神の国

 私
 は
 神
 だ
 が、君は誰だ?

サンポール速記録03-339

2012年08月06日 19時30分49秒 | 速記録

 

 ◎「彼等」について

少なくともこの100年、あなた方は下の人から100枚の硬貨を盗んで上の人に60枚差し出す暮らしをしてきた。100枚盗む悪事に手を染め60枚の銀貨 で40枚の金貨を買った。あなた方の鵜匠は、ここが実に上手い、決して魚に恨まれることがない。恨まれるのはいざ料理をする瞬間にほんの少し。

私が何について話しているのかよく考えなさい。私はそれほど難しいことを言ってはいない。いいですか、大切なことだ。あなた方は、自分が何をしているのかまるで分らない時がある。否、分らないからこそできることを為している。それをあなた方は日常だとか言って着慣れた寝間着の様に感じている。

夕暮れの縁台で愛犬を膝に乗せ、孫に昔話をする風情で、私たちは実に信じられない悪事に手を染めている。縁台も、愛犬も、孫も、どころか昔話や夕暮れまでもが、全く気付かぬ内に人質に取られているのだ。注意深く観察しなさい。私たちは一体何をしているのだろうか。何を、させられているのか。

それだけ言うと立川一昭さん(88)は昼間っから呑むワンカップ大関で真っ赤になった鼻の頭を二度ほど掻いて、近所の立ち呑み屋に向かうのでした。その直 後に時速150キロで飛ばすべレット1600GTに跳ねられ、80メートルふっ飛んで無茶苦茶になって死んだ。

(立川一昭伝・P32より抜粋)

 

 ◎親愛なる我が白痴諸君!

大学などと言うものが無ければこの世の問題は半分にはなっておるのではないかと、繰り返し思われる。私たちは皆平等に馬鹿で愚かなのに、私は馬鹿でも愚かでもないと思う人間が好き好んで大学に行き、そして、出世して行く。何故なら彼等は自分を馬鹿でも愚かでもないと言い張れるからだ。

私は馬鹿でも愚かでもないと言い張った人間が出世栄達していくシステムと言うものはどうにかならないか。これは一種の食人だ。彼は自分が馬鹿でも愚かでもないと言って今の地位を得たから、自分を馬鹿でも愚かでもないと言う人間を評価する。この循環は肉骨粉を喰らい続けて狂っていった牛を思い出す。

何故だ。何故彼等は己の無謬を信じるのか。何故一瞬も疑わないのか。自分が正しいと思うが故に間違っている、自身の「正しい」の構成要件に致命的な誤りがあるということに、何故思い至らないのだろう。違う。思い至った人から順番に死んでしまったのだ。だから生きている人は皆、間違っているのだ。

誤ること、怠惰であること、助平であることを知るつつましくも清廉な人々。実に愛すべき恥を知る人々は、であるが故にご立派な「彼等」を正しいと言う。 「彼等」は、であるが故に己の弥栄を疑わない。奇妙な、実に奇妙なガヴァージュ、人類の人類的な自傷でもって、私たちはご覧の通り堕ちておるのだ。

つまり私は、恥知らずに向かって「恥知らず」という恥知らずは恥知らずなのか、という言葉遊びに夢中なのだ。或は「君も私も全面的に間違っている」という私は君と同じ様に間違っているのか、と。

白痴を見分けよう。「私は白痴ではない」と言う正に彼をだ。白痴を見分けよう。そして、見分けている自分が正に彼と同じ白痴なのだということを十全な意味 で理解しよう。そうしてはじめて人は白痴から醒めることができる。「白痴を見分ける白痴」という博打があなたを白痴ではない何かにする。

 

 ◎冴えたやり方

とにかくああ言う、つまり、政府だとか電力会社だとか言う連中を見ていると、怒りだの何だのと言うよりも馬鹿馬鹿しさの方が先に来る様になる。無視しようと思う。電力会社や政府の人間は、まともに相手をしてもしょうがない人たちなので、私たち庶民はもう、無視してしまえばいいんじゃないか。

選挙でも革命でもなく、国民の過半数が政府を無視する時、それを一体どういう状況と呼ぶのかしらないが今よりはずっとマシな世の中であると私は思う。金を 取るというなら取りたいだけ取ればいい。だけれどもそれはあなた方に同意しているのではなく、他に方法がないからそうしているだけなのだ。

