るぽスポ

スポーツ大好き、るぽ日記

トニー・バティスタ

2005年03月30日 03時00分14秒 | 野球
オープン戦で、横浜の種田選手のガニ股打法を見て、
はやくからだが開くため、あえて始めのスタンスを開いてみたと
言っていたのを思い出す。

それにしても、足がつりそうなガニ股打法。

これに負けず劣らずのもっともオープンスタンスなのが
ソフトバンクホークスのトニー・バティスタ選手

もう、その姿は「侍」といっても過言ではないかもしれないな~。

トニー・バティスタ選手の打席をみると、きっとボールがよく
みえるんやろうな~と思う。

だって、ピッチャーと対面しているくらいだから。

侍バティスタが見てみたい。
じっくりと観察してみたいな~。

ボールがよく見えて、バットのピンポイントに当てたとして、
それを長打にするのは、開いたスタンスだと難しいと思うのは、
私の素人意見。

今度、こっそりバッティングセンターでやってみるとしよう。
たぶん、私の技量ではかすりもしないだろうな~


球場の変化

2005年03月28日 02時03分36秒 | 野球
野球場をボールパークにするという
新しい試みが、今年は各球団がやりだした。

★フェンスが低くなった

 これは、内野席からみたときに、下から6列目あたりから
は、フェンスがない分、とても見やすくグランドを真近に感じられ、
しかも、ファールボールが直接やってくるので、うかうかとしていると
当たってしまうという、はらはらどきどき感もありおもしろい。

。。。ちなみに、ファールを打つと、座席近くで待機している
スタッフが笛をふいてくれて、知らせてくれるので当たることは
ま、、、ないとおもうが・・・

公式ボールを、チェンジするたびに客席に投げ込んでくれるので、
ねらい目は、ベンチ上でグローブを持って、「こっちに!」
なんて選手に話しかけると、もらえることがある。

ファールボールもそのままもらえるので、是非球場にいったときは、
ゲットしたいと思う。

★ グランドに立てる。

ファンサービスの一環として、実際にプロがプレーしている
グランドにおりたつことができる機会が増えた。

ベースランなんかをさせてくれる企画があったり、
ちょっとした野球教室もあったり、スピードガンコンテストなど、
4月8日には、グランドで花見をさせてくれるという企画もある。

地域の人へのイベントも充実してきたりと、
スポーツ振興の基盤ともいえる動きがあり、もっと野球を身近に
感じられる、感じてもらえたらいいな~

テレビでみるのもいいですが、
スタジアムに行くと、ものすごくわくわくします。

なんっていうのか、、、血がさわぐ?というか。。。

鳥肌がたつような感覚におそわれに、、、今年はスタジアムへ
足を運ぶことにします!



パ・リーグ開幕★

2005年03月28日 00時23分54秒 | 観戦日記
開幕戦は、お祭り騒ぎでした。

スタジアム前には、ステージでは演奏や踊り、インド、トルコ、スペイン、、、とい
ろんな国の屋台がずらり~っと。
おいしいにおいでいっぱい。

そして、試合前は、チアリーダーや元プロ野球選手の金田さんの
始球式。
大黒摩季さんの国歌斉唱は、鳥肌ものでした。
花火や、風船がパーっと飛んで、パラグライダーもスタジアムの頭上にいろとりどり
で降りてきて、ボールやグローブ?を落とすというびっくりしたパフォーマンスもあ
りました。
これは、ドームでないスタジアムならではのおもしろさでした!

でも、なによりもすごかったのが。。。。
ロッテのファンです。

鳴り物での応援はしないというポリシーのもと、
タオルと拍手、声での応援です。
これは、地鳴りがするほどの迫力とぴったり息のあった
これでモチベーションがあがらないわけがない!という
いままでで見たファン応援の中でも、1番すごいかもしれない。

バレンタイン監督がうちだした、背番号26番を欠番にして、
26番をファンの皆さんに捧げる、登録選手が25名、26番目の
選手として、ファンに敬意を表した意味がファンの応援から
わかりました。

横100mはあるかとおもわれる、26番マリーンズとかかれた
旗が外野席を覆いつくすさまは、しびれますた!

試合は、残念ながらロッテが負けましたが、
ロッテファンを見にいくのも、おもしろいっ!

