矢・島・慎・の小説ページです。

「星屑」
    沖縄を舞台にした若者のやまれぬ行動を描くドラマです。
    お楽しみ下さい!

十三章

2005年04月01日 | Weblog
「和、警察はいないみたいね」
「今のところはな。だが最後まで気を抜くな」
 二人は待合室のベンチで、じっと椅子に座っている。捜査の網がかかることを承知の上での強行突破だったが、警官の姿させ見当たらない様子に安心感を漂わせていた。
 やがて送迎バスのガラス戸の向こうに着き、和昭らの乗船客はぞろぞろとバスに乗り込んだ。フェリーのタラップまでの数百メートルをバスに揺られる。
 バスを降りると、目の前に七千トンものフェリーが、バシャバシャと波音を立て横たわっている。乗客は一人一人、見上げるようなタラップを荷物を抱え登っていく。和昭と安江も、一歩一歩タラップを踏みしめた。 
 時に七月八日。少年鑑別所から逃走し丁度三ヶ月を数えていた。タラップを登りながら二人は、無我夢中の逃亡生活に思いをはせた。先のことなど考える余裕もない、終わりのない旅の途中であった。
 タラップの下では、見送りの子供づれが数組、黒い影となって見える。警官らしき人影はなく、緊張の汗をにじませていた和昭らにとって、信じられないほどの平穏さであった。二人の頬に潮風が涼しく吹き寄せる。タラップを上がりきり、二人は通路を奥に進み、二等客室に入る。
「安江、出航は八時だったな。いま十五分前だから、もうじきだ。デッキに行くか?」
「そうね、ここのフロアーは人目があるからデッキの方が安全かも」
 そう言って二人は階段を上がりデッキにでた。潮風が安江の髪を巻き上げながら吹きぬける。埠頭を見下ろすと、出航時の機械操作をする係員が忙しく動き回っている。その少し後ろでは、見送りをする数人が埠頭を照らす水銀灯の明かりの下で、盛んに手を振っている。乗船客が紙テープを埠頭に向かって投げると、紙テープの芯が埠頭のコンクリートに二、三度跳ね返り転がる。それを地上の人が拾いあげると、テープがピーンと張られ何色もの紙の架け橋ができる。
 フェリー・くろしおは七千トン近くの大きな船だが、その巨体と地上を結ぶ紙テープは、いかにもか細く感じられた。
「和、いよいよ出航だ」
「沖縄よさらば」
「あ! 美香がいる!」
「どこだ?」
「一人だけぽつんと立っている。ほら水銀灯の横」
「仕事休んでしまったのか」
「あ、私たちに気が付いた! 手振ってる!」
 和昭は自分の胸に熱いものがこみ上げるのを感じた。彼女だって一つ間違えば警察から追われるのだ。それを承知で手助けしてくれている。
 船はゆっくり岸を離れ始めた。出航のドラの音が、ガラーンガラーンと鳴ると、ピーンと張っていたテープが、一本二本と切れて、海面に落ちていく。たった一本、まだ切れずに繋がったまま風に揺れているのを見ると、早く切れてしまえと思う反面、いつまでもいつまでもと願いを込めてしまうのだった。
 船はスクリューで海水を慌しくかき混ぜ、白い泡を一面に作っている。見送りの手の振りが一層大きくはなるが、その姿は豆粒ほどに小さくなっていった。
 船は那覇新港を後にすると、小さな漁船の光が無数に彩る泊港沖を通る。その辺りから、和昭らの視野いっぱいに那覇の街明かりが広がり始める。デッキから見る光の大河のような帯は、まばゆいばかりに綺麗だった。
 二人は生暖かい潮風の逆巻く船上から、少しずつ遠ざかる街の灯を無表情で眺めていた。次の瞬間、二人は夜景の中にはっきりと、建物のシルエットを捉えた。
「和、見える?」
「鑑別所だろ、見えるぞ」
 船の進行と直角方向に波之上宮が見え、その海岸線を右にたどると、水銀灯に照らされた一角がある。それは、記憶の中にくさびで刻印を打ったように残る少年鑑別所の建物だった。
「逃げ切ろうね、和」
「当たり前だ、俺たちの子供のためにな」
「私たち、出発点に戻ったということね」
「察さえいなかったら、女の格好なんてしなくて済んだんだ」
「ほんとにしつこいよね、いい加減に諦めないのか」
「あいつら、俺たちを追っかけて飯食ってるんだ。簡単にはな」
 安江は和昭の腕にすがった。あの建物こそが、何とか手がかりと掴みかけた二人を突然打ち砕き、その後も影のように付きまとう不気味な存在だった。
 二人はいつもでの、その一点だけを見続けた。人生において、始まりと終わりが全く同一点に符号することがある。あの建物から始まった二人の逃亡生活が、今やはり同じ建物を目にしながら、新たな生活に飛び込もうとしている。だがそれは、苦痛と困難さに満ちた生活の始まりであった。
 船は沖にでるに従い横揺れが大きくなり、街の灯も星屑の一角に消え去っていた。
「冷えると体に悪いだろう」
 和昭の言葉に、安江はデッキの手摺を離れた。階段を降り、蛍光灯の眩しい船室を歩き、フロアー室に戻る。暫くして、
「まもなく船内消灯します」
というアナウンスが流れた。やがて蛍光灯とテレビが消され、薄暗い非常灯の明かりに包まれた。
 二人は、持参した握り飯を暗い明かりの下で食べたる。手作りのおにぎりは、具の美味しさも手伝い二人の食欲を満たす。と同時に昼間の疲れがどっと押し寄せ、二人は毛布の中で深い眠りに付いた。