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母の伝記 その3

2017-10-15 19:46:52 | 日記

前回から続く

このあたりで下高井戸の家についてふれなければなるまい。
母は30歳で私を生んでいるが、私が生を享け、母の実家でもあるこの家は、京王線の駅から徒歩2分と至近で、
造りは木造の二軒長屋。ちょうど世田谷区と杉並区の境界線に面していた。

つまりウチは杉並区で、向かいは世田谷区。中間の共同井戸は境界線上という具合。
昭和30年代までまだ残っていたが、上下水道はなし。
したがってトイレは汲み取りで、狭い庭にはヤツデやドクダミが繁茂していた。
落とし紙は粗悪な仙花紙のチリ紙ですらなく、古新聞を適当なサイズに切ったもの。
今の人には想像もつかないだろう。
(いかにも貧乏人に見えそうだがそんなでもない。弌正は自宅で英語塾を経営し、けっこう生徒がいたものだ)

たしか1年後、豊は凉子と私を連れて勤務先である拓殖大学の花小金井寮に移ったと記録にはあるが、私はおぼえてない。
かろうじて記憶にあるのはその次の住まい。昭和28年に転居した明大前の富士見荘アパートである。

4畳半一間、バスはなくトイレどころか流しまで共同、これで月5000円。
約3年半居住したが、明確に覚えているのは昭和29年1月の大雪くらいか。

昭和20年代の明大前は、神田川の向こうは八幡神社の森、手前は一面の水田という田園風景で、初夏にはカエルがゲコゲコという環境。
ウチは途中で小平に越したが、あのアパートは昭和38~9年頃火事で焼けてしまった。

話しが前後するが、母は昭和23年頃キリスト教に入信している。

続く

 



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