16,17,18日は「ニューギニア友の会」の1年1回の旅行でした。
12年前にニューギニアへ慰霊巡拝の旅で一緒に9日間寝食を共にした仲間の同窓会です。先の大戦で東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)で父親を戦死で亡くした遺児というまったく同じ境遇の”兄弟”とも言うべき仲間です。
秋田から宮崎まで全国各地の18人が同じ班で行動しました。各々の親父が戦死したと思われる地を順番に訪れて慰霊して廻りました。まさしく兄弟の絆が生まれました。そしてその後も毎年全国各地持ち回りで同窓会を続けています。
今年は九州組が当番幹事で佐賀武雄温泉と雲仙温泉で二泊して旧交を温めました。夜遅くまで話は尽きませんでした。
メンバーでは私は最年少組です。80歳近い人もいますが、まだ一人も欠けずがんばってます。しかしさすがに長距離の旅行に参加者は減ってきて、今年は11人でした。 みんなでチャーターバスで観光旅行はそろそろ無理かなあと・・・・
それでも、来年は東京での再会を約束して別れました。
<一日目>
太宰府天満宮は相変わらずすごい人出でした。そしてエスカレーターと動く歩道で国立博物館とつながっているのです。 商魂?
博物館らしくない建築の「九州国立博物館」中も博物館というより観光、お土産屋施設みたいなもの。
このあと→吉野ヶ里の前を通って→佐賀県護国神社参拝→武雄温泉(泊)
<二日目>
佐世保の海軍墓地は広くて立派なのにびっくり。
→海上自衛隊歴史資料館見物、退官自衛官が案内・説明してくれたが、さすがに某海自幕僚長的発言はなかった。
→長崎へ、平和記念公園と原爆資料館を駆け足で・・・
こんな仲間です
→雲仙温泉の旅館(泊)
<三日目>
旅館のすぐ裏は地獄めぐり
→島原へ H4年の普賢岳噴火の火砕流・土石流の被害家屋保存公園
屋根だけ見えるくらいに土砂に埋まった民家。
12年前にニューギニアへ慰霊巡拝の旅で一緒に9日間寝食を共にした仲間の同窓会です。先の大戦で東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)で父親を戦死で亡くした遺児というまったく同じ境遇の”兄弟”とも言うべき仲間です。
秋田から宮崎まで全国各地の18人が同じ班で行動しました。各々の親父が戦死したと思われる地を順番に訪れて慰霊して廻りました。まさしく兄弟の絆が生まれました。そしてその後も毎年全国各地持ち回りで同窓会を続けています。
今年は九州組が当番幹事で佐賀武雄温泉と雲仙温泉で二泊して旧交を温めました。夜遅くまで話は尽きませんでした。
メンバーでは私は最年少組です。80歳近い人もいますが、まだ一人も欠けずがんばってます。しかしさすがに長距離の旅行に参加者は減ってきて、今年は11人でした。 みんなでチャーターバスで観光旅行はそろそろ無理かなあと・・・・
それでも、来年は東京での再会を約束して別れました。
<一日目>


このあと→吉野ヶ里の前を通って→佐賀県護国神社参拝→武雄温泉(泊)
<二日目>
佐世保の海軍墓地は広くて立派なのにびっくり。
→海上自衛隊歴史資料館見物、退官自衛官が案内・説明してくれたが、さすがに某海自幕僚長的発言はなかった。
→長崎へ、平和記念公園と原爆資料館を駆け足で・・・

→雲仙温泉の旅館(泊)
<三日目>

→島原へ H4年の普賢岳噴火の火砕流・土石流の被害家屋保存公園

あの地域では戦闘はもちろんでしょうが生活そのものも察して余りあるほど過酷なものだった筈です。
いかなる名目の下であろうとも戦争には反対します。
戦争を始めたその瞬間にいかなる正義も消滅する運命にあるのだと思います。たとえそれが民族生存のためであっても。