矢・島・慎・の小説ページです。

「星屑」
    沖縄を舞台にした若者のやまれぬ行動を描くドラマです。
    お楽しみ下さい!

十四章

2005年04月01日 | Weblog
 フェリー・くろしおは太平洋を北上した。船につけられた名前のとうり、海原を北上する帯状の黒潮に乗って本土を目指す。
 和昭らは昼間はフロアーに横になり動かなかった。安江は船酔いにあわないよう、丸い窓から限りなく続く海原を眺め続けた。ときどき窓の外の海上を、飛び魚の群れが飛び跳ねた。
 夜が来るとデッキに上がりベンチから夜空を眺め、新鮮な空気を浴びた。出航して三十六時間後に神戸港に寄っていた。一時間の停泊の後、最終寄港地大阪へ向け朝の海原に船先を向けた。

 フェリーは千キロの航海を終えて、大阪・かもめ埠頭に長旅に疲れた船体を着けていた。タラップが降ろされ、和昭と安江は本土の地を踏みしめた。二人にとって初めての本土の土面だった。地上には、近くの地下鉄駅までの送迎バスが待ったいた。二人は満員の乗客に紛れ座席に着いた。
 バスは整備された道路をひた走り、地下鉄駅で止まった。二人は先頭をきってステップを降り、小走りに駅に入る。
「安江、トイレはどっちだ?」
「そんなに急がないで。私は身重なんだから」
「はやくこのウイッグをとりたくてな。もう、うっとおしいんだ」
「分かった分かった、あそこにトイレの看板が出てよ」
 和昭はともかく早く、普通の男の姿に戻りたかったのである。和昭はトイレに駆け込んだ。男子用のトイレブースの中で、ウイッグをとりシャツとスラックスを脱ぎとった。男物のジーンズとシャツに着替えると、洗面で顔を洗い流した。
 和昭は着替えたものを手提げ袋に詰め込み、ほっとした表情で洗面所から現れた。まるで穴倉生活をしていた者が、急に人前に現れたような開放感を漂わせた。
「和ったら、急に元気になった」
「当たり前だ、丸二日死んでたからな」
 二人は地図を頼りに地下鉄を乗り継いだ。沖縄に地下鉄はなく、初めて目にする本島の混雑さに驚いた。だが人目を気にする二人にとって、魚の群れを想像させる人の流れはむしろ、警戒心を和らげた。
 新大阪の新幹線乗り場に着き、名古屋までの切符を買うと二人は列車に乗り込んだ。窓の外の景色を楽しむ余裕もなく、車内で買った弁当をむさぼり食って空腹を癒した。
 列車は一時間程で名古屋駅ホームに滑り込んでいた。乗降ドアから降り立った二人は、最寄の公衆電話に駆け寄りメモ帳を取り出す。ボロボロになった住所録を指でたどりながら、福原の名前を探し、勤め先の電話番号を押す。コール音のあと福原がでた。
「もしもし、俺だ。和昭だ」
「何だ和昭、一体どうしたんだ突然に。いま沖縄か?」
「いや、それが訳があって名古屋駅からかけている」
「名古屋駅? 新幹線の名古屋駅か?」
「ちょっと困り事があってな……。頼む福原、しばらく面倒見てくれ」
「急にややこしいこと言い出すんだな、お前は。よし、とにかくそこへ行く。俺は今仕事中なんで時間がかかるが、話しをつけて早く行くようにする。それで駅のどこだ?」
「駅のホームの公衆電話だ。降りたところだから上りだ」
「そこの近くに待合室があるだろ、そこにいろ」
 安江は、和昭の電話の応対から、うまく話がついている雰囲気に、ほっとした表情をみせている。電話をきった和昭は、
「話がついた、福原がきてくれる」
「わあ良かった。どうなることかと思ってた」
「岐阜に住んでて、頼りになる奴だ」
「こうなったら知り合いだけが頼りだね」
「安江、迎えに来てくれるまで近くの待合室で休もう」
 二人がホームの待合室で、およそ二時間も待っていると、福原が飛び込んできた。
「おー和か、久しぶりだ。で、一体どうしたんだ」
 福原は和昭に語りかけながら、隣の安江を見た。
「これ、安江だ。一緒に住んでいて……」
 和昭はとりあえず安江を紹介したが、その後周りを気遣い、きょろきょろと目を左右に動かせた。福原は、
「よし、そとへ出よう」
と手招きし、つかつかと歩き出した。和昭は福原の後に続きながら安江の顔を見てうなずいた。それは、福原が事件のことを本当に知らない様子に、ほっとした安江へのサインだった。安江も小さくうなずいた。
 三人は改札を通り近くの喫茶店に入った。三人が席に着くと、福原は「さあ話せ」という表情を投げる。だが和昭は、ホームを歩いている間も福原に全てを話すかどうかを迷っていた。
 福原が自分たちの事件を知らないのは確かなようだ。そうであれば、自分たちが警察に追われていることは黙っていたほうがいいのではないかと思った。もし自分たちが警察に捕まったら、いや捕まらなくても運良く逃げ延びたとしても、福原がそれを知っていて手助けしたとなれば、迷惑をかけることになる。
 沖縄で、宏志をはじめ糸数や潤までもが警察に連れていかれた。もうこれ以上迷惑はかけられなかった。和昭は本当のことを喋らないと決めた。
「福原、実は沖縄でこの安江と付き合っていて、こいつは十七になるんだけど子供ができちまって。周りで騒ぐものだから、夜逃げ同様にして来たんだ。何とか住むところと、できたら仕事も世話してくれねえか」
 福原は、腹の大きくなった安江に目をやりつつ、
「いろいろ訳がありそうだが、和の頼みだい当たれるだけ当たってやる」
と言う。和昭は頭を下げつつ、言いにくそうな表情で、
「それで、頼んどいてこんな事言うのも変だが、沖縄の知り合いには俺たちの事黙っていて欲しいんだ」
「よし分かった」
 福原はそれ以上何も聞かなかった。和のことだから何かヤバイ事をやったかも知れない。だが寝堀り葉堀り聞いたところでどうなるものでもなかろう。できる限り力になってやればそれでいいじゃないか、と思った。
「よし和、とにかく今夜は俺の所に来い」
といい、三人は立ち上がり店を出る。
 