楽天は、岩隈投手が好投したので、歴史的第一勝を見ることが
できました。

まだまだシーズンははじまったばかり、、、これからが
楽しみです。

ウィ~と藍ちゃん

2005年03月24日 00時42分21秒 | ゴルフ
今年のソニーオープンから、ミッシェル・ウィーが気になっていた。

15歳の彼女は、ソニーオープンでは、結果はあまりふるわず。
ものすごく悔しかった様子が、顔からもプレーからも見てとれた。

宮里藍ちゃんは、19歳。
冷静である。

常に、自分のプレーを冷静に観察しているという風格がある。

15歳と19歳

ふたりとも、とても興味深い。

10代で、どちらにも
ものすごい吸収力で、一戦一戦で常に変化しているように見える。

変化というか、強化か。

精神的&技術的&経験と。

吸収率がぴか一の10代。

基礎ができあがる10代。

スイング、パター、アプローチ・・・
覚えておきたいと思う。

藍ちゃんは、リズムを持っているように見え、
ウィーはまだリズムがないように見える。

けど、それもあっというまに習得するような
そんなおもしろさがあるように思うから。
この二人を注目していきたいと思う。

藍ちゃんのヘッドスピードは、男子並み。
これが、もっとはやくなっていくような気がする。

あ~いつか、ソニーオープンで
二人がでる試合を見に行きたいものだ~♪

ロッテマリーンズ対横浜ベイスターズ

2005年03月22日 14時23分42秒 | 観戦日記
どちらも、海の近くに球場があるチームどうしの対決。

今回は、マリーンスタジアムに行きました。

マリーンズだけに?白とブルーを基調とした配色のスタジアム外。
なんだか、あまり印象に残らないかんじ。

しかし、外の感じとは逆に、グランドは
人工芝の『グリーン』と赤土の「赤茶」で、
とてもきれいな球場でした。

ドーム球場とはちがい、空の色との対比がすがすがしく、
風を感じながら、両チームの練習を見学。

目の前で、ベイスターズの選手がバッティング練習をしていて、
スイングの早さに、やはり驚き。

「さすが、プロや。」(あたりまえちゃーあたりまえか)

目の前に、小宮山投手がずっといたので、観察するも、、、
「とんねるずの、石橋そっくりやん」
そんな、どうでもいいことも見ながら、あつあつのおでんを
ほうばっていた。

おなかもふくれたころ、バレンタイン監督が登場~
ベンチの上の屋根のところで、サイン会をしている。

おなかもふくれたので、バレンタイン監督タオルを購入し、
急いで列にならぶ。

「タオルハ、ヒッパッテクラサ~イネ」とバレンタイン監督。
タオルは、サインが書きにくいので、引っ張ってと。

なんだか、お互いが変な位置をひっぱったりして、なかなか
うまくサインがかけない。

それでも、小さく書いてもらい、写真もいっしょにとってもらいました。

これも、ボビー(バレンタイン監督)流ファンサービスです。

結構うれしかったりする♪

そんな中~、試合開始!

はじめは暖かい日差しがでていたのだか、雲行きが怪しくなって
きて、雨がぽつぽつと、、、
暗くなったので、サークルラインのライトが点灯。
このあたりから、ロッテの試合内容も、、、くら~い感じに。

外国選手が外野を守っていたが、ぜんぜん守備ができない。
できないと言いきってもいいくらい、、、できない。

「だったら、打ってくれよ~」と叫ぶが、打たない。

そんな中、ベテランの初芝清選手は、ひとり元気よく、
そしてさわやかに、ヒットを打って、守備で守って、
輝いていました。

まだまだいけるぞ~~~は・つ・し・ばぁ~~~

そう叫んだのは私だけではないやろうな。。。

あ、そうそう、、、初芝選手
私と同級生なのだ。
だから、よけいに注目なんである~~~

巨人の清原選手も、桑田選手もだけど、、、
今シーズンは、同級生を生で見に行こうと思う。


2005年開幕戦☆

2005年03月21日 17時12分49秒 | 私がスポーツで学んだこと
『 いよいよ~ソフトボールシーズン開幕です!』


今朝7時半に集合、
柴又の河川敷で、3試合をこなしました。

朝は、ものすごい突風で、黄砂が舞い、
体が倒されるくらいでした。

が、なんとか9時の第一試合には、少しおさまってきて、
やれやれと、試合も7-0で勝利

第2試合が12時からだったので、2時間近く
休憩。

うちのチームは、なにがいいってね~
みんな料理上手で、
●けんちんうどん
●おはぎ(きなこと、あんこ)
●クッキー(もちろん手製)
●大根と牛肉とたまごの煮物
●おにぎり
●まき寿司

を持ち寄って食べます。


ピクニックですな。

対岸でゴルフやっていたりするし、芝生ではごろんとなりながら、
食べるおはぎのおいしい~~~こと!
けんちんうどんも最高でした。

あ、ついつい食べ物に、、、

で、そのあとの2試合もこのピクニックパワーで、
勝利でした。

2試合目は、私がピッチャーをしたため
危なげでしたが、そこはバックがしっかりまもって
くれたのと、みんなが打ってくれたおかげで~
余裕の勝利。

3試合目も、1イニングだけなげましたが、
もうへとへとだったので、交代してもらって、
これも、打戦が爆発!勝利でした!

