心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

子育て応援ブログ 『社会の諸制度は何のためにあるのでしょうか?』

2012年04月07日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「教育の開かれた空間=『夜間中学』」



★著書より★ 
1. 私たち一人ひとりが基本的人権の担い手、主権者である人間として扱われる。みんなが第一人者なのです。
  ところが、そういう扱いを日常私たち日本人が受けているかというと、日本人の人間関係には上下関係があったり、互いに関心がうすくバラバラでしょう。
2. 改革の原点はマネーではなく人間です。
3. 子育ては一期一会。何かワンパターンのマニュアルがあるわけではありません。ヒトにとって「教える」ことは、もちろん重要な用件ですが、主要には、自らの選択が自分の人生をつくるものだと思います。
4. 私は、「教育」というのはどうも誤訳ではないかと考えています。本来の意味は「引き出す」こと。つまり、その人その人の持ち味を引っ張り出すというのが、市民社会における教育の意味なのです。

 

■私の学び■
 現在の日本では、「人が生きる、生活する」という根本的なことがあまり重視されていないように見受けられます。

  政治は政局に時間を浪費し、経済はGDPが上がったや下がった、仕事もお金を稼ぐことなどに注力し、その地域に住んで暮らしている人の顔は、ほとんど見えてきません。何のための諸制度(政治、経済、教育、企業、法律)であるのか時々おかしいなと思います。

 会社が利益を出さなければならないのは、お客様によりよい商品・よいサービスを提供するためであり、そのことによって家であれば住んで頂く人たちに幸せになってもらわなくてはいけないからです。

 そしてさらにそこで働く社員の方々や関係者やその家族にも幸せになってもらわなくてはいけません。




 だからこそ、一人ひとりが一生懸命仕事をして一人でも多くの人に幸せになっていただくというのが、社会人として、働く人としての使命ではないでしょうか?

 教育の本来的な意味は、教え育てるということではなく、その人の持ち味を引き出させるということですね。そして、その人が自分の持ち味を発揮して社会に役立つということです。

 こんなことを意識して子育てができるといいですね。

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子育て応援ブログ 『教育の基本理念と親の役目』ということは?

2012年04月02日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「孤独化の現象=無機化する社会」から



★著書より★ 
1. 何でもお金で済ませる時代になった。すなわち、他の人とかかわらなくてもいい、かかわりたくないという風潮、人間関係に進んでいきました。

2. 金融危機は、一部のニューヨークの悪者がマネーゲームをやったからだと人々は考えますが、世界中の一般のささやかなサラリーマンまでがちょっとお金がたまれば株や利回りのよい投資先へという雰囲気にのせられました。

3. 「労働市場」という言葉は、人間まで商品として市場で取引される、そのような状況というのは、人間という有機的な生命体というものまでも無機化し、社会全体を無機化した状態にしてしまった。

4. 他方、戦前以来、人々のつくり出してきたかつての「社会保障」制度というべき、家、集落、地域共同体はどんどん解体されて、孤独化現象が進行しました。



■私の学び■
 人が死んでも保険金というお金で解決することができるようになりました。お金が絶対的な力を持ち始めました。お金より大切なものがたくさんあることを子どもたちに伝えなくてはなりません。

 お金でお金を稼ぐ方法が、何故、考え出されたのでしょうか?
 資本主義の発展の本質:お金もちがその座を降りなくてもよくするために考え出された手段ともいえるのではないでしょうか。

 人間の価値を仕事ができるか、できないかだけで判定する風潮がある。組織においては、他の美徳も注目されるべきでしょう。
 例えば、みんなをまとめることができるとか、調和を図ることに長けているとかです。いつもニコニコしていて、雰囲気を和らげることができるとか。

 人は自己創出力があるからといって、一人で生きていけるものでも、勝手に育つものでもありません。
 周りのものが、気遣って面倒を見るということが大切です。
 その際に重要なことは、面倒を見られるほうも、気遣いや教えに対して、謙虚さやすなおさです。それらが欠けると、周りの環境に適合して成長していくことが難しくなります。



 国の年金制度や医療、老人介護、障害者補助などがあてにできなくなってきた今、自分たちの有機的力でそれらを保障しなければいけなくなってきたような気がします。

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子育て応援ブログ 『教育の基本理念と親の役目』ということは?

