私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

外に何かを求めているうちは難しい

2015年10月10日 07時18分20秒 | 悟り
◇外に何かを求めているうちは難しい◇

覚者も含めて大半の方がそうなのですが、みなさん、外に何かを求めています。
成功や幸せ、満足もそうですし、楽や幸福もそうです。
また、愛や感謝もそうですし、瞑想もそうです。
悟りだってそうです。
多くの方は、悟りを外に向かって探そうとします。

つまりのところ、何かに頼っているのです。
あるいは、縋りたいという衝動が余りにも強いのです。
そのため、外へ外へと意識が彷徨ってしまうのです。

それでは難しいのです。

外ではなく、内へ、即ち「私」に意識を向けて頂きたいのです。
そして、外側へ彷徨い出そうとしている自分自身に気づいて頂きたいのです。
何かに縋り付いている自分の姿に気づいて頂きたいのです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そもそも何の束縛もありません | トップ | 近況など »

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2015-10-11 16:32:02
こんにちは。
変な事をお聞きしますが、彗空さんはご自身がもう産まれてくる事は無いのだから、何かをしてはいけないとか、何の囚われもないのだから全てはあるがまま叉はなるがままどうでもいいという思うことはないですか?
Unknownさんへ (慧空)
2015-10-11 16:52:27
コメントありがとうございます。
ご質問のお答えしようかとも思ったのですが、意識や感覚の状態についてお答えしても、邪魔な考えが膨らむだけだろうと思い、お答えするのを控えさせていただこうと思います。
お答えしても、それでどうこうなるものでもないですし。

ただ、シンプルに一言だけお答えさせていただきますね。
端的に言えば、一切の囚われが無いんです。
だから、一切がどうでもいいんです。
どうでもいいのですが、うっすらとした自我が残っていて、起こってくる現象に対して反応したり、どうこうしようとしてしまうのです。
こうやって、ブログを書いたり、コメントのお返事を書いたりすることは、その典型です。(^o^)
Unknown (Unknown)
2015-10-11 22:52:38
とてもシンプルなことですね。
ありがとうございます。

コメントを投稿

悟り」カテゴリの最新記事