私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2024年05月11日 08時45分04秒 | その他
◇ツイート記事(20240507~)◇

<5月7日>
◇世界の異変はまだまだ先か
 ここ最近の悟り、精神世界について気になっていたことについて一通り記事を書いてしまったのと、春になり農業が忙しくなっているのもあり、このブログ記事の更新が減っています。

 スピ界隈では、相変わらずこの4月頃から来年にかけて大きな異変が起こると言っているようです。
 この連休中にも何か起こるのではないかという言われていました。
 
 そもそも、未来のことはそう簡単にはわかりません。
 どのような存在であっても、そうです。
 神々だって決してわからない。
 そういうものです。

 個人的には、大きな異変はやっぱりいずれ起こるのだろうとは考えていますが、未だ数年くらいは先だろうと考えています。
 社会の様子は、世界的に歪みの蓄積、民衆の幼稚化、混乱が進行していますが、おそらくこれはまだ序の口であり、もっともっと酷くなってから、何らかの切っ掛けで弾けるのだろうと考えています。

<5月11日>
◇釈迦にまつわる諸々
 今日は釈迦やその周辺のことについて、いくつか書いてみたいと思います。

 釈迦という人物が存在したらしいことは現存している資料からそれなりに納得できるのだけど、
 釈迦の悟りがどういうものだったのかについては、そもそもところハッキリしないのです。
 釈迦の経典類は全く読んだことがないので、詳しいことはわからないのですが、縁起と苦に関するそれなりの言及があるようであり、釈迦が解脱していた可能性はあるのだろうと考えています。
 釈迦が解脱していたというそれなりの根拠を提示できる方がもしおられたら、教えていただきたいと思っています。
 
 解脱の成否判別の件。
 釈迦は他者の解脱の成否について口頭での簡単なやりとりで判別できたように文献に書かれているようですが、この点について私は疑問を感じています。
 正直なところ、私自身、自分の解脱もよくわからなくなってしまっていて、これは解脱という悟りの特徴のひとつなのかもしれないと考えています。
 そのような状況で、他者の解脱の成否についてそう簡単に判別できるものなのかと考えています。

 雑多な阿羅漢(解脱者)の存在の件。
 文献によると、釈迦の周りにはいろいろなタイプの阿羅漢がいたようです。
 中には簡単にウソを言ったり、人を傷つけたりするような人格的に問題のあるものもいたようです。
 私はまだ自分以外の解脱者に会ったことがなく、解脱者がどういうものなのかを判断するためのサンプルが無いので、余りハッキリとしたことは言えないのですが、人格的に明らかな問題があるような人物が解脱し得るものなのか、大いに疑問を感じています。
 解脱者が多数いたという点(五百羅漢等)についても、本当にそのようなことが生じ得るのか正直疑問を感じています。

 ちなみに、天眼通でしたっけ、特殊能力により来世の有無を観て、解脱の成否を判断したと言うのは。
 釈迦に関する話には創作が多いのですが、これは間違いなくウソです。
 来世の有無なんて誰であっても観れるものではありません。
 仮に何か観れたとして、それが本当にその人の来世のことだという根拠がありません。


 
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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