2012年03月31日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「教育は演出、学校は劇場である」から




★著書より★ 
1. ヒトにとっての教育は、一人ひとりの生存権としての学習権の充足という仕事であり、まずヒトの学習要求にそって働きかける、助成する地位にあるといえる。

2. 教育は所詮その子、その人の自ら変わる力への信頼に始まり、一人の子どもとのかかわりの中で、その展開する自己形成のドラマを助ける演出活動である。

3. それは一期一会いちごいちえの出会いの連続だから、演出の自由を本義とし、それを保障するための法律や制度、条件整備こそが必要であろう。

4. 教育の基本理念はあくまで一人ひとりの自己形成力に基づく持ち味を発掘し、その持ち味に応じた社会的部署を得て「ひとなる」ことを保障する道をさぐることである。

5. 次世代にどうしても教えたい文化をどうしたら次の世代が獲得し、再創造していくことができるかは、種の持続としての教育の中心課題であることは間違いあるまい。



■私の学び■
・あくまで教育というのは、介助または演出役で、主役はその子が自ずから持っている自分を創っていく力の手助けをするということであり、決して強制してはならないということです。

 かといって、一人の子が、社会の中で自立して生きていくことは、並大抵のことではありません。自分の能力を最大限に伸ばすこと、社会のルールを知ること、自分以外のことを知ることによって自分の立ち位置を知ることなどは、ものすごいエネルギーが必要かと思います。

 但し、人間は一度、自覚するとたいへんなことが、たいへんでなくなることも確かですね。そういう意味では、生きることは楽しいのかもしれません。
 それを上手く誘導するのが、親の役目であり、年長者としての役目だと思います。

 このことを自覚していなくて、自分が自分の人生をこの世で自由に楽しんだらいいとだけ考えるのは、片手落ちだと思います。次の代にきっちりと大事なことは伝えなければなりません。

・子どもに対して直接、「勉強しなさい」というのではなく、勉強に興味を持つように環境整備を行い、つまずいたら、きめ細かに相談にのることが必要です。世界を広げていくのも教育の役目の一つかもしれません。

・ 「ひとなる」という意味と新・旧教育基本法の「人格の完成」というのとどう違うのでしょうか?

・ 「ひとなる」というのは、「人間が人間になる」という意味だと思います。だとすれば、どのような状態が人間になるということでしょうか?また、どうすれば私たちは人間になることができるのでしょうか?

・ それは、肉体的には遺伝子情報の入ったDNAのとおりに人間は大きくなっていきます。



 その過程で、外部からの情報受信、外部への情報発信をしながら徐々に生きるということを学びとります。外部からの情報は、教育的なものと教育とは関係なく自ら意図的に或いは意図せずに受発信します。その量は莫大なものです。

 自然に外部の影響を受けながらも、自分は自分の感覚で情報整理をし、自分を自分流に社会やまわりに適応するように学び変化していきます。
 そして一瞬、一瞬自分であらゆることを理性的に、経験的に、感覚的に、時には気分しだいで理性の真逆のことを選択したりして、自分を創っていきます。
 そして、その内に自分の持ち味を見つけ出し、そのことによって、社会での役割を担うようになっていきます。

 

 そして大人になると次の世代が社会に適応し、さらに社会を持続できるように教育するこができるようになることが、人間となるということでしょうか?

・ ここでは、学びの質には触れていませんが、人間が人間になるのには、人や自然と接することも重要ですが、歴史や社会のしくみを学ぶこと、ものの見方・考え方を学んで、宇宙視野で自分の立ち位置を知るということが決定的に重要です。

・ でも誰もがこうできるとは限りませんし、一人の人間が生きていくのに真理や普遍性、本質など深めなくても生きていけるかも知れませんね。
 ただこうなると、ものごとの善悪がなおざりにされ、社会の質が劣化することは十分予測されます。

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子育て応援ブログ 『人間にとって文化とは』なんでしょうか?

2012年03月27日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「ヒトの文化の原初を考える」から



★著書より★ 
1. ヒトが人として育つことの基礎には、0.1ないし0.2ミリの受精卵からの発生の過程がある。
 そこから六〇兆ともいわれる大人になるまでの細胞の旺盛な複製と更新、各臓器への機能分化があり、そういう生理的プロセスが、遺伝子をのせたDNAの中に組み込まれたプログラムが、環境刺激との関係で展開するのであろう。

2. 生物の器官の進化と、人類の文化の進歩が、環境への適応という点で相似たところがあることを認めながらも、両者の違いを、人類の文化による環境適応の装備と、動物の長い時間をかけた自らの身体変化による装備とのあいだに一線を引くことを試みている。(V・ゴルドン・チャイルド『人間は人間をつくる』より)

3. チャイルドは、野生のヒツジがあつい毛皮とやわらかい毛におおわれて、山岳の寒い気候に適応しているのに対し、同じ気候のもとで、人間はヒツジの毛皮や、わた毛のコートで生存できる、などさまざまの動物とヒトの環境適応装備の比較によって、前者は遺伝に、後者は遺伝によらず、出生後の教育(学習)によると主張する。

