高台と把手がつくもので、簋に似る。殷後期から西周中期にのみ製作され、数も少ない。
(とう):盛食器。高脚を伴う高杯状の容器で、身の部分は浅い皿状。穀物、スープ、漬物などを盛った。土器としては新石器時代から存在し、青銅器としては西周前期からあるが、増えるのは西周後期以降で、戦国時代まで製作された。春秋時代後期からは細長いフォルムになり、蓋付きとなった。
(たい):盛食器。球体を二分割して、それぞれを蓋と身とした形の容器で短い足がつく。他の器より遅く、春秋時代中期に現れ、戦国時代後期まで製作された

<水器>
(い):水器。手を清めるための水を注ぐための器。注酒器の兕觥が原型。西周時代後期以降、水器に用途が変わり、高台の代わりに四足がつくようになった。盤とセットで戦国時代まで作られた。
(ばん):水器。匜から注いだ水を受けるための器。殷後期から戦国時代まで製作されている。
(かん):水器。大型で深い水器。登場は他の器種より遅く、春秋時代中期から戦国時代に製作された。氷を入れて食物を冷やす、行水用などの用途があり、水鏡としても使われたという。

<楽器>
(しょう):打楽器。上部に吊り手があり、下端は深い弧線を描く。日本の梵鐘と異なって断面は円形ではなくレンズ形である。単独ではなく、大きさと音階の異なる複数個を組にして「編鐘」として用いた。西周時代から戦国時代に作られた。
(はく):打楽器。鐘に似るが、下部が弧線でなく直線になったもの。春秋時代中期から戦国時代に作られた。湖北随州の曽侯乙墓出土の編鐘は鐘64点、鏄1点からなるセットで、これらの総重量は約2.5トンである。
(どう):打楽器。殷代から存在した、下方に柄がついた「かね」で、手に持って打ち鳴らす。
錞于(じゅんう):打楽器。中空で底のない円筒で、上部がふくらんでいる。

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