前日の休みが仕事になって、2連休が1日だけになりました。
前の休みのときももクロの映画「幕が上がる」の予告を観て、もうやっているのかと思い、MOVIE WALKERにアクセスしました。するとももクロ映画はまだ幕はあがっておらず、他の作品が目に飛び込んできました。
「the classic」という2003年の韓国映画。
邦題は「ラブストーリー」。
なんでも日本での公開配給期限というのがあって、それがもうすぐ切れるので最終上映をするとのことでした。最終期限はどの映画にもあるだろうし、切れているものも多々ある中で、なんでまたこの映画を流すのか?
その理由はよくわからないけれど、自分のBEST MOVIEの10本指に入るこの作品が、劇場で大きなスクリーンで観られるのは嬉しい衝撃でした。もう劇場では観ることをすっかり諦めていたからです。
実は六本木のシネマ―トは6月で閉館になります。流す映画選びには今まで以上に吟味されいらっしゃることと思います。
そんな中で、「ラブストーリー」は選ばれました。
カウントダウンの一作品としては、佳作のセレクト。何よりセンスが美しい。
キーボードを叩いていても、このタイトルは気恥ずかしくなります。本音を言うとこの邦題が気に入っていない私ですが、内容は、王道中の王道【LOVE STORY】なのです。タイトルに不満はあっても内容に偽りはありません。その奥深さは、母と娘の2つの恋愛物語を同時進行させながら伝えられていきます。
親子(ジへとジュヒ)それぞれの世代の「恋愛」が、時代や歴史を越えて相通じ、切なく、瑞々しく、儚く、美しく語られていきます
原題が「classic」なだけに、確かにこの映画の音楽は秀逸で、クラシックが効果的に意味深く使われています。そういう意味でのクラシックもあるのでしょう。他方で古典、普遍性という点から観ても、「親子との繋がり」、「恋愛」という何百世紀もの間営まれてきた大きなテーマを映像作品として完成させています。
とりわけ現代のジへ(娘)の恋は親世代の犠牲を伴う恋愛から、報われる恋愛に昇華されており、希望が示唆されていました。
ネットのREVIEWやAmazonの感想の中にはベタだとか、落ちがわかるというのがいくつか見られましたが、恋愛の本質は観るものではなく、自身で体験するもの。それと照らし合わせる体験がないと、その切なさも美しさも他人ごとに収束します。エンターテーメントは消費財であるならばそれもまたありでしょう。
でもこの映画は後世に残り、誇れる芸術作品です。なぜかといえば、個人の体験と物語が繋がれる要素が散在しているからです。作品のどこかで繋がりスイッチが入る。過去の記憶や今の想い、未来の憧れが脳裡をよぎり、脳のスクリーンがもう一つできるのです。個人の体験、時代を越えて繋がる魂の連鎖に響く物語が、観てる人を主人公にした物語を発動させるのです。
人がなぜ古典を読み、学び、触れるのか。それはその時代を理解するということもあります。それ以上に今の自分と同様に響くsomething,自身を進化させるsomethingがその中にあるからではないかと思うのです。
古典は難解。ゆえに何回も触れること、ひいては体験することが、作品を自分の中に入れる大切な作業なのではないかと思います。
このクラシックを初めて見たのは、東久留米市の自宅でした。1999年の「シュリ」あたりからブームの足音が大きくなってきた韓国映画でしたが、とりたてて関心はありませんでした。「猟奇的な彼女」を観てからそのイメージが変わりました。監督はクァク・ジェヨン。この作品と同じ監督です。ルームメイトの親友が、まだ日本公開前のクラシックのDVDを入手してきてそれを借りて観たのが最初の体験でした。それは輸入盤で字幕なし、ハングルのみでした。言葉の意味はさっぱりわからない、でも、嗚咽していました。意味がよくわからない、もっと意味がわからないのは自分が号泣していること。
フォークダンス、蛍、夏休み、演奏会、演劇、マンフレッドマンの曲、手紙、雨、図書館、それぞれのアイテムが今までの恋愛と繋がってくるのです。あの人、あの時、あの思い出、あの気持ち、あの廊下、あの風景・・
そして思う、どうしてつらい思いするのに、恋をするのか?