 福原が紹介した仕事は、自動車部品の鋳物工場であった。可児市今渡から多治見へ通じる国道を南へ五キロほどいった谷迫間に大きな工業団地がある。鉄工所、電機製造業、圧延工場など十以上の工場が集まって可児工業団地を形成している。
 その中の長良鋳造所の下請け作業員に雇われた。長良鋳造所はフォークリフトの鋳物部品を造っている。
 和昭に仕事の説明をする親方は、
「いいか、あの鋳物機からでてきたものを箱詰めするのが仕事だ。名前は金田っていったないどうだやれそうか?」
と話す。
「ええ、是非やらせてください」
「そうか、やってみるか。朝は八時半に仕事開始だ。時間には作業服に着替えて、仕事が始められるようにしとけ、いいな」
「はい親方」
「作業服のサイズはMでいいだろう。そんなに大きいほうじゃないから」
「大丈夫です」
「金田、お前どこに住んでるんだ?」
「今渡の駅近くのアパートです」
と福原に紹介され住み始めたアパートを答えた。
「そうか、あそこだったら七時半に俺が駅前を通るから立ってろ。乗せてってやる」
「助かります」
「いいんだ、いいんだ」
 親方は和昭の肩を叩き、しっかりやれと励ました。
 和昭はこの仕事につくに当たり、履歴書も出さず身元を簡単に聞かれていただけに、ひょうっとしたら物凄い重労働ではないかと心配していた。どんなきつい仕事でもとの覚悟をしていたが、実際についてみると普通の程度だった。取り越し苦労に終わりラッキーだった。
 給料は日給月給で、月二十五万と言われたときはびっくりした。沖縄に比べ無茶苦茶高かったからだ。しかも残業をやれば月三十万はもらえると聞いて、信じられない気持ちになっていた。
 小躍りする気持ちでアパートに帰ると、和昭の仕事を気遣っていた安江は、本人以上に安堵の表情を見せた。
 ――これならやっていける――
との気持ちが二人の胸を満たした。
 初めての日曜日。和昭は朝ご飯の支度をする安江に話す。
「図書館にいってこようと思う。ここ半年分の新聞を見てくる。どう扱っているか心配だから」
「そうね、写真でも載ってたら対策たてなくっちゃね」
「俺たちが船に乗ったかどうかのニュースを見ておかないとな」
「分かった、でもくれぐれも気をつけてね」
 和昭は朝食を済ますと着替えて図書館に向かった。可児市の市営図書館の閲覧室で、半年前からの地元紙に目を通した。
 和昭にとって驚いたことには、地元紙には事件翌日すら、和昭らによる奪取事件は報道されていなかった。また交番にも和昭らの指名手配写真は貼られてなかった。和昭は、心配の種が一つ、取り除かれた安堵を味わった。

