矢・島・慎・の小説ページです。

「星屑」
    沖縄を舞台にした若者のやまれぬ行動を描くドラマです。
    お楽しみ下さい!

十二章

2005年04月01日 | Weblog
 那覇県警、知念刑事のデスクの電話が鳴った。
「はい知念です」
 電話は名護警察からだった。知念刑事の耳に名護署の係官のこえが響く。
「こちらは名護警察の宮城刑事ですが、昨日窃盗容疑の松田賢吉という被疑者を追跡したのですが、それは自損事故で死亡したのですが、身辺を洗っていると氏名手配犯に似た容疑者が浮かび上がってきました」
「名前は?」
「名前は久高芳郎。ただし偽名の可能性があります。久高と同居していたのがおりまして、そのものが身重というこどでして」
「何! 妊娠しているというのか? どのくらいだ!」
「五、六ヶ月だということです」
「いつからだ!」
「五月中頃だと」
「何だ! 金城だ! 金城に違いない。まだ遠くへは行ってないな。すぐそちらへ行く。そちらでも警官を動員して捜査に当たってくれ」
 知念刑事は顔色を紅潮させた。いよいよチャンス到来だ。受話器を下ろすや、すぐ部下に電話を入れる。
「ああ知念だ。名護署から金城和昭の潜伏情報があった。すぐ名護に行く、数名動向するものを準備させろ」
と指示を出すなり、椅子から立ち上がった。そのとき知念の電話がなった。
「はい知念です」
と答える刑事の耳に、刑事局長の声が聞こえた。
「急な事件が発生し、刑事全員その事件に当たってくれ」
「部長。あ、ただいま名護署から操車中の指名手配犯についての有力な情報がありまして、捜査に向かうところでありますが」
「具志川で中国人が殺されたんだ。外国籍が絡んだ事件だから、県警として迅速に解決せねばならん。東京の本庁からも念をおされているんだ。すぐ具志川に向かってくれ」
「はあ、しかし名護の方も……」
「いいから、具志川へとんでくれ」
「ハッ! 部長。了解しました」
 見る見る知念の表情がこわばった。警察において上司の命令は絶対である。受話器をおく知念刑事の顔がゆがんだ。
 知念刑事は周りの刑事に、具志川行きをしぶしぶ指示する。和昭らにとって、具志川の事件発生は、何ともタイミングがよかった。通常なら那覇空港を始め、港、道路に一斉検問が貼られるはずだった。
 那覇署の捜査員の殆どが、具志川の事件捜査に派遣されたのだった。

                 *

  昼過ぎ、三人は遅い朝を迎えた。時計は十二時を過ぎている。
「さあ、今日は大事な日だ。起きてしっかり食べて」
 最初に身支度を整えた美香は冷蔵庫から食材を取り出し、ブランチの用意をした。起き上がった安江もジーンズにティーシャツ姿で、美香を手伝う。テーブルに三人分の食器を並べると、和昭が椅子についた。
 和昭はスカートを履き、女もののシャツを着ているが、ウイッグはまだ頭に乗せてないので、アンバランスさが目立つ。
「和昭さん、飲み物は?」
 そう聞く美香は、笑っては彼に対して失礼だという抑制が働き、ぐっと口元を引き締める。
「コーヒーを」
 ぼつりと答える和昭に、安江はコーヒーを注ぎながら、
「髭が伸びてるよ。食べたら綺麗にそって」
と注意を与える。
「たしか時刻表にフェリーの出港時間が書いてあったと思う」
といいつつ、美香は時刻表をめくった。
「午後七時二十分だ、大阪行きのフェリーが那覇新港をでるのは。だから六時には港に着けばいいな」
「どのくらいかかるの? 那覇から大阪まで」
「一日半ぐらいだろ」
「じゃあ何色もの弁当をこさえなくちゃね」
 美香は準備の余念がなかった。
「ねえ、いるもの今のうちに書き出しといて。食べたら買い物にいくから」
「悪いわ、でも助かる」
 安江はそういいながらブランチを食べ続けた。
 食事後、本土への船旅の準備に三人はそれぞれの支度にかかっていた。