ま、ピッチングの反省点としては、
投げ方をウインドミルもどきにしたことで、
右足の軸が変わってしまったので、
体重移動がバランスを崩してしまった。

でも、投球としてはウインドミルのほうが
投げやすいし、腕のふりが負担がないので、
やっぱり、練習してみようかな。。。。

コントロールがぜんぜんわからなくなってしまった。

コントロールでなら、やっぱりスリングショット
がいいので、途中からスリングショットに変える。

う~ん。
右足軸への体重の乗せ方と、
左手のバランスを注意して、投げ込んでみようかと
思いました。

ま、シーズン始まったばかりなんで~
シーズン後半には、ウインドミルでのコントロール
がうまくいくようがんばります!

ピッチングの極意でも買って、学ぼうか!
って~レベルが高すぎ~~~
高杉~高杉~高杉~♪の歌思い出したわ。

負け続けたことで何を得たのだろう

2005年03月20日 22時19分17秒 | 私がスポーツで学んだこと
身長130センチくらいのチビの私が、中学1年生で高校生のチームに
高校一年だと偽り(どうかんがえても、ばればれだ)高校生の中でも試合をするようになった。

けど、残念なことに私の力は微力であり、
負けることが多かった。

中学一年の私にとって、高校生は怖いものであり、
ものすごく大人に見えたので、いっさいなにもいえず、
ただただあたえられた仕事をこなしていた。

だから、勝っても、負けても、どっちでもよかった。

よくみんなに、「高校生のチームにはいって試合して、なぜ
緊張してないのか?」といわれたことがあったが、
自分のチームではないと思っていたので、緊張しなかったんだろうと
思う。
けっして、心臓に毛が生えていたわけでは。。。。ないだろう。

それにくらべて、同級生が10人近くいたので、
同級生で組むチームのほうが、これからの希望が
たくさんあり、負けながらもみんなで「ここをよくしよう!」
とか、「この部分を強化しよう!」とか、わりと積極的に
動いていた。

そして、若い顧問もこれから成長するであろう
私たち学年に、ものすごく集中してくれたので、
みるみるうちに、チームは強くなってきた。

そして、私たち中学生チームは「勝つこと」の喜びを得たので
ある。

このとき、「負けてあたりまえ」だった雰囲気が、
「負けること」のくやしさという雰囲気が育ってきた
ような印象を今でも覚えている。

負けに慣れていたことに気がついたのである。

勝つために、どうするか。
勝つために、どんな練習をするか、
勝つために、ポジショニングをどうするか、
勝つために、戦略をどうするか。

そんな動きがチームでわさわさ生まれていた。

そして、朝練がはじまる。

「勝つために」
「この試合で、あのチームに勝つために」

ならば、朝練が楽しくてしかたがなかった。

でも、私は、、、練習が好きではなかったのだが。。。
チームメイトは、好きだった。
それが、なぜか楽しかった。

myグローブ

2005年03月17日 12時08分41秒 | 私がスポーツで学んだこと
はじめて使ったグローブは、
母からのお下がりだった。

当然、小学生の私には、とてつもなく大きいもので、
ボールを取ったら、グローブごと飛んでいったりしていた。

これではだめだということになり、誕生日に
買ってもらうことになった。
小学5年生のとき。

どれがいいのかさっぱりわからない私は、
大きなグローブに慣れていたので、どうしても
子供サイズ(そのころは、あまり種類がなかった)
のには魅力を感じず、大人のところで、
一番小さな、そして当時としてはめずらしい
【黄色いグローブ】を選んだ。

理由。
ボールが一度はいったら、でてこない!と思ったことと、
グローブを装着したときに、手の甲があたる部分に
羊毛がついてあり、とっても気持ちよかったからだ。

うれしくてうれしくて、枕元に置いて寝たことを思い出す。

よく、ドラマである風景だが、ほんとうにうれしいときは
枕元に置くのだろう。

結局、このグローブは8年間使うことになる。

使いすぎて、穴がいっぱい開いていたんだけど、
どうしても、体の一部のようになっていて、
それ以外を試合に使用する気になれなかった。

何度か新しいグローブにしてみては、という
アドバイスもあったが、グローブは年々手入れを重ねて、
使って、使って、使いたおして、
我が手になじむので、予備でひとつは買ったものの、
どうしても使う気になれなかった。

最後の方は、ほとんど素手でとってんのとちゃうか?
というほど、うすっぺらなグローブになっていた。

水を含むと、ふにゃふにゃになりそうだったので、
チームメイトからは、「炭酸せんべえみたい」と
いわれたこともあったけど、
灰になるまで使いました。

グローブは、自分の手になるまで
やはり、2年はかかりるな、、、(練習する頻度にもよるけど)。
と、3代目のグローブを一生懸命愛情込めて(?)
なじましているところ。

イチロー選手のように、「道具に愛情を注がないと、野球は
うまくならない!」と、とても丁寧に手入れしている姿をみて、

私も愛情はあるものの、手入れが行き届いてなかったな・・・
と反省しきり。。。

だからだ、、、上達してないもんな~
うるうるうる。

でも、グローブはよくなってきているのはたしか!
それ以外の、、、技量は・・・ま、ぼちぼちがんばろう!