「和、病院に行こうかと思ってる」
「病院? 産婦人科か?」
「そう、このままだと心配だから」
「どこか知ってるのか?」
「買い物に行く途中にあるの。結構大きな病院」
「病院か」
「和、察が心配なのは分かるけど、産む時に病院やお産婆さんなしで産めないでしょ」
「そうだな、診てもらえ」
「うんそうする。明日行ってくるから」
 夜ご飯を食べながら二人は病院で診てもらうことを話合う。確かに和昭の心配するのは無理もなかったが、二人きりで産むわけにもいかず止むを得ない結論だった。特に身体に異常があるわけではなかったが、和昭以外に相談する人もなく、知識に乏しい安江にとって早く医者に診てもらいたかった。
 翌日、安江は和昭を仕事に送り出した後、病院に向かった。病院は小林産婦人科医院といい、アパートから歩いて十五分のところにあった。四階建ての中規模な病院で、中央の出入り口を通ると廊下を歩いた。アルコールの匂いが漂う中、スリッパに履き替え受付窓口へ進む。
 窓口の中からは、既に看護婦が安江の姿を見て言葉をかけた。
「診察ですね」
「はい」
「この診察申込書に必要な事項を記入してください。保険証はお持ちですか?」
「いえ持ってません」
「では書き込まれたら、あちらの待合室でお待ちください。名前を呼びますから」
 受付の看護婦は一枚の紙切れを渡した。安江は受け取ると、窓口の横に置いてある入院案内も一枚とって、待合室へ歩いた。歩きながら申込書の隅々に目を通す。そして必要書類欄に見入った。もし住民票が必要だとアウトだ。幸い必要書類欄に住民票のたぐいは記入されてなかった。安江はほっと胸をなでおろした。
 待合室中央の記入台で、申込書の空欄を埋めた。住所、氏名、生年月日、年齢……の文字が目に入る。安江は住所だけ現在のアパートを正直に書き、あとの記入欄で頭をひねった。名前は金田安子、と。年齢は 十八と記入し、窓口へ提出した。
 待合室で二十分ほど待つと、アナウンスが流れた。
「金田さーん、金田やす子さん。診察室へお入りください」
安江は診察室に入った。白衣を着た医師が向こう向きに座り、診察の済んだ患者のカルテにせわしくペンを走らせている。
医師の手前に丸椅子が置かれ、座るよう看護婦から指示を受ける。安江がゆっくり椅子に腰をかけると、くるっと医師が体を回転させ安江に向かった。
「金田さんですね。今日はお父さんになられる方は一緒ですか」
「仕事が忙しく休めなかったので私一人です」
「そうですか、いいですよ。ここの病院で出産の予定ですか?」
「はいそうしたいと思っています」
「そうですか、それでは診察しますので、カーテンの向こうの診察台に乗ってください」
医師はくるりと安江に背を向けると、カルテに向かう。安江は立ち上がると、診察台に向かう。看護婦がカーテンをあけ安江に指示を出した。
安江は医師の診察を受けているあいだ、凄く安心する自分を感じた。医師は自分の身体とおなかの胎児だけを診てくれている。その安心感が、ひと時のあいだではあるが、警察から追われている事実を忘れることができた。
今まで一度も医師に診てもらっていない不安が、まるで身体の毛穴からみるみる溶け出していく実感を覚えた。
 診察が済むと安江は再び丸椅子に座った。
「順調ですよ」
医師は温和な表情で言った。医師の目から見れば十八と書かれた年齢に不自然さはあった。だが妊婦の、子供ができた嬉しさを漂わせる表情に、医師は疑うのをやめた。医師は椅子をくるりと回転させ、カルテに向かう。ペンをとりつつ後ろの安江に、「頑張りなさい」とぽつりと話す。
そのあと看護婦は、母子手帳を保健所で受け取る手続きを説明した。
「病院へは二週に一度、診察を受けに来て下さい」
そう説明を受け、安江は診察室をでると会計窓口に向かった。診察料を窓口で払い、レシートを受け取った安江は、
「あのー」
「何でしょうか?」
「出産で入院するとき、私保険がないけど、全部でいくら位お金がかかりますか?」
と尋ねる。受付の係員は入院案内を片手に、安江に料金の説明をする。大部屋で、とくに異常がない場合で、約三十万円必要と答えた。
安江は病院をでると駅前のスーパーに向かった。病院で初めてみてもらい、順調に育っていることに気持ちが晴れ晴れとしていた。なんだかご馳走を作って喜びたい気分だった。

