こち亀

2016年09月19日 | 日記

こち亀:きょう発売のジャンプで最終回 作者・秋本治が両さんに「休ませてあげよう」(2016/9/17)

 長寿マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」が、17日発売の「週刊少年ジャンプ」(集英社)42号で最終回を迎え、約40年にわたる長期連載に幕を下ろした。最終回では「40周年記念 復活キャラ大発表会」と題して、レアなキャラクターが登場しているほか、連載の裏側も語られている。同号では秋本さんの偉業に対して「ONE PIECE」の尾田栄一郎さんら連載陣から寄せられたメッセージも掲載。同日には最終回が掲載されているコミックス最終200巻も同時発売された。
 「こち亀」は1976年から一度も休載せずに連載され、同号で作者の秋本治さんは連載終了にあたり、「あの不真面目でいい加減な両さんが40年間休まず勤務できたので、この辺で有給休暇を与え、休ませてあげようと思います」「読者のみなさま、本当に長い間ご愛読ありがとうございました」と思いをつづっている。
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 「こち亀」は、東京の下町を舞台に、並外れた体力を持ち、人情味あふれる警察官・両津勘吉が巻き起こす騒動を描いたギャグマンガ。コミックスの累計発行部数は1億5000万部以上。コミックス最終200巻で、最も発行巻数が多い単一マンガシリーズとしてギネス世界記録に認定された。テレビアニメシリーズが1996~2004年に放送されたほか、人気グループ「SMAP」の香取慎吾さん主演でドラマ化、実写映画化もされた。

http://mantan-web.jp/2016/09/17/20160916dog00m200014000c.html

 物心ついた頃には既に……というほどではないにせよ、少年漫画が僕の生活の身近なところに入り込む頃には、「両さん」はいつの間にか当たり前のようにそこにいたと思う。ただ週刊誌を毎週追いかける生活はしていなかったので、本編についての話は単行本経由で知るか、学校等で出る話題の中で何となく知るかといった感じだった。いちばん熱心に読んでいたのは、単行本で言えばだいたい20~50巻くらいのあたりで、作中新登場キャラでいえばたぶん「麻里愛」登場のあたりからあんまり読まなくなったような記憶がある。なぜ読まなくなったのは自分でもよくわからないけれど、しばしば語られる作風の変化のせいでもあるだろうし、もっと単純に僕のほうの嗜好の変化に由来するものかもしれない。



こち亀:40年間支持された理由 時代に合わせて柔軟に変化(2016/9/18)

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 しかしなぜ「こち亀」は40年も続いたのか。一つは「時代に合わせて変化した」ことだ。連載スタート当時、「こち亀」は主役の両さんこと両津勘吉は天丼を盗み食いした猫に銃を乱射し、道を聞く民間人を怒って追い返す荒くれ者だった。
 本作も秋本さんも、当時のジャンプの中では「新人」に過ぎなかったから、「ドーベルマン刑事」など豪快な連載誌のカラーに合わせたのだろう。それが、60巻以降はめっきりソフトになった。21世紀に入ってからは、銃を発砲しているコマを見つけるほうが難しい。
 (略)……
 さらに、この中でキャラの「選抜」も行われている。初期の中川は第1話に出てきたあとしばらく出ない「単発キャラ」だったが、後にレギュラーに抜てき。逆に両津の良き相棒だった戸塚はガラが悪かったせいか、途中から消えてしまった。それにネットやPC話があるたびに出てくるハイテク一家「電極家」など、テーマごとの面々もおおむね決まっている。豊富なキャラの投入ないし整理により、時代に合わせて作風をチューニングしてきたのだ。
 (略)……
 「こち亀」がただギャグだけに徹していたなら、とっくに作品の寿命は尽きていたはずだ。日常を破壊する爽快(そうかい)感や豊富な雑学ネタ、ハイテクやホビー、人情噺や家族といった要素を貪欲に取り込み、「長期連載に耐えうるシステム」を作り上げていったから、マンガ家志望者が殺到する「週刊少年ジャンプ」という苛烈な“戦場”で40年もの歳月、ゆうに親子2世代を超えた支持を勝ち得たのだ。
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http://mantan-web.jp/2016/09/18/20160915dog00m200052000c.html

 いずれにせよ、僕がまだ読んでいなかった頃から僕がもう読まなくなった後まで、『こち亀』はずっと続いていった。その読まなくなった時期に、1996年からTVアニメ版が8年間放送されていたが、興味の離れていた僕はほぼまったくと言っていいほど見たことがなく、先日連載終了に合わせて放送された単発スペシャル版のアニメに「懐かしい」という声が多数見受けられたことに、ちょっと不思議な感慨を覚えたりもした。少なくとも一時期はかなり好んで読んでいたはずの作品ではあるけれど、これだけ展開が長期間に渡れば、単に場所が違うだけでなく時代もまた違うところで、同じ作品の異なる部分を、僕とは異なる形で好んでいた人がたくさんいて、そういう人たちが愛する『こち亀』は、たぶん僕の中で愛されていた『こち亀』と、名前も原作者も同じなのにまったく違う存在なのだろう。それもまた『こち亀』の孕んだ豊かさなのかもしれない。




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