「連勝」から「連敗」へ

2005年03月14日 10時28分24秒 | 私がスポーツで学んだこと
勝つことに慣れてしまうくらいだった、小学校時代から、
突然、「負けること」が当たり前の中学校生活がスタートする。

私は、親の策略で、ある「私立中学」へ進学することになった。

そこは、カトリック系女子高。

クラブ活動は、二の次、三の次、十の次である。

ただ、この学校を受けてみようとおもったのは、校舎のすばらしさと
なぜか「ここに来ることになっていたような気がした」という
わけのわからんデジャブーであった。

真新しい制服で、初めての電車通学、友達もまったくいない、
シスターとの対面、宗教行事・・・と
私の環境は、すべてが変わったといっても過言ではない。

そして、ソフトボールにも大きな変化があった。
私は、当たり前のようにソフトボール部の見学にいった。

6年一環校であったので、高校生と一緒に練習をしていた。
が、私はめまいがした。
それは、あまりにも技術的にも、練習内容的にも、
「遊び」という練習風景だったからだ。

私は、それまで自分のレベルは低いと思っていた。
だから、普通に中学生や高校生ともなると、社会人ソフトボールに
近い水準のプレーが目の前に繰り広げられると思っていたのである。

が、そこには私の所属していた小学生のときのチームと試合をしても
絶対に負けてしまうであろう、中、高校生チームがいた。

あまりのショックに、ソフトボールの入部をやめ、バトミントン部に
一時入部したくらいだった。(バトミントン部の人がとってもしつこく勧誘してくるので)

しかし、、、、私は、なにもかもが変化し、入学式からテストが3つもあり、
ずたぼろの成績が張り出され、自信を無くしていたところだったので、
少しでも自信のあるソフトボールで元気をつけたかった。

そこから、私のソフトボール人生の中で、

「連勝」から「連敗」へ移行されたのであった。

夏休みは2日だけ

2005年03月13日 20時48分43秒 | 私がスポーツで学んだこと
今から考えれば、びっくりする。

小学校4年から6年まで、夏休みといえば
純粋に「あそぶ」ためだけだったら、2日しかなかった。
(お盆とかは、別として)

私は、細く真っ黒に日焼けしていたので、
チョコボールだの、ポッキーみたいだのと
よく近所のおばちゃんにいわれていた。

そうです、それだけの日焼けの原因は、
プールにいっていたわけでもなく、
グランドで、ソフトボールをしていたのです。

毎日、毎日。鼻血がでるほど。

でも、不思議と楽しかった。つらいという
思い出はなかった。

それでも、くそ暑い夏休みに
プールにいけないことは、残念だったので、
ソフトボールが休みの日は、決まって「プール」に
行っていた。

だからなのか、、、私は本当に泳げなかった。
学校の授業プールでも、「碁石ひろい」が6年生まで
続いたくらいだ。

だから、プールに行くといっても、「水遊び」であった。

そんな風にソフトボール漬けになっていたのには、わけがある。

やたら、私が所属していたチームが強かったから。
学校対抗では、優勝。
市へ選抜され、優勝。
府でも選抜されたが、これはたしか3位だった。

それでも、市からはえらく褒められ、優勝した報酬と、
府大会での功績で、旅行させてもらった。
近場であったが、田舎の方の学校へ。

円広志の「夢想花」が流行していたときで、大声で皆で歌いながら
バス旅行を楽しんだ。
飛んで~飛んで~、回って回って~
なんていいながら、私は「バス酔い」してたっけ。うっぷ。

川にはいって、魚をとったり、
現地の小学生と、体育館で給食を食べたり、
バスケットをしてみたり、ソフトボールをやったら、
その学校ではなじみがなかったらしく、えらく尊敬されたり、

このとき、、、「スポーツを通して、こんな楽しいことがあるんだ!」と
ものすごく感じ、またやり続けることに、不安もなかった。

「勝つ」ことに慣れ、
監督との信頼感もあり、
チームメイトとの信頼もあった。
なにより、大人がものすごく協力的であり、
私たちに、たくさんの応援を惜しみなくしてくれていた。

そこへの感謝は、ずいぶん後になって
ものすごく感じることになったが。。。