
米写真関連大手イーストマン・コダックは22日、
プロカメラマンを中心に愛されてきたカラーフィルム
「コダクローム」の製造を年内に打ち切ると発表した。
世界初の市販カラーフィルムとして1935年に発売され、
根強い人気を誇ってきたが、デジタル化の波には勝てず、
長い歴史に幕を下ろす。日本では2006年に販売が中止されている。
コダクロームは、ネガフィルムとは逆で、現像したフィルムに
被写体の色や明るさが実物通りに映し出され、スライドなどにも用いられる。
現像には特殊な工程があるため、世界では現在、米カンザス州の
1カ所しか請け負う施設がない。
商品名は、歌手ポール・サイモンの曲(邦題は「僕のコダクローム」)
にもなった。しかし、現在の売り上げは、コダックの静止画フィルム全体の
1%未満。フィルム不要のデジタルカメラが全盛期を迎える中、
静かに市場から姿を消す。
~時事通信より抜粋~
2006年12月、国内での販売が終了していたコダックの
カラーリバーサルフィルム『コダクローム』の製造がこれで
完全に打ち切りとなることが決定した。
言葉を失った・・・。
幼い頃、グラフ誌を見ていて鮮やかな発色と微細な粒子で
なんだこの写真と思ってみていたフィルムデータは「KR」の
文字が躍っていた。自分でも使ってみたら雑誌に載っているような
写真が撮れるかも知れないと妙な勘違いをして使ってはみたものの
その扱いの難しさにあっさりと跳ね返された。ネガカラーのような
カメラ内臓の露出計など当てにならない、ちょっとの露出ミスで
ゴミを量産する羽目になり、単体の露出計も買った。
ISO(当時はASA)64と超低感度のため、晴れた日でないと
動く列車を止めるシャッタースピードは稼げない。全くもって
使い辛いフィルムだったが、その分使いこなそうと頭をひねり、
それだけ腕を磨いてくれるフィルムだった。
1973年に発売されたポール・サイモンのアルバムに
収められている「Kodachrome」を聴き
夏の緑を鮮やかに映し出すそのイメージに憧れた。
それまでコニカC35やミノルタSR-1などを使っていたが
この曲の歌詞に歌われていた「Nikon Camera」に感化され
小遣い一年分無しを条件に中古のニコマートFTnを買ってもらった。
ちょっと慣れてきたらエマルジョンNoの違いで色が変わるからと
糞小生意気にフィルムを探し回ったり、大した写真も撮れないくせに
堀内などのプロラボに持ち込んで現像したり、勘違いもさせてくれた。
フジのRVPがメジャーになり、流行がRVP+1になっても
頑としてPKRを放さなかった。それが2006年の年末に
発表されたコダクロームの国内販売中止、青天の霹靂だった。
国内での現像も中止され、コダクロームの現像はカンザスの1ヶ所
だけが行うようになった。いくらなんでも1本のフィルムを現像
するのに3000円以上払う価値も見出せず、コダクロームを使う
ことをやめた。
そしてその3年後、コダクローム自体の生産が終了する事となった。
カラーフィルム、と言うより銀塩カメラの終焉を予感させるような
ニュースにただ呆然とするしかなかった。今はRDPⅢとRXPを
使い分けているが、これらを含め、カラーリバーサルフィルムが
無くならない事を祈るしかない。
何か、完全に時代から取り残されたような気分になった。
デジカメに完全移行出来ないアナログナイズされた自分は
フィルムの衰退と共に消える運命なのだろう。
プロカメラマンを中心に愛されてきたカラーフィルム
「コダクローム」の製造を年内に打ち切ると発表した。
世界初の市販カラーフィルムとして1935年に発売され、
根強い人気を誇ってきたが、デジタル化の波には勝てず、
長い歴史に幕を下ろす。日本では2006年に販売が中止されている。
コダクロームは、ネガフィルムとは逆で、現像したフィルムに
被写体の色や明るさが実物通りに映し出され、スライドなどにも用いられる。
現像には特殊な工程があるため、世界では現在、米カンザス州の
1カ所しか請け負う施設がない。
商品名は、歌手ポール・サイモンの曲(邦題は「僕のコダクローム」)
にもなった。しかし、現在の売り上げは、コダックの静止画フィルム全体の
1%未満。フィルム不要のデジタルカメラが全盛期を迎える中、
静かに市場から姿を消す。
~時事通信より抜粋~
2006年12月、国内での販売が終了していたコダックの
カラーリバーサルフィルム『コダクローム』の製造がこれで
完全に打ち切りとなることが決定した。
言葉を失った・・・。
幼い頃、グラフ誌を見ていて鮮やかな発色と微細な粒子で
なんだこの写真と思ってみていたフィルムデータは「KR」の
文字が躍っていた。自分でも使ってみたら雑誌に載っているような
写真が撮れるかも知れないと妙な勘違いをして使ってはみたものの
その扱いの難しさにあっさりと跳ね返された。ネガカラーのような
カメラ内臓の露出計など当てにならない、ちょっとの露出ミスで
ゴミを量産する羽目になり、単体の露出計も買った。
ISO(当時はASA)64と超低感度のため、晴れた日でないと
動く列車を止めるシャッタースピードは稼げない。全くもって
使い辛いフィルムだったが、その分使いこなそうと頭をひねり、
それだけ腕を磨いてくれるフィルムだった。
1973年に発売されたポール・サイモンのアルバムに
収められている「Kodachrome」を聴き
夏の緑を鮮やかに映し出すそのイメージに憧れた。
それまでコニカC35やミノルタSR-1などを使っていたが
この曲の歌詞に歌われていた「Nikon Camera」に感化され
小遣い一年分無しを条件に中古のニコマートFTnを買ってもらった。
ちょっと慣れてきたらエマルジョンNoの違いで色が変わるからと
糞小生意気にフィルムを探し回ったり、大した写真も撮れないくせに
堀内などのプロラボに持ち込んで現像したり、勘違いもさせてくれた。
フジのRVPがメジャーになり、流行がRVP+1になっても
頑としてPKRを放さなかった。それが2006年の年末に
発表されたコダクロームの国内販売中止、青天の霹靂だった。
国内での現像も中止され、コダクロームの現像はカンザスの1ヶ所
だけが行うようになった。いくらなんでも1本のフィルムを現像
するのに3000円以上払う価値も見出せず、コダクロームを使う
ことをやめた。
そしてその3年後、コダクローム自体の生産が終了する事となった。
カラーフィルム、と言うより銀塩カメラの終焉を予感させるような
ニュースにただ呆然とするしかなかった。今はRDPⅢとRXPを
使い分けているが、これらを含め、カラーリバーサルフィルムが
無くならない事を祈るしかない。
何か、完全に時代から取り残されたような気分になった。
デジカメに完全移行出来ないアナログナイズされた自分は
フィルムの衰退と共に消える運命なのだろう。