26日の昼過ぎの嵐は凄かった・・。多分一種の竜巻に襲われたので
はないか・・・。新しい書類フォームを作っていたら部下のSVが叫
ぶ。「ミッキーさん、すぐ工場に行きましょう・・・・」と叫ぶ。
後の方は凄い早口で聴き取れなかったがすぐデスクを離れて現場に。
現場に出て窓越しに見る外の景色は暴風雨状態。すごい風と雨だ!
通気壁に虫除けに取り付けてある網戸(タタミ2畳くらいの大きさ)
が風で飛ばされ一気に十数枚落ちて来る。まるでお化け映画を見て
る感じでした。
1部の天井の明かり取りのスレートが半分吹き飛び断熱材も吹き飛
び雨が滴り落ちて来る。従業員に声をかけ完成品在庫の移動や生産
機器に雨がかからないようプラスティックシートを被せるように大
声で指示する。現場はもう大混乱。あっちこちに指示をしながら工
場内を駆け回る。なにせ裁断機は1台2000万以上はするもので
それが3台並んでいるので気が気ではない。おまけに心臓部のコン
ピューター近くにも雨しぶきが飛ぶので指示の声も一段と大きくな
る。
工場長と数人の幹部は新しい顧客先に出掛けて工場には私と経理部
長と生産のアシスタント・マネージャーしかいないので個々に別れ
指示を飛ばす。足元には天井から降りしきる雨で水たまりが出来て
靴の中はもうびしょびしょ。部下に指示して応急処置がすぐに出来
るよう工場団地内の工事会社に連絡を取らせ保険会社にも連絡させ
る。加えて天気予報を調べさせ今日夜半の天候状況も調べさせる。
兎に角、雨が工場内に入り込まないよう段取りをするのが先決。
それから1時間以上は工場の復旧作業に全員が力を合わせ、雨も小
降りになったことも手伝って徐々に工場内も落ち着きが戻って来た。
全員で浸水した水をかき出す。見渡してもさぼってる従業員は見当
たらない。落ち着いたところで被害状況をまとめるように指示を出
し、併せて会社幹部に状況説明の一報を入れる。
これまでも結構な豪雨はタイで経験して来たけど今日のは凄かった
というかまるで別もの。まぁ、なんとか操業が出来る迄に復旧した
ので工場の電源が入ると明るさが戻る。個々の担当がそれぞれの役
割を順当にこなしてくれたので助かった。私はカメラを持って被害
部分を撮って廻る。丁度、3時のブレーク前に起きたことで全員が
復旧作業にあたったのでキャンティーンから飲み物を運ばせ全員に
束の間の休憩を取らせる指示をする。
朝の出勤時からついてなかった・・・というか・・時計を1時間読
み間違え通勤途中に部下から電話が入って気付く失態。「今どこで
すか?」「もうすぐ橋に掛かるとこだけど・・・何か急ぎの用なの
か?」「いえ・・朝の会議がもう始まるのですけどまだお見えにな
ってないから・・・」「えっ!?(慌てて時計を確認)・・・ひぇ
~、8時20分じゃないかぁ・・・時間を間違えてたぞぉ・・すま
ん、すまん」情けないよなぁ・・・。
お昼ご飯時はまさにピーカン照りで陽射しが強く暑かった。まさか
午後にこんな風な状況になるとは全く考えられなかった。報告すべ
きとこに報告してると電話を受けた工場長が客先から工場に戻って
来た。片道2時間半で丁度客先に着いたとこで工場から竜巻の被害
の連絡。イスを暖める間もなくすぐにとんぼ返りしたとのこと。そ
の頃にはもう後片付けも出来ていたので経緯と対応処置等を説明し
後を引き継いでもらう。
以前も工場長を始めタイ人スタッフが出掛け私一人が工場居残りだ
った時にも輸入貨物がトラックから降ろせないという問題があった。
原材料がショート気味で入荷を焦りつつ待ってたものだから土壇場
で解決にイライラした。コンテナから貨物を通常トラックに積み替
えての納品(当社はスロープ荷卸し場がない為)なのだが港では積
み替えでフォークはトラック奥迄びっしりと積載していた。しかし、
当社ではスロープが無いので奥の荷物が運び出せない結果となった。
この時は隣の工場に頼み込みスロープ荷卸し場と先方のフォークや
従業員の方々の助けもあって何とか事無きを得た。こうやって何か
問題が起きれば誰も助けてはくれませんから兎に角、解決策を探す。
暴風騒ぎから数日、今度は従業員の交通事故死。幹線道路をバイク
で横切る時に送迎バンと衝突。バンは逃げたらしい。従業員は即死
だ。何せ幹線道路はどの車も100km以上はスピードが出てます。
一報が入り総務は動く。部下のSVが現場と病院に駆けつけ状況把握
を報告。事故後の面倒な後始末をする。保険会社への連絡も重要。
亡くなった従業員には6ヶ月の子供がいたそうな。次の日会社に出
て詳しい状況や手配状況を聞く。結局、亡くなった従業員を田舎の
実家に搬送する費用等が発生。彼女の身内には金銭的な余裕もなく
急遽、工場でのカンパを募った。1万数千バーツが集まりすぐに総
務の担当が収容された病院に持って行った。タイはお金がないと次
の段階に進めない現実はどうにかならないものか?死亡時保険金は
下りるけども(10万バーツ)そのお金がちゃんと残された小さな
子供の為に活かされればいいけどなぁ。
立て続けに事故が起こってるので朝の会議でより気持ちを引き締め
るように通達。う~ん、気をつけなきゃぁ。
はないか・・・。新しい書類フォームを作っていたら部下のSVが叫
ぶ。「ミッキーさん、すぐ工場に行きましょう・・・・」と叫ぶ。
後の方は凄い早口で聴き取れなかったがすぐデスクを離れて現場に。
現場に出て窓越しに見る外の景色は暴風雨状態。すごい風と雨だ!