真夏が近づく頃、糸満市では糸満ハーリーが催される。海の安全を願う漁民たちが、龍を形どり極彩色に塗り上げられたサバニと呼ばれるクリ舟に乗り、両手に手漕ぎの櫂を握り、鉦や旗の拍子に合わせ、速さを競う勇壮な行事である。沖縄では糸満ハーリーの声をきくと、そろそろ梅雨が明けると言われる。
 沖縄の夏は非常に暑い。既に時期を過ぎたアジサイは薄茶色にしおれ切り、ギラギラ燃える太陽が照りつける。
 この季節を迎えると南の島は白く輝く街に変わる。石畳の上に落とされる軒の日陰は、周りの白壁からの照り返しを受け、全体が白く浮き上がったコントラストをつける。
 空は黒青色に晴れ上がり、紫外線を雨を降らす。街中を吹き抜ける風は、たっぷりと水蒸気を含み、昼夜の境目なく蒸し暑さを運んでくる。春先に鮮やかな紅色を際立たせていたハイビスカスやデイゴの花は、この燃える季節を迎え、葉も花もかすんでしまう。
 その太陽も、西の空に沈みあたりは夕暮れ時のしじまに覆われていた。
「ねえ美香、この辺で降ろして。港まで歩くから」
「どうして和江、フェリーの乗り場まで送るよ」
 助手席の安江と運転する美香が話す中に、後部座席に座る和昭は、
「そうだよ美香さん、ありがたいけどもし警察が張っていたらややこしいことになるから」
「何いってるの、大丈夫だよ」
 なおも車を走らす美香に安江も、
「ほんとにここでいいから。美香の親切さは一生忘れないからね。ともかく車止めて」
 止む無く美香はコンテナの積み上げられた倉庫街の脇に車を止めた。緑色のコンテナが夕暮れの景色の中で唯一の色彩だった。
「ほんとにここでいいの、安江?」
「ありがとう美香、何とかやりきるから」
 安江と和昭はカバンを手に、車を降りる。暗闇の中で女装した和昭の顔が不気味に見えた。
 バターンとドアを閉め、歩道に降り立った二人は足早に暗闇に消えた。
「安江、察の姿が見えたら手で合図を出せ。もし察に追われたら、どこか落ち合う場所を決めるか?」
「和、ここまで来たら何が起こっても一緒にいよう。私を離さないで」
「分かった。逃げ切れなくなったら腹くくるか。で、どっちだフェリーの乗り場は?」
「向こうに茶色の建物がうっすらと見えるだろ。その向かい側」
 安江は前方を指差しながら和昭の顔を見て笑った。ウイッグに薄化粧の和昭は何とも不美人なおばさんにしか見えなかった。安江は地味な柄のワンピースを着て、パンプスを履いている。しかしくっきりした目鼻立ちは、和昭と対象的だった。
「和、宏志の裁判、どうだった?」
「七年の求刑だ。裁判所の馬鹿野郎が」
「七年もか……。執行猶予とかは付かないの?」
「実刑だ。奴等、前科のある者には容赦ねえんだ。ブタ箱に放り込むのが奴等の仕事なんだ」
「次の裁判はいつ?」
「秋には最終判決が出るってことだ」
 和昭は歩きながらバッグから新聞の切り抜きを取り出し、安江に渡す。安江は薄明かりの中で目を通した。

  四月十日早朝、現在逃走中の金城和昭と共謀し、那覇少年鑑別所に押し入った
  大嶺宏志。罪状、被拘禁者奪取、逃亡ほう助及び暴行、建造物侵入、職務強要、
  銃刀法違反。検察側求刑、実刑七年。

 安江は新聞を和昭に返すと表情を曇らせた。安江の腹は人目からもそれと分かる程大きくなっていたが、こうやって二人が何とか無事でいられるのは、宏志の手助けがあってのものだった。
 恩人の宏志が、何年もの間、刑務所暮らしを送ることになる。また同棲していた里美のことを思うと、安江の胸は痛んだ。今二人は沖縄の地を離れ本土へ渡ろうとしているが、後ろ髪の引かれる重いでもあった。
 やがて二人は那覇新港フェリー乗り場に着いた。もう一歩で頂上にたどり着く登山者のようにい二人は慎重に辺りを伺い、ただ無事に通り抜けられることだけを念じた。
 夕暮れ時の辺りはまばらな人影を見るだけであったが、和昭はなおも注意深く周りを見渡した。幸いパトカーや警官の姿は見かけなかった。二人は乗船所の建物をくぐってホールに入った。
 ホールは中央に、二十脚ほどのベンチが、時間待ちの乗船客ように置かれていた。その向こうにはガラスドア越しに港が見えた。海に突き出た埠頭に大きなフェリーが横付けされている。和昭はその光景に一瞬胸の興奮を覚えた。ホールでは既に十数人の待合客がベンチに腰を掛け、出航の時間を待っていた。
「和、切符買ってくる。ここにいて」
 和昭は、俺が行こううか? という表情を投げるが安江は、大丈夫というゼスチャーをとり、切符売り場へ歩く。ホールの隅にある乗船切符発売窓口で安江は、
「大阪まで二枚」
と、窓口のガラス越しに言うと、係員はカウンターの上に置かれた用紙を指差し、
「その用紙に、住所、お名前、年齢、それと行き先を書き込んでください」
と、上目づかいに言った。安江はボールペンをとり、適当な住所と年齢を記入したが、名前をどう書こうかと迷った。男の偽名を書こうかと思い、「あ、そうだ。和は女だった」と気づき、自分の友達の名前を書き込んだ。
 安江が二人分の船賃と申し込み用紙を窓口に出すと、係員は乗船券二枚を紙ケースに入れ、渡した。
「七時二十分ですね?」
 そう念を押し、安江はバッグに納め、ホールのベンチに座る和昭へ歩いた。少し離れて和昭を見ると、確かに女には見えたが、肩の線が角ばり何となく不自然さを感じる。それにウイッグをつけ化粧をした和昭の顔は、やはりおかしかった。
「和、七時二十分に船までのバスが出る」
 そう言って和昭の隣に座った。