いよいよ、中日巨人戦がきた。一徹はオズマによる大リーグボール一号打倒を宣言している。いったいどんな方法をとってくるのか。実は、その前の阪神戦で天才花形は大リーグボール一号を、一徹が考えたのを同じ方法で打ち破っていたのだ。その時点で、花形は方法論こそ正しくても力不足で凡打を打つのが精一杯だった。つまり、一度バッドをハーフスイングし、ストライクゾーンで止める。すかさずバックスイングをして再度バットをふる。大リーグボールは予測の魔球なので、飛雄馬は無意識にストライクゾーンにあるバットをめがけて投げてしまい、結果としてど真ん中のボールを投げてしまうことになるという理屈だ。ハーフスイングから再度、バットをもどしてミートするなどという方法は普通の人間には出来るわけがない。一徹は超人オズマに大リーグボール打倒ギプスを装着し、3人からの投球を次々にうつという特訓により、オズマに見えないスイングなる超高速スイングを身につけさせた。そして、花形と同じ方法で今、まさに飛雄馬を打ちくずさんと、待ちかまえている。
そんな非常な父親に報道陣は、ライオンが、子を千尋の谷に突き落として鍛える心境なのかと質問する。しかし一徹の答えは予想外だった。
「ふふふ・・・たしかに、そういう心境で、あれを鍛えた時代もあった。遠い昔にはな・・・。今は違う!」
「やつはもうライオンの子ではない!りっぱに成長した若獅子よ!もはやかけねなし。食うか食われるか、男と男の戦いじゃよ」
「青二才ごときに現役の王座をあけわたしてなるかという老ライオンの執念の反撃じゃい!」
「そして、子は親を乗り越えねば一人前になれん。これは野獣も人間の世界も同じ。父と子の宿命よな!」
根底に、子を強い本当の巨人の星にしたいという思いがあるのは同じだ。しかし、親が子を鍛えるというレベルではない。親も全力で、食うか食われるかの死闘を挑むというわけだ。一人前になるには、親を悔い殺して、屍を乗り越えていけということだ。なんとうことだろう。
同じような話は、格闘技系の巨悪に立ち向かう男の成長を描いた漫画に見られる。「おまえがこれから戦おうという相手は、普通のレベルではない。甘い気持ちで行けば確実に命を失うし、目的も達成できない。おまえが正義を貫くには、悪に打ち勝つには、今のレベルを遙かに超えた力と非情さを身につけなければできない。」それを胸に秘めつつ、親あるいは師は子、あるいは愛弟子に、命がけの勝負を仕掛ける。
「先生何をするんですか。」
「なにをのんきなことを言っている、そんな甘いことでは、わしはおまえの命を奪うぞ」
「やめてください」
「おろかもの!」師は必殺技を炸裂させる。紙一重で、子/弟子は、封印してあった、その技を師にめがけて放つ。そして、雷のようなひかりの次の瞬間に、師は倒れている。
「見事だ・・今のタイミングを忘れるな。おまえは俺の夢だ、宝だ・・必ず勝て、俺はいつもおまえを見守っているぞ・・・・」
「先生、先生ーー!なぜ、かわそうと思えばかわせたはずなのに・・・」
「泣くな・・命をかけねば教えられないことがある。今おまえは俺を越えたのだ・・自分を信じろ、おまえならできる、必ず・・」そして、師は死ぬ。
次のステージで、主人公は、今までにないすごみをまとい、巨悪の相手の前に姿を現す。
「ほーっ なんたる変わりよう。何があったかしらんが・・・さしずめ、あのもうろくじじいでも死んだのか」
などとくだらない、話を書きつづっている場合ではない。しかし、これが、古典的な、子/弟子が親/師を乗り越えて、真の男に成長していく物語の基本形である。
乗り越えて、命がけで戦う相手がいる場合、命がけの戦いをして、自分を乗り越えてみい!というのも良いが、命がけで乗り越えた向こうが「巨人の星」では、ちょっとな~と思うだろ。しかし、あの当時、巨人、大鵬、玉子焼と言われ、巨人軍V9とか言っている時代は、それくらい巨人軍のエースとはすごいものだったということだ。
今の巨人のていたらくを見たら、星一徹は、飛雄馬は何と言うだろうか・・まあ、それはそれとして、ドラゴンズ頑張れ!