インターネット、SNSの動きは宇宙の動向と密接に関わっているとアラブ君が語る。

2017-11-26 23:45:23 | ガイドと質疑応答 記事
今日インスタグラムを眺めていたら、通知が来て私の曲の動画ポストにイイネしてくださった方がいました。
インスタグラムでは初めてです。
嬉しいなー。

ところで、インターネットにはフェイスブックとかインスタグラムとかツイッターとか色々なソーシャルネットワークがありますけども、皆さんはそこでフォローしてたりされてたりする人々全員と知り合いですか?
知り合いに限定してSNSを使われる方もいらっしゃるようなのですが、私の場合、特にインスタグラムは全然知らない外国の人ばかりをフォローしており、私をフォローしてくださっている少数の人々も、全然知らない外国の人ばかりです。

フォローしているのは大半が有名人のアカウントなのですが、たまに、特に有名人というわけでもなく、たまたま私のポストにイイネしてくださった普通の人もいらっしゃいます。
その方が私をフォローしてくださってたりもします。

ツイッターもほぼ同じ状況で、こちらはフォローしているのは日本人と外国人と半々というところなのですが、ほぼ全員知らない人々です。
フォローしてくださってる方も同じ状況。

前々からこの辺りのことを疑問に思っていたので、今日はそれをアラブ君に聞いてみたいと思います。
どの辺りのことかというと、「袖振り合うも他生の縁」と言うじゃないですか?
少しでも関わりのある人は過去生からの縁なんだということですが、昔なら、袖振り合っただけとしても自分の地域の人だということが多かったと思うんですよ。
でも今って、こうやってSNSで、全く行ったことのない外国で想像もつかない生活をしている、自分の周囲には絶対にいないタイプの人々と少し関わりができたりするわけじゃないですか。
これって、スピリチュアル的にはどういうことなんであろうか、という疑問なんです。

だって私がフォローしている人の中には、アメリカの中部に住んでいて、迷彩服を着た野郎どもと一緒に原野で毎週のように狩りに興じるのが生きがいという男性もいて、あまりにも自分の周囲にいない人種すぎて思わずフォローしてしまったんですが、ほんと、欠片も共通点がないんですよね(笑)
凄いマッチョだし、典型的アメリカンな笑顔だし…(精神構造が日本人と根本的に違うという顔)。
こういう人々と「多生の縁」があるとしたら、それは一体何なのかとっても興味があります。

あと最近は、特に有名人というわけじゃなくても、フォロワー数が結構多い方とかいますよね。
私もツイッターの方はフォローしてくださってる方100人くらいいますが、ツイッターで100人って全然少ないですけど、自分に曲がりなりにも少しは興味を持ってくれている人が100人って、ネットが無い時代は考えられないです。
住んでる地域でその状態になると、地域のスターですよ。
これが1000人、10000人規模になると、それはスピリチュアル的には一体どういうことなのか?

マイケル・ジャクソンレベルの有名人になると、その人は人の感情エネルギーを集めるという役割を持って生まれてきている、その為に色々な人の魂の一部を少しずつ集めて創られた特注品の魂だということを、以前アラブ君は言っていました。
しかし今ではマイケル・ジャクソンレベルではなくても、フォロワーが10000人を超える方というのはざらにいらっしゃいます。
そういう人は多分、特注品の魂というわけではないだろうと思うんですが…。


私「アラブ君、インターネットのソーシャルネットワークで繋がりができる場合も、「袖振り合うも他生の縁」ということなのかな?」

アラブ君「そういうことだね」

わ「やっぱりそうなんだ。それって、ツイッターとかインスタグラムで、ただフォローしているだけとか、フォローされているだけとかいう関係でもそう?」

ア「ただ見ているだけの関係だと過去生からの関係があるというわけではないよ」

わ「あ、そうなんだ。えーと、じゃあどういう場合だと過去生からの縁ということになるのかな?」

ア「イイネしたりコメントしたり、何らかのアクションがあった場合だね」

わ「ふーん…。一回イイネしてくれたけどフォローはされてなくて、それっきりという場合は?」

ア「それも過去生の縁だよ」

わ「ほお。フォローするのはアクションには入らないの?」

ア「入らないね」

わ「ふーん、違いがよくわかんないなー」

ア「君のその理屈で言うと、テレビに映ってる雑踏の中の人々はみんな過去生からの縁なのかということになってしまうよ」

わ「ああ、なるほどね。でもそれでいくとさ、雑踏の中の人々というのは、ネットでページを見たけど見ただけで通り過ぎる場合、フォローするというのは、雑踏の中の1人に興味が向いてその人のことをじっと見てる場合みたいな違いがあるんじゃないのかな。興味が向くというのは、過去生からの縁じゃないの?」

ア「もちろんそうだよ」

わ「あれw でもフォローするだけというのは過去生からの縁じゃないのか」

ア「興味を持ってたら過去生からの縁だね」

わ「フォローしてても興味を持ってなかったら過去生からの縁ではないってこと?」

ア「そういうことだね」

わ「ほお…。それはあれかなー、インターネットやテレビがなかった時代でも、なんか向こうの村に住んでることは知ってるしたまに見かけるんだけど話したことないし興味もない、みたいな人は過去生からの縁ではなくて単に居合わせた人ってことか」