通気壁に虫除けに取り付けてある網戸(タタミ2畳くらいの大きさ)
が風で飛ばされ一気に十数枚落ちて来る。まるでお化け映画を見て
る感じでした。
1部の天井の明かり取りのスレートが半分吹き飛び断熱材も吹き飛
び雨が滴り落ちて来る。従業員に声をかけ完成品在庫の移動や生産
機器に雨がかからないようプラスティックシートを被せるように大
声で指示する。現場はもう大混乱。あっちこちに指示をしながら工
場内を駆け回る。なにせ裁断機は1台2000万以上はするもので
それが3台並んでいるので気が気ではない。おまけに心臓部のコン
ピューター近くにも雨しぶきが飛ぶので指示の声も一段と大きくな
る。
工場長と数人の幹部は新しい顧客先に出掛けて工場には私と経理部
長と生産のアシスタント・マネージャーしかいないので個々に別れ
指示を飛ばす。足元には天井から降りしきる雨で水たまりが出来て
靴の中はもうびしょびしょ。部下に指示して応急処置がすぐに出来
るよう工場団地内の工事会社に連絡を取らせ保険会社にも連絡させ
る。加えて天気予報を調べさせ今日夜半の天候状況も調べさせる。
兎に角、雨が工場内に入り込まないよう段取りをするのが先決。
それから1時間以上は工場の復旧作業に全員が力を合わせ、雨も小
降りになったことも手伝って徐々に工場内も落ち着きが戻って来た。
全員で浸水した水をかき出す。見渡してもさぼってる従業員は見当
たらない。落ち着いたところで被害状況をまとめるように指示を出
し、併せて会社幹部に状況説明の一報を入れる。
これまでも結構な豪雨はタイで経験して来たけど今日のは凄かった
というかまるで別もの。まぁ、なんとか操業が出来る迄に復旧した
ので工場の電源が入ると明るさが戻る。個々の担当がそれぞれの役
割を順当にこなしてくれたので助かった。私はカメラを持って被害
部分を撮って廻る。丁度、3時のブレーク前に起きたことで全員が
復旧作業にあたったのでキャンティーンから飲み物を運ばせ全員に
束の間の休憩を取らせる指示をする。
朝の出勤時からついてなかった・・・というか・・時計を1時間読
み間違え通勤途中に部下から電話が入って気付く失態。「今どこで
すか?」「もうすぐ橋に掛かるとこだけど・・・何か急ぎの用なの
か?」「いえ・・朝の会議がもう始まるのですけどまだお見えにな
ってないから・・・」「えっ!?(慌てて時計を確認)・・・ひぇ
~、8時20分じゃないかぁ・・・時間を間違えてたぞぉ・・すま
ん、すまん」情けないよなぁ・・・。
お昼ご飯時はまさにピーカン照りで陽射しが強く暑かった。まさか
午後にこんな風な状況になるとは全く考えられなかった。報告すべ
きとこに報告してると電話を受けた工場長が客先から工場に戻って
来た。片道2時間半で丁度客先に着いたとこで工場から竜巻の被害
の連絡。イスを暖める間もなくすぐにとんぼ返りしたとのこと。そ
の頃にはもう後片付けも出来ていたので経緯と対応処置等を説明し
後を引き継いでもらう。
以前も工場長を始めタイ人スタッフが出掛け私一人が工場居残りだ
った時にも輸入貨物がトラックから降ろせないという問題があった。
原材料がショート気味で入荷を焦りつつ待ってたものだから土壇場
で解決にイライラした。コンテナから貨物を通常トラックに積み替
えての納品(当社はスロープ荷卸し場がない為)なのだが港では積
み替えでフォークはトラック奥迄びっしりと積載していた。しかし、
当社ではスロープが無いので奥の荷物が運び出せない結果となった。
この時は隣の工場に頼み込みスロープ荷卸し場と先方のフォークや
従業員の方々の助けもあって何とか事無きを得た。こうやって何か
問題が起きれば誰も助けてはくれませんから兎に角、解決策を探す。
暴風騒ぎから数日、今度は従業員の交通事故死。幹線道路をバイク
で横切る時に送迎バンと衝突。バンは逃げたらしい。従業員は即死
だ。何せ幹線道路はどの車も100km以上はスピードが出てます。
一報が入り総務は動く。部下のSVが現場と病院に駆けつけ状況把握
を報告。事故後の面倒な後始末をする。保険会社への連絡も重要。
亡くなった従業員には6ヶ月の子供がいたそうな。次の日会社に出
て詳しい状況や手配状況を聞く。結局、亡くなった従業員を田舎の
実家に搬送する費用等が発生。彼女の身内には金銭的な余裕もなく
急遽、工場でのカンパを募った。1万数千バーツが集まりすぐに総
務の担当が収容された病院に持って行った。タイはお金がないと次
の段階に進めない現実はどうにかならないものか?死亡時保険金は
下りるけども(10万バーツ)そのお金がちゃんと残された小さな
子供の為に活かされればいいけどなぁ。
立て続けに事故が起こってるので朝の会議でより気持ちを引き締め
るように通達。う~ん、気をつけなきゃぁ。