4. この考えによれば、文化とはヒトが身体外に創り出す適応装置だということになる。

5. 漆の活用(縄文時代)にみられるように、「かぶれる」という感覚のうえでの抵抗(バリアー)を乗り越えて、つまり生活欲求の問いかけに対して、それを満たすための手だてが考え出されたという事実がある。

6. バリアーに対して、反射的に回避することなく、思考という迂路(遠回りのみち)を介して、生活欲求を実現するための一種の道具の発見である。

7. この迂路、思考は、文化が創造されていくプロセスである。

8. 他の生物の行動の中にも選択思考のきざしが見られるのだから、文化の起源も深く他の動物にも見られるが、ただ身体以外に道具を作り出すのには、より高度の工作知を必要とすることは確かだろう。


■私の学び■
 ここから学べることは、
 人間の歴史は何であったか?
 人間の本質的な営みは?
 人間の文化とは?
 その中での仕事の役割とは?


 人間の歴史の本質が、文化の創造(遺伝によらず身体の外に創りだす環境への適応装置)であるならば、私たちの仕事も、その進化・発展の過程の(歴史の)頂点に立ち、さらに使い勝手のよい商品やサービスを創りだすこと、そしてそれらを生み出す道具や、方法を考えること、すなわち仕事をすることが、人間にとっての本来性であると思います。




 ただ、物質的なものだけではなく、人類が仲良く共生していけるようなことをするのも、忘れてはならない仕事の一つだと思います。

 そういった意味では、仕事とは、人間が生きていくためには必要不可欠のものであり、決して受身のものではなく、積極的になすべきものであって、人間を災害や重労働から解放していくものであるとも考えられます。

 但し、文化の発展に役立とうと思えば、人間が本来持っている学ぶ力と、周りからの示唆や介添え、すなわち、教育が必要となってまいります。

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子育て応援ブログ 『現代文明の病理とは』ということは?

2012年03月26日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「学問→教学→教育への転化=明治政府の対応」から



★著書より★ 
1. 「教育」という言葉が、法律の名として登場するのは、一八七九年(明治一二年)の「教育令」が最初。

2. 元田永孚ながざねの起草といわれる「教学聖旨」(教学大旨)の公布。「学問」にかわって「教学」がとり上げられることになり、これが「教育勅語」に通底し、「教育」に対する人びとの一定通念として、一九四五年の敗戦に及ぶことになる。

3. これに先立つ文明開化時期には、一八七二年(明治五年)には「学制序文」(学事奨励に関する被仰出書おおせいだされしょ)が発布された。

4. この「学制序文」には「教育」という言葉はまったく用いられていない。「学問」ないし「学」が繰り返し用いられている。

5. その「学問は身を立てるの財本ざいほんとも言うべきものにして人たるものたれか学ばすして可ならんや」

6. 士人しじん(さむらい)の身分以上のものの中には、学問のことを「国家の為にすると唱え、身を立てるのもといたるを知らず」

7. 福沢諭吉もまた、自ら、『学問のすすめ』を世に問い、学問を通じての一身の独立を軸に、国家の独立を説いた。

8. その後、「学問」は「教学」を介して「教育」へと転用されることになる。

9. 教育と学問との関係を制度上明らかにしたのは、初代文部大臣森有礼ありのりである。


学問:勉学すること、学芸を修めること。
教学:教えることと学ぶこと、教育と学問。
教育:教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい社会の姿に変化させ、価値を実現する活動。


■私の学び■
 明治初期の「学問」は、自らが社会人として自立するために学ぶということと、国家の独立のために学ぶという、崇高な目的がありました。

 現代では、「学ぶ」ということはほとんど意識されず、「教育」という言葉が漠然と存在しているように見受けられます。といいますのは、教育基本法が、具現化されているとは考えにくいからです。


 旧教育基本法の一部を掲載します。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。



改正教育基本法の一部を掲載します。

 教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。


   第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。



とあります。いかがでしょうか?
 このようなことが、教育を通じて実現できているでしょうか?
 意味すら取れないところがあるのが、本音ではないでしょうか?

 一番重要なことは、社会をよくするために、自らが自主的に一生懸命学ぶことです。特に、仕事を通じて、知識だけではなく、他人と調和をして全体の質を上げていくことが、重要だと思います。

 子どもたちにも、教育基本法が何のためにあるのか、そしてそれはなにを目指しているのか、ぐらいは親や教師そして経営者として教える義務があるのではないでしょうか。



 教育基本法には、日本人が生きて暮らしをするなかで、人としてどうあるべきかが示されていると思います。せっかくよいものがあるのに、それが自由やお金やモノに価値を見出し、人間としての美しさが損なわれています。

 私たちは、今一度、精神の美しさを取り戻す必要があるのではないでしょうか?

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