ア「その通りだよ」

わ「へええー。単に居合わせるのはなんでなの? 同じクラスタとか?」

ア「違うよ」

わ「単なる偶然?」

ア「そうだね」

わ「うーん。今はどうして、単なる偶然で出会う人の数が多くなってるのかな? インターネットしてると、それこそ膨大な数の人のページを通り過ぎるよ」

ア「より多様な目的で生まれてくる人が多くなっているからだよ」

わ「ほお…。昔は生まれてくる目的が今ほど多様じゃなかったのか」

ア「よりたくさんの人のエネルギーを取れ入れようとしているんだよ」

わ「そういう時代になってきたってこと?」

ア「そうだね」

わ「今来てるホログラムさ、美しいんだけど、解釈と言語化が難しいんだよね。もうちょっとわかりやすくなんないかな(非常に美しく色彩豊かな3Dのプラネタリウムの中心に星が集まっており、パルスのように星と星の間が複数繋がったり消えたりしているホログラムです)」

ア「一つの魂がより色々な情報を得ようとする時代なんだよ」

わ「ああ、魂としての体験がどんどん加速する時代なのかな」

ア「それだよ」

わ「やっとわかりやすい言葉になったわ、ありがとう。昔はじゃあ、魂の目的というのが今よりも限定されていることが多かったということなんだねえ」

ア「というより、個人のカルマを解消することにより重点が置かれていた」

わ「じゃあ今は、カルマよりも体験の加速の方に重点が置かれるようになってきているということか」

ア「そういうことだね」

わ「じゃあ、より解放された魂が増えてきているということだね」

ア「いや、カルマは昔も今も変わらないよ。地球の体験の場としての性質が変わってきているんだよ」

わ「ほお…それは面白いね。それってさ、アラブ君や牛くんたちがたびたび言う「我々が地球を取り戻す」「地球を元々の実験の場に戻す」というのに関わってる?」

ア「関わってるよ」

わ「アラブ君たちのそれが成功してきた結果、地球の体験の場としての性質が変わってきているということかな」

ア「その通りだね」

わ「なるほどー。こういう変化かー。カルマを解消するための場→色々体験するための場、みたいな。ということは、今までは地球に入るとカルマにとらわれちゃってなかなか人間やめれなかったというのも、なんか乗っ取りがあって変質したせいだったんだねー」

ア「人間がカルマに囚われるようになってしまったこと自体が、変質のせいだったんだよ」

わ「ほお。カルマを延々とやる、つまりネガティブな感情エネルギーを延々と生み出すように変質した、ということかな」

ア「怒りの感情エネルギーを、だね」

わ「あれ、カルマって怒りの感情エネルギーのことだったの」

ア「そうだよ」

わ「怒りは人間に必要ないものだって言ってたのはそういうことか。元々あるものじゃなかったんだ」

ア「元々あるものではないね」

わ「今少し悲しみみたいな思念が来たね」

ア「怒りの感情は螺旋の減少に関わっているんだよ」

わ「インターネットの広まりにこんな宇宙的な意味があったとはねー。じゃあもう一つの疑問にうつるけど、フォロワーがたくさんいる一般人というのは、スピリチュアル的にはどういう意味があるのかな? マイケル・ジャクソンとかみたいな、1人で100万人を一つの会場に集めちゃうみたいな人は、感情エネルギーを集める役割を負っている特殊な魂だって前言ってたでしょ。それとは違うよね?」

ア「違うね」

わ「うーんじゃあ何だろ。よりたくさんの人が情報取りたいと思うような人ってこと?」

ア「波の頂点だよ」

わ「はい?」

ア「パルスが瞬間的に集まる場所」

わ「情報のやりとりが色々動く中で、瞬間的に密度が濃くなった場所にたまたま居合わせた人ってことかな」

ア「そういうことだね」

わ「じゃあ特にその人が何かの流れを象徴しているからとか、スピリチュアル的により影響力のある魂だからとか、そういうことではないんだね」

ア「密度が濃くなる場所にたまたま居合わせること自体が、流れを象徴しているよ」

わ「色々ある流れの1つをその人が象徴しているってことかな」

ア「スピリチュアル的により影響力があるということではないね」

わ「そこは違うのね。うーん、じゃあさ、ツイッターとかインスタグラムとブログはちょっと性質が違うじゃん? ブログランキングとかで1位になるような、読者が沢山いるブログを書いてる人っていうのはどうなの? それも、ツイッターやインスタグラムでフォロワーが多い人のように、密度が濃くなる場所にたまたま居合わせて流れを象徴している?」

ア「そういうことだね」

わ「ふーん。じゃあさ、スピリチュアル系では今人気があるブログっていうのは一定の傾向があるように思えるんだけど、それはどういう流れを象徴してるの?」

ア「感情エネルギーを煽る流れだね」

わ「そういう流れもやっぱりあるんだよね。前、「自分は特別だという感覚を煽って人を集めると、人気にもつながるよ」って言ってたもんね」

ア「色々な流れが同時多発的に起こっているから、一つに囚われることなくそれらを俯瞰できるといいね」

わ「あ、はい。なかなかそういうの難しいけどね、やっぱり感情エネルギーを煽る系のブログ見ると、感情エネルギー煽られちゃうからね(笑)」

ア「それはそれでいいんだよ」

わ「おお。煽られても俯瞰できてればいいのね」

ア「そういうことだよ」


…ということでした。
なかなか面白い内容になってますね。
ここでも螺旋の話が出てきていました。螺旋の減少と怒りの感情は関係があるとか…。

インターネットの動向というのは、思った以上に宇宙的な動向と関わっているようです。
なんかアラブ君たちは、地球奪還計画のために色々布石を打ってたようですねー。
それが芽を出して成果をあげてきたのがインターネットということらしいですね。
誇りを持ってネット三昧することにします(笑)

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