目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

下馬太子堂三宿コース 約6.8km

2024-01-16 15:16:13 | 東京都目黒区、世田谷区
すこやか歩こう会は目黒健康ウォーク2000から発展して創設されたクラブなので、目黒区内を歩くコースはたくさんあります。お隣の世田谷区だと梅まつりをみに羽根木公園とか、馬事公苑など目的地に向かってゆくコースはありましたが、世田谷区をぶらぶら歩くコースはこのコースが初めてでした。
関東大震災を境に目黒、渋谷には東京下町から多くの人が移り住んで急速に町が発展しましたが、世田谷では三軒茶屋以外は人の流入も遅かったようです。江戸時代には寺社の管理地が多かった目黒区と、武家の統治下にあった世田谷区では文化的な違いもありました。そんな違いを探しにゆくお隣世田谷区へのウォーキングです。


五本木児童遊園
集合は祐天寺駅でこちらの公園に移動してストレッチをしてスタートします。この日は寒かったので先に公園に移動してきて日向ぼっこをしながら本隊を待ちます。


謡坂
公園から西へ向かうと蛇崩川支流が作った谷があり、その谷へ向かうのが謡坂です。坂の由来を目黒区のサイトから引用します。
目黒の坂 謡坂(うたいざか)
「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

「謡坂(うたいざか)」という坂は、近畿以東に40余りもあるという。そのひとつが目黒区にある。
この坂は、東横線ガード下から蛇崩川へ下る上目黒四丁目と五本木一丁目との境の道となっている。
坂名の由来については、資料が少なく、確かなものはない。目黒区郷土研究会の資料によると「ウタイ」の語源が、アイヌ語のウタ、出崎を意味するとある。蛇崩川は、昔、かなり大きな川だったらしく、その川に出崎があり、そこをこの坂がう回していたのではないかとある。
昭和17年から坂の中ほどに住む小沢夏哉さんに話を伺った。「私が、ここに来た当時は、道幅もせまく、もっと坂らしい坂でしたよ。道幅は1間半ぐらいだったかな。追いはぎが出た寂しい坂でしたよ。坂名の由来ね…古くから住む地元の人でないとわからないんじゃないですか」
2人、3人にきいてみたが、わからない。そこで、地元の人で祐天寺かいわいでは、一番の長老といわれる田中守太郎さんに話を伺うことにした。「この辺には、昔は何もなかった。周囲は、畑とナラ林だけ。震災の後だったか、坂のわきに16軒長屋なんてものが建って、人がぽつりぽつりと住み始めたっけ。そこの人たちが、「坂に何か名をつけよう」ということで「うたい坂」とつけたんだね。この長屋に長唄か踊りを教える人がいたなんて話も聞いたことがあったな」
年々、古くから地元に住む人が減っていることもあって、区内にあるたくさんの坂の中でも、その名やそれにまつわる話の分かる人が少なくなってきている。
現在の謡坂は、左右にギッシリ家が建ち並らび、アスファルトで舗装された道となっている。



ナンテン

芦毛塚

蛇崩川緑道


ハクモクレンの花芽
この日のウォーキングは芦毛塚まで。本隊は駒繋神社、西澄寺、三軒茶屋、教学院、太子堂八幡、圓泉寺(太子堂)、三宿の森緑地、三宿神社などをめぐり、解散の頃には長い影法師が出来ている時間でしょう。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
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