昨夜のN23でタイトル通りの特集が組まれていました。
手軽に誰でも情報発信が出来るブログ、使い方は様々で、日記サイトにする人もいれば、ニュースサイトにする人もいる。
そして、ニュース系のブログは現在、既存メディアに対して猛烈な侵攻を加えている状態です。
では、何故このような侵攻が起きているかといえば、その理由は…
既存メディアの信用が失墜したことにある。
そしてその信用失墜の理由は…
インターネットの普及などによって起こった、一般人のメディアリテラシーの向上にある。
つまり、一般人が既存メディアの報じる嘘を見破る事が出来るようになったためである。
よって、ブログだって嘘を報じれば当然叩かれ、炎上する。
「メディアは信用できない」とか「ブログは信用できない」と言う発言は全てのメディア・ブログに当てはまるものではない。
結局は情報の信頼性の問題である。
この問題を論じるに当たって出てくる右左の問題は、個人的には枝葉末節に過ぎないと思っている。
思想の偏りから起きる偏向報道も報道が生み出す嘘の一つだからだ。
思想の左右に正しいも間違いも無い。
状況に対して左が適しているか、右が適しているかと言う問題があるだけだ。
右左に対して過敏になってる現状は、既存メディアが左に偏りすぎていた事によって起きた反動だろう。
特集内で、ある人物が保守系TVや保守系ブログの台頭を「反乱」と言う表現を用いて語ったのがその証左だろう。
だが、だからこそ、その反動を利用しようとする人、嫌う人が居ることを留意し、情報の受けては感情的にならずに情報の虚実を見極める必要はあるだろう。
特集内で行われた討論では、鳥越俊太郎氏が、イラクに大量破壊兵器があると称して始まった戦争の嘘を保守系ブログが触れない点について指摘している。
これは正にその通りであると同時に、自身に対しても跳ね返ってくる言葉でもある事を報道人として常に肝に銘じていただきたい。
都合の悪い事に触れないのは、右も左も同じである。
そして、ブログ問題点として指摘されたのが、受けては情報を選り好みすると言うことである。
これこそが思想の偏りの元凶であり、思想が暴走する元凶だろう。
往々にして、耳の痛い言葉が自身の為になる言葉であるケースが多い。
ナショナリズムに利用されると言う意見もあったが、そもそもナショナリズムは決して悪い事ではない。
とは言え、過剰に過激なのは当然問題だし、どっかの国みたいに「愛国無罪」なんて事はあってはならない。
だが、他国が自国に対して不当、または理不尽な発言や要求をしてきたのに愛国心をもって反発するのは当然の行為である。
しかるに、これまでのテレビはナショナリズム、愛国心を必要以上に抑圧してきた歴史がある。
故に、その抑圧に対して反発する個人がブログと言う新兵器を引っ提げて台頭してきたのに対して、再びそれを押さえ込もうと既存メディアが対抗しようとしているのが近年見られる機関と個人の報道合戦だろう。
そして、それらの中には困った事に必要以上に感情的になっている者達が居る。
現場の人間が最も多く、そして良質な情報を持っている一方で、一般人では立ち入る事の出来ない現場があり、草の根ジャーナリズムではカバーしきれない点があり、報道のプロが必要だと言う意見もあった。
これについてはその通りだと思うが、その情報のプロは「中立公正公平」でなければならない。
偏った人間が集め、仕分け、発信する情報は偏るに決まっているからだ。
そして、第一線で活躍している報道のプロの多くに、報道人としての資格が無い者が多い。
結局のところ、何故、ブログがメディアを攻撃するのかと言えば、それはメディアの身から出た錆によるものだろう。
草の根メディアは、錆の匂いを敏感に嗅ぎつけて、鮫のように群がってくるものだ。
だが、清く正しく「錆」を出さずに居れば、決して理不尽に集団で襲い掛かってくる事は決してない。
手軽に誰でも情報発信が出来るブログ、使い方は様々で、日記サイトにする人もいれば、ニュースサイトにする人もいる。
そして、ニュース系のブログは現在、既存メディアに対して猛烈な侵攻を加えている状態です。
では、何故このような侵攻が起きているかといえば、その理由は…
既存メディアの信用が失墜したことにある。
そしてその信用失墜の理由は…
インターネットの普及などによって起こった、一般人のメディアリテラシーの向上にある。
つまり、一般人が既存メディアの報じる嘘を見破る事が出来るようになったためである。
よって、ブログだって嘘を報じれば当然叩かれ、炎上する。
「メディアは信用できない」とか「ブログは信用できない」と言う発言は全てのメディア・ブログに当てはまるものではない。
結局は情報の信頼性の問題である。
この問題を論じるに当たって出てくる右左の問題は、個人的には枝葉末節に過ぎないと思っている。
思想の偏りから起きる偏向報道も報道が生み出す嘘の一つだからだ。
思想の左右に正しいも間違いも無い。
状況に対して左が適しているか、右が適しているかと言う問題があるだけだ。
右左に対して過敏になってる現状は、既存メディアが左に偏りすぎていた事によって起きた反動だろう。
特集内で、ある人物が保守系TVや保守系ブログの台頭を「反乱」と言う表現を用いて語ったのがその証左だろう。
だが、だからこそ、その反動を利用しようとする人、嫌う人が居ることを留意し、情報の受けては感情的にならずに情報の虚実を見極める必要はあるだろう。
特集内で行われた討論では、鳥越俊太郎氏が、イラクに大量破壊兵器があると称して始まった戦争の嘘を保守系ブログが触れない点について指摘している。
これは正にその通りであると同時に、自身に対しても跳ね返ってくる言葉でもある事を報道人として常に肝に銘じていただきたい。
都合の悪い事に触れないのは、右も左も同じである。
そして、ブログ問題点として指摘されたのが、受けては情報を選り好みすると言うことである。
これこそが思想の偏りの元凶であり、思想が暴走する元凶だろう。
往々にして、耳の痛い言葉が自身の為になる言葉であるケースが多い。
ナショナリズムに利用されると言う意見もあったが、そもそもナショナリズムは決して悪い事ではない。
とは言え、過剰に過激なのは当然問題だし、どっかの国みたいに「愛国無罪」なんて事はあってはならない。
だが、他国が自国に対して不当、または理不尽な発言や要求をしてきたのに愛国心をもって反発するのは当然の行為である。
しかるに、これまでのテレビはナショナリズム、愛国心を必要以上に抑圧してきた歴史がある。
故に、その抑圧に対して反発する個人がブログと言う新兵器を引っ提げて台頭してきたのに対して、再びそれを押さえ込もうと既存メディアが対抗しようとしているのが近年見られる機関と個人の報道合戦だろう。
そして、それらの中には困った事に必要以上に感情的になっている者達が居る。
現場の人間が最も多く、そして良質な情報を持っている一方で、一般人では立ち入る事の出来ない現場があり、草の根ジャーナリズムではカバーしきれない点があり、報道のプロが必要だと言う意見もあった。
これについてはその通りだと思うが、その情報のプロは「中立公正公平」でなければならない。
偏った人間が集め、仕分け、発信する情報は偏るに決まっているからだ。
そして、第一線で活躍している報道のプロの多くに、報道人としての資格が無い者が多い。
結局のところ、何故、ブログがメディアを攻撃するのかと言えば、それはメディアの身から出た錆によるものだろう。
草の根メディアは、錆の匂いを敏感に嗅ぎつけて、鮫のように群がってくるものだ。
だが、清く正しく「錆」を出さずに居れば、決して理不尽に集団で襲い掛かってくる事は決してない。