デモや何やで意見を申し述べるというのも勿論大切なことかもしれないが、最も効果があるのは庶民が結託して電力会社や政府の人間を無視する。係わり合わな い。物を売らない。村八分にする。相手にしない。残酷なやり方だが、彼等をまともに相手にした人間は、もっと残酷な目に遭う。

彼等、つまり国や電力会社が最も恐れるのはこれだ。大きな声で意見を言われている間はどうとでもいなすことができる。議論に持ち込めば幾らでも丸め込める。彼等は高を括っている。根源的にその存在を許容しないという立ち居地に国民の大部分が流れない様に、彼等は積極的に議論が起ることを期待する。

彼等お得意のやり口。日本共産党や新左翼の一部を維持することで反体制的な国民の幾らかを抹殺できたように、今回も適当な排路を準備すればお決まりの堂々巡りに持ち込める。「時間」の中で世論の激情を無限に希釈することができる。「この瞬間」に革命が凝集することを、彼等は恐れている。

そこで私は、だから全く新しい戦術のことを話しているのだ。無視をする。あたかも見えないように。少なくとも現状の国や電力会社の連中を、私たちの世界、私たちの人生から排除する。勝手にやっていただいて構わない。あなた方がいくら好き勝手していただいても結構です。私たちはあなた方とは関係のないところで生きて行きますのであなた方はあなた方で好きにして下さいと言われることが、彼等は死ぬより恐ろしいのだろう。

 

 ◎ハロー!ご立派なみなさん

「教授」というものの昔は、まずその人がおり、その人の思想や思考や技術に惚れる人々がおり、どうぞ教えて下さいよしじゃあ授けよう、とか言う風なものであったと思う。ところが今やどうだろう。少しでも暮らし向きをよくしたくて大学に行き、何なのか良く分らない屑共を教授と呼ばねばならない。

およそ大学と言うものは、自主性や主体性を放棄した人間から仕上がるようにできておる。主体性を放棄して、偉い人から言われた通りに「僕たち私たちは主体的です!」と鈍く曇る目玉をギョロつかせる連中を前にすると、私はとても暗い気持ちになる。

「大学教授」という職種には次の三つの人種が含まれている。

①知ったかぶりの馬鹿

②ただ自分の出世栄達および富の蓄積にしか興味の無い馬鹿

③未だ正義を忘 れ得ぬ人 

これら三種は時に一つの人格の中に複雑に同居していることもあり煩わしい。しかし、純粋な③は、私の見た限りいなかった。

そもそもが、教授というのは職業の名称ではなく、生き方の名称であるのだと思う。これは全く私の勝手な思いではあるが、その道と心中する覚悟が無い人間を教授だとは思わないし、儲けが少ないとこぼしている大学関係者のことを、内心で軽蔑している。アカデミズムで飯を食う奴に碌なのはなかった。

例えば私が言っているのは南方熊楠先生の生き様を見ろ、といった実に(ある意味で)紋切り型で、教条主義的なものなのではあるが、それでも学問で銭を儲けようと言う発想自体に吐き気がする。稼げない芸術は芸術ではないとか言っている連中もそうだ。これに至っては何を言っているのか意味が不明。

とにかく、今日の職業学者連中を「先生」と呼んで敬う気持ちは私には微塵も無いということを分って欲しい。だから、何々大学の教授だ、と言って舐める様に 私の顔を見ても、あなたの期待するような顔色にはなっておりませんよ、ご了承下さい。 追伸 職業教授の脳梁断線して人格が右脳と左脳に裂けろ。

 

 ◎思い出した業務連絡

初期型パラマウントベッドは安全装置的なものに不備があり、ご老人が寝ている状態のままベッドの折畳装置が作動してしまう事故が数件あったそうです。これを業界では「Z字固め」と称しておりました。

 

 ◎大先生、私にはあなたが見えないのです

昔、闇市の時代に闇の食品は違法だから私は手をつけないといって餓死した裁判官がいた。あの人は(脳は狂っているが)立派だったと思う。少なくとも私はこの人の裁定には従う。今日日の裁判官ときたらどうだ、幾らかの現世利益の為に法治の要をいとも簡単に放棄してしまった。そんなに金が欲しいのか?