その夜、和昭が仕事を終えてアパートに帰ると、安江はご馳走で迎えた。
「どうだった、病院?」
そう聞く和昭に、
「すべて順調、まかしときなって」
安江はおどけて腹に手をやった。
「よかったじゃないか、やったな安江」
「病院でいろいろ聞いてきたけど、三十万は要るみたい。直接かかるのがそれ位だから、もう少し余分に持ってないと」
「まあそれぐらいはかかるだろう」
「和、稼いでよ」
「仕方ねえだろう。ちょうど来週から仕事忙しくなって、今日親方に言われたけど、当分残業してくれってな」
「じゃあ帰りは遅いね」
 安江は作った料理を片っ端から平らげる和昭をみて、頼もしさを感じた。
「あ、和、私病院じゃ金田やす子って名前だから。それに歳も四つばかりサバ読んじゃった。十八になってないと何かと面倒だから」
「何だそこの病院、よっぽどヤブ医者じゃねえか? お前の歳もわからんとは」
「産科病院だから、ヤブ医者だなんて言わないの。私の大切な先生だから」
「安江、俺ない実は決めてるんだ」
「何を?」
「お前、決めとけって言ったろ」
「名前?」
「もしもってことがあって、生まれるとき、そばにいてやれねえこともあると思って」
「やめて! やめてよ、そんな話」
「俺、ずっと前から決めてたんだ」
「だって和、男の子とも女の子ともまだ分からないよ」
「女だったらお前つけとけ」
「勝手だ! で、なんて名前?」
「僚というんだ」
「りょう? どんな字を書くの?」
 和昭はボールペンをとると紙切れに書いた。
「僚か、格好いい名前じゃないの。でも絶対そばにいてよ。二度と縁起でもないこと言わないで!」
「お前は心配せず、身体の具合だけを心配してりゃいいんだ」
 和昭は茶碗の飯を口に運んだ。安江の出産まであと、三、四ヶ月しか残されていない。それまでに最低三十万のお金を作るのは、容易なことではなかった。和昭は必死になっていたのである。