SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ゼロアカ道場2

2009年03月21日 | Weblog
>大学に入ってすぐくらいの頃、日本画の業界があまりにもくだらないことに憤って、平山郁夫氏に「先生、芸術って何なんですか」と子供じみた質問をしたことがありました。その時の僕は「こんなにくだらないところへ来るために俺は2年間も浪人したのか」と思うといたたまれなくて切実な叫びをあげてしまった訳です。平山郁夫先生は「君も若いからね!」と言いましたが、僕は「それは教育ではない」と思った訳です。今この話をするのは、そういう批判をしようと思うからではなく、日本の小中学校も高校も、教育の現場全てが同じような体制だと思ったからです。そうであったがゆえに、それを反面教師に東京芸大に在籍した11年間の特に後半は「美術」とか「芸術」とはどういうことかと一生懸命勉強して、博士号を取得するところまで意地でやりました。(村上隆 講演 PO+KU ARTレボリューションより抜粋)

 このエピソードを思い返すたびに胸が熱くなってくる。私は、この村上隆の「先生、芸術って何なんですか」というセリフを、あの岡本太郎の有名な「芸術は爆発だ」に匹敵するかそれ以上の名セリフだと思っている。このとき村上隆が心にどれだけ深い傷を負ったか、想像するだけで目から不思議な水が出てくるのだ。

「この芸術の無い国で、芸術を自明のものとして語ってしまう、そんな君たちにとって芸術とは何なのか?」という村上隆の「大いなる疑問」は、本来ならば逆にゼロアカ道場生たちが村上隆へと問いかけねばならないはずなのである。たぶん村上隆にとっては、彼ら生徒(道場生)が先生(審査員)に「芸術って何なんですか」とアツく問い詰めてこないことこそが「ショッキング」なのだろう。言うまでもなく批評とは、自明のものが実は自明ではないと疑うことから始まるのである。ましてやこの芸術不明の国で、批評家が芸術を自明のものとして自然に語ってしまうなんて、それだけで失格だろう。2ちゃんねるやニコ動MADが芸術か否かなんて、あまりにも、あまりにも中二すぎるのではないだろうか。

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