個人旅行

過去の旅行記、趣味全般、その他関心のあること全て。

坂西志保に会いたい(伍助沢に行きたい)

2015-05-07 05:05:18 | 旅行

いきなり意味不明の固有名詞が二つも並んで、とまどっている人の顔が目に浮かぶ。
たまたまどちらかの名に記憶がひっかかった方でも、両者の関係に思いが至る人はそう多くはなかろう。
坂西志保は明治29(1896)年に生まれ、昭和51(1976)年に亡くなった。
日本で女学校を出た後米国に単身留学し、哲学博士の学位を得て、大学の助教授から
米国議会図書館の司書を、邦人女性として初めて勤めた立志伝中の人である。
石川啄木や斉藤茂吉の短歌を英訳して欧米の日本趣味を盛り上げた。
太平洋戦争中は「海軍のスパイである」として本国に送還されるなど、波乱の生涯を送ったが、
戦後は米国通の数少ない女性として公職を歴任、評論活動のかたわら膨大な著作をものした
スーパーウーマンとして一部では知られている。
私は「暮らしの手帳」のエッセイで彼女の名を知った。
で、その彼女が育ったのが「伍助沢」である。
当時、北海道後志国忍路(おしょろ)郡塩谷村(現小樽市塩谷)の開拓地に、
父坂西傳明が農家として入植したのが明治26年のこと。
今その場所は跡形もないが、別の農家が畑作をやっているはず。
さて学齢に達した彼女は近くの小学校に入学した。
これが塩谷村立塩谷尋常小学校伍助沢分教場で、場所は軍用道路?じゃなかったフルーツ街道沿い。
教師は伊藤昌整といって、作家伊藤整の父親だ。
成績はおそろしく良かったらしい。
晩年の父親が昭和11年の北海タイムスに思い出を語っている。
「あの子はとにかく学校の勉強がよくできた。一人で勝手にアメリカにいってしまったが、
そんなに活躍しているとは知らなかった」
すみませんね、あまり興味のなさそうな話を縷々書き連ねて。
で、その坂西傳明はキリスト教徒なのだが、晩年にある教派に所属変えをし、そのとき
指導した牧師の孫(私の小学校の同級生・米国在住)と24日に久々に再会するので、
昔のことを思い出したわけです。失礼しました。(2012.2.21記)「坂西傳明に会いたい」参照。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
坂西傳明の晩年 (haw)
2013-05-11 03:42:34
傳明は救世軍に入団しています。「晩年に、ある教団に所属変え」というのは、この教団でしょうか?その時に指導した牧師というのは、どなたでしょうか?是非とも、知りたいものです。
伍助沢分教場と桜井農場 (吉川伸)
2015-12-12 16:02:07
私は桜井農場をつくり、分教場設立に尽力した桜井静の子孫のものです。桜井農場の場所を探していましたが、坂西志保さん関連のブログから桜井農場の場所が見つかり二度行きました。その周辺には農場で働いていた人たちの子孫の方が今も住んでおります。坂西志保さんの両親もこの農場の関係の方だったのかもしれませんね。

コメントを投稿