音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

人間疎外感 と 人間関係

2012年04月26日 | 日常雑感
人間疎外感を感じてきた人達が人間的な親密性を初めて感じることができるようになるには、何が必要か。

これは現在でも重要な課題であるし、考察を要する重要問題である。
社会においても学校においても。

これまでは、よい人間関係が作られて、気軽に話し合いができるようにしていくことで、胸にたまっていたものが吐き出されて、気持ちが良い方向に回復するようになる、と考えられていた。

しかし最近では、様々な人間関係を作る技法やその効率よりも、「人間関係の質」こそが最も肝腎な条件であることがわかってきた。

あたたかさ、気づかい、信頼、真実性、などの言葉で表されるものとともに、対等な人間どうしの関係である相互依存性、出会い、無条件的尊敬、受容、共感的見解の努力などが必要な条件であることが明らかとなっている。

このことは学校教育の場においては、愛情飢餓状態にあったり、自信を剥奪されてきた生徒が、人間的に尊重されて受け入れられる初めての体験となり、人間性の恢復を早くするという事実として証明されている。

この事例は社会人においても、まったくそのまま当てはまるものである。

ここで学校教育の現状に目を向けてみると、まだまだ人間疎外感に悩む生徒の多いことが危惧される。

これまでの学校教育が、主要な、直接的な教育目標として、人間、人格的発達、人間的成長を考えることを組織的に回避してきた現状がある。

「学校は常に個人の成長について広範なレトリックは語ってきたが、事実上は人間的ないし心理的発達は主として学校の中の行き当たりばったりの(かつ有害な)諸力の結果であった」と指摘する教育者もいる。

その結果、恵まれない青少年はアカデミックな授業の結果、自己軽蔑をいだくようになる。

こうした青少年が大人になったとき、歪んだ自己軽蔑が、どのような歪んだ社会的行動を起こすかは想像がつく。

日本では、まだ受験準備競争の圧力が強く支配しているため、学校における人間性恢復への要求はいまだに眠り続けているのが現状だ。

切実に学校教育に求められているのは「カリキュラムの人間性化」であるのだが、教育者自身も、教育現場もそれに気づいていない場合が多い。

豊かな社会、それは物よりも心の豊かさであるが、それを実現するためには、何よりも教育がその鍵を握っている。

それは学校教育はもちろんだが、生涯教育の役割も大きい。


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