10代、20代前半は恐いもの知らず。もう落ちるのみ、燃えるのみ。
20代後半、30代前半は、経験が生きてくる。恋を生涯のパートナーに発展させる。
それ以降になると、自分がなくなるリスクを恐れ恋に臆病になる。状況によってはあえて封印するということもある。
ジへやジュヒの恋愛は、もうfall in love。
深く、引き返しも取り返しもつかない。
視野は狭いかもしれないけれど、集中度・純度・温度は高く大きく、熱い。それが痛々しくもあり美しくもある。そのエナジーが観ている人の記憶の扉を開け、感情の堰を切る。
その瞬間の美しさや素晴らしさは痛みや傷を凌駕するのです。
光り、輝いているのです。
それがスクリーンを通して見える。
恋がこれからの若物たちは、恋は素敵だと思う。恋に疲れ破れた人たちは、また恋をしようと思う勇気が湧く。恋愛時代を過ぎた人たちは、自らの体験と繋がり懐しみ、原点に立ち返れる。
時代に翻弄されて、深く愛し合っていた二人が引き離され、各々が違う人と結ばれる。愛が止まったわけでも、想いが切れたわけでもない。でもそうならざるを得なかった時代・状況。自分が号泣したのは、時代も世界もが不安定だった時の恋が、次世代で結ばれ、意味を持ち報われたからだと思うのです。その切なさが深ければ深いほど、放つ光は強く大きい。
藍は藍より出でて藍よりも青し。
愛は愛より出でて愛よりも深し。
平和であること、豊かであることがどれだけ恵まれているかを感じることができます。
そして自分の父母の恋に想いを馳せます。
自分があるのは、両親の愛の賜物、結晶。
二人は離縁してしまったけれど、それでもその時の愛ゆえの「自分」。
この物語ほど美しくはないかもしれないけれど、その時よりも恵まれた時代を生きているからこそ父母ができなかった愛を全うさせたい。
命の連鎖がある中で、自分自身がまずは幸せでいなければと思うのです。
作品と自分が通じる映画、それがいい映画の一つの基準です。
好き嫌い、合う合わないはあるかと思いますが、このラブストーリーは通じやすいポイントが散りばめられているので、何か一つでも感じることができるなら、それはきっと深いものだと思います。
そしてそれはこれからの生きる糧になっていくと思います。
願わくば、映画レベルでもいいので、日韓の溝が少しでも埋まってくるのを祈念しています。
これだけ素敵な映画なので、わかりあえるところはある。その1点の希望だけでも心の隔たりは縮んでくると思うのです。関根麻里さんの結婚も密かに幸せを祈っています。
(2015/2/26 記)
ラブストーリーは3/1まで13:25~1日1回のみ上映です。
※明日までなのでレンタルでもどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=m52MiAtI7p8
前の休みのときももクロの映画「幕が上がる」の予告を観て、もうやっているのかと思い、MOVIE WALKERにアクセスしました。するとももクロ映画はまだ幕はあがっておらず、他の作品が目に飛び込んできました。
「the classic」という2003年の韓国映画。
邦題は「ラブストーリー」。
なんでも日本での公開配給期限というのがあって、それがもうすぐ切れるので最終上映をするとのことでした。最終期限はどの映画にもあるだろうし、切れているものも多々ある中で、なんでまたこの映画を流すのか?
その理由はよくわからないけれど、自分のBEST MOVIEの10本指に入るこの作品が、劇場で大きなスクリーンで観られるのは嬉しい衝撃でした。もう劇場では観ることをすっかり諦めていたからです。
実は六本木のシネマ―トは6月で閉館になります。流す映画選びには今まで以上に吟味されいらっしゃることと思います。
そんな中で、「ラブストーリー」は選ばれました。
カウントダウンの一作品としては、佳作のセレクト。何よりセンスが美しい。
キーボードを叩いていても、このタイトルは気恥ずかしくなります。本音を言うとこの邦題が気に入っていない私ですが、内容は、王道中の王道【LOVE STORY】なのです。タイトルに不満はあっても内容に偽りはありません。その奥深さは、母と娘の2つの恋愛物語を同時進行させながら伝えられていきます。
親子(ジへとジュヒ)それぞれの世代の「恋愛」が、時代や歴史を越えて相通じ、切なく、瑞々しく、儚く、美しく語られていきます
原題が「classic」なだけに、確かにこの映画の音楽は秀逸で、クラシックが効果的に意味深く使われています。そういう意味でのクラシックもあるのでしょう。他方で古典、普遍性という点から観ても、「親子との繋がり」、「恋愛」という何百世紀もの間営まれてきた大きなテーマを映像作品として完成させています。
とりわけ現代のジへ(娘)の恋は親世代の犠牲を伴う恋愛から、報われる恋愛に昇華されており、希望が示唆されていました。
