川辺の家から

ぼちぼち・・・

脳梗塞で、
右マヒと失語症になりました。

戦争はいりません。

2015-08-08 | 日記

私の父は、2012年4月8日に亡くなりました。

山口県は、さくらが満開でした。

 

父は、山口県で、 1931年に生まれた。

おじいさんが、酒屋で失敗。引っ越しして、広島の呉に住んでいました。

 

父が十三歳か十四歳です。

学徒動員で、広島の呉の海軍工廠で、船の部品(?)を作っていました。

「先輩が『部品がないから、トンカチでカンカン、やっとき・・・』。優しかった。」

 

呉の空襲は、父は、父のお姉さんとはぐれて、

一人で山に行ったそうです。

「焼夷弾の殻(?)が落ちて、足で蹴って、走った。

おじさんが布団をかぶって、ジッとしたから、『一緒に行こう、行こう』と・・・」

「おさまった時に、家に帰ったら、もう、焼け野原。お姉さんが泣いて・・・

お父さんが死んだと思った・・・」

 

原爆のピカッ。見ました。

「どこかの弾薬庫でも爆発したんじゃろう」と話したそうです。

お兄さんは、出征でフィリピンで亡くなりました。

 

おじいさんとおばあさんは、働いて、戦後、山口県の家に、もどりました。

後に、父は結婚して、山口県の家にもどりました。

 

8月6日、広島原爆の日。

被爆者のおばあさんは、

「戦争はやったらいけん。話そう。話そう。」

と言ってます。