警察や検察がどれだけ悪辣にやったとしても裁判官さへしっかりしとればいいわけです。裁判官が独立不羈でもって実直に、ただ実直に良心と法に照ら して判決を決めてくれればいいのです。それだけが法治国家の要件だとすら思うのです。何度でも言うが冤罪判決を出した裁判官の罪を問え。

心ある判決。良心と法に照らして全く正当な判決を出せば、出世の芽が摘まれて地方の家裁止まりだとかいう事実。その事実に屈せず自らを貫いた人間に心からの賞賛を。そしてチマチマとした実に下らない現世利益の為に法と社会をマペットの如く振り回すグロテスクな錯誤者共に血の裁きを。

裁判官諸氏。あなただ。あなた方が正常に機能すれば。社会が、国家が、世間が、如何に狂おうとも良いのだ。検察や警察が如何に横暴を為そうとも、あなた方がマトモでさへあれば。自らのささやかな自己愛を満たす為に君達が何を犠牲にしているのかよく考えなさい。真に裁かれるべきはまさに君だ。

などと向かいの家の吉岡さんが言ってました。私は裁判官様のことが大好きです。今後ともお仕事頑張って下さい。私が訴えられた時はよろしくお願いします。

 

 ◎信宏

「おい信宏、父さん会社辞めて乞食一本でお前ら家族5人を養っていくことにしたんだ。ははは、なに、そう心配そうな顔をするなよ」←4日後に死にました。

 

 ◎ハンカチオトシ

今の福島の瓦礫を受け入れるだの受け入れないだの言う話は、第一原発の半径10㌔だとか20㌔だとか言う範囲を「いずれ戻る」とか言う様な無責任極まりない保留にしてることに問題があるのです。首都圏がどうこう言うつもりはありませんけど、どう考えても…原発周囲はもう無理でしょう?

本当は皆で福島県民に謝らなければならないのです。すいませんごめんなさい、でも、少なくともあなた方の故郷の内の幾つかは、もう住むことができないのです。それが嫌だから。そうやって頭を下げて、(勿論相応の補償をして)というのが嫌だから、プールで小便垂らしたら掻き回せみたいな話になる

これは差別だとか何だとか言う話ではないと思うのです。駄目でしょうに。どう考えたって、福島原発の周囲何キロかだかは、どう考えたって駄目でしょうに。大丈夫と言う人はどうぞご自身がお買いになってお住みになれば良いですが(とても静で良い所でしょうね)。

風評被害だとか。差別だとか。被災地の復興だとか。そう言うことと、瓦礫だとか、放射性物質だとか、飛散状況だとか。別の話だろう、明らかに。あまりにも 非科学的に忌避することではないかもしれませんけれども、とするとまぁ、原発が吹っ飛ぶというのは「科学的」なのだろうか。

パニックになるだの復興が遅れるだの。そのことと放射性物質をなるべく散らさず、なるべく厳重に処理すると言う話とは全く別の話でしょう?それらの話が絡 まってくるのは「福島第一週辺は少なくとも今いる人が生きている間は立ち入れない」という現実を稚児の様に拒否しているからではないのか。

 

 ◎末期

今日、年金の取立てを主張する人から一方的に電話がかかってくる。私、労働してたので「すいませんが、今、労働中です」といったらお前、日曜なのに嘘を吐けという雰囲気を醸したので、ちょっと聞いてろといって高圧洗浄器の駆動部下にそっと携帯を置いてやった。終末の音が聞こえただろう馬鹿め。

悪いが私は、これまでただの一度も年金とやらを払ったことがない。だから、貰うつもりもないし、勿論、生活保護だとか言うのにすがるつもりも、ない。というか、失業保険が貰える時にすら、私はお国からは一円も貰わなかった。何か間違っているのだろうか。

〈つまりはそう、末期哀れは覚悟の前なのだ。私は、焼ける様にして死んでゆくのだ。そして、後には「シューティングスター・サンポール後藤」という一つの 伝説が残るのだ。それでよいのだ。〉と、きっと私の高圧洗浄器駆動部の騒音はその様に語ってくれたのだ。ありがとう高圧洗浄器。

 

 ◎舞台装置

満座から罵声や怒号が飛ぶ中、薄暗い舞台には男が一人。俯いた彼の口元はニタリと歪み、西蔵密教の呪詛がダラダラと流れ出す。彼はこう言っている。「俺はお前だ。俺はお前だ。俺は…」客席からの激しい野次がその声を掻き消す。彼等は分っているのだ。その声を聴いてはならないということを。