ネットのREVIEWやAmazonの感想の中にはベタだとか、落ちがわかるというのがいくつか見られましたが、恋愛の本質は観るものではなく、自身で体験するもの。それと照らし合わせる体験がないと、その切なさも美しさも他人ごとに収束します。エンターテーメントは消費財であるならばそれもまたありでしょう。
でもこの映画は後世に残り、誇れる芸術作品です。なぜかといえば、個人の体験と物語が繋がれる要素が散在しているからです。作品のどこかで繋がりスイッチが入る。過去の記憶や今の想い、未来の憧れが脳裡をよぎり、脳のスクリーンがもう一つできるのです。個人の体験、時代を越えて繋がる魂の連鎖に響く物語が、観てる人を主人公にした物語を発動させるのです。
人がなぜ古典を読み、学び、触れるのか。それはその時代を理解するということもあります。それ以上に今の自分と同様に響くsomething,自身を進化させるsomethingがその中にあるからではないかと思うのです。
古典は難解。ゆえに何回も触れること、ひいては体験することが、作品を自分の中に入れる大切な作業なのではないかと思います。
このクラシックを初めて見たのは、東久留米市の自宅でした。1999年の「シュリ」あたりからブームの足音が大きくなってきた韓国映画でしたが、とりたてて関心はありませんでした。「猟奇的な彼女」を観てからそのイメージが変わりました。監督はクァク・ジェヨン。この作品と同じ監督です。ルームメイトの親友が、まだ日本公開前のクラシックのDVDを入手してきてそれを借りて観たのが最初の体験でした。それは輸入盤で字幕なし、ハングルのみでした。言葉の意味はさっぱりわからない、でも、嗚咽していました。意味がよくわからない、もっと意味がわからないのは自分が号泣していること。
フォークダンス、蛍、夏休み、演奏会、演劇、マンフレッドマンの曲、手紙、雨、図書館、それぞれのアイテムが今までの恋愛と繋がってくるのです。あの人、あの時、あの思い出、あの気持ち、あの廊下、あの風景・・
そして思う、どうしてつらい思いするのに、恋をするのか?
10代、20代前半は恐いもの知らず。もう落ちるのみ、燃えるのみ。
20代後半、30代前半は、経験が生きてくる。恋を生涯のパートナーに発展させる。
それ以降になると、自分がなくなるリスクを恐れ恋に臆病になる。状況によってはあえて封印するということもある。
ジへやジュヒの恋愛は、もうfall in love。
深く、引き返しも取り返しもつかない。
視野は狭いかもしれないけれど、集中度・純度・温度は高く大きく、熱い。それが痛々しくもあり美しくもある。そのエナジーが観ている人の記憶の扉を開け、感情の堰を切る。
その瞬間の美しさや素晴らしさは痛みや傷を凌駕するのです。
光り、輝いているのです。
それがスクリーンを通して見える。
恋がこれからの若物たちは、恋は素敵だと思う。恋に疲れ破れた人たちは、また恋をしようと思う勇気が湧く。恋愛時代を過ぎた人たちは、自らの体験と繋がり懐しみ、原点に立ち返れる。
時代に翻弄されて、深く愛し合っていた二人が引き離され、各々が違う人と結ばれる。愛が止まったわけでも、想いが切れたわけでもない。でもそうならざるを得なかった時代・状況。自分が号泣したのは、時代も世界もが不安定だった時の恋が、次世代で結ばれ、意味を持ち報われたからだと思うのです。その切なさが深ければ深いほど、放つ光は強く大きい。
藍は藍より出でて藍よりも青し。
愛は愛より出でて愛よりも深し。
平和であること、豊かであることがどれだけ恵まれているかを感じることができます。
そして自分の父母の恋に想いを馳せます。
自分があるのは、両親の愛の賜物、結晶。
二人は離縁してしまったけれど、それでもその時の愛ゆえの「自分」。
この物語ほど美しくはないかもしれないけれど、その時よりも恵まれた時代を生きているからこそ父母ができなかった愛を全うさせたい。
命の連鎖がある中で、自分自身がまずは幸せでいなければと思うのです。
作品と自分が通じる映画、それがいい映画の一つの基準です。
好き嫌い、合う合わないはあるかと思いますが、このラブストーリーは通じやすいポイントが散りばめられているので、何か一つでも感じることができるなら、それはきっと深いものだと思います。
そしてそれはこれからの生きる糧になっていくと思います。
願わくば、映画レベルでもいいので、日韓の溝が少しでも埋まってくるのを祈念しています。
これだけ素敵な映画なので、わかりあえるところはある。その1点の希望だけでも心の隔たりは縮んでくると思うのです。関根麻里さんの結婚も密かに幸せを祈っています。
(2015/2/26 記)
ラブストーリーは3/1まで13:25~1日1回のみ上映です。
※明日までなのでレンタルでもどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=m52MiAtI7p8