Baseball Journal in South Africa

野球と南アフリカとわたし、そしてあなたをつなぐ

州ミーティング

2007-05-30 | 活動記録
昨日はベースボールの州会議に行ってきました。
今年も12月に行なわれるサマーゲームに向けてのプランニング。ここ2年間と比べての大きな違いは、このミーティングの時期が3ヵ月以上も早まったこと。交通費などの個人負担が出来ないため、ミーティグひとつにしても教育省の予算組みがないと開催できない。去年の大会前の段階から、うちの教員と共にこのミーティングの開催時期の前倒しをずっと懇願していた。ほんとは1月中にやってくれと言っていたのだけれど、そうやって言ってて何とか5月中開催にこぎつけることが出来た。これがアフリカン・スタイルにおける勝利 ^^)v 

ここ2年間との大きな違いがもうひとつ。それは、色んな思いが詰まったあの大会前の準備期間に、自分はもういないということ。
選手選抜、だいじょうぶかな・・・。ここでベースボールをやっている子供たちにとって、このサマーゲームのメンバーに選ばれるかどうかは、死活問題になる。それを決めるのは、子供たちのその気持ちを台無しにしてきた大人たち。 お前は自分のところの選手ばかり選びすぎだ、という批判が自分に対してあったのは知っている。でもそんなの当たり前なんだよね。そのつもりでこっちは来る日も来る日もやってたんだから。トライアルの当日だけひょこっと現れて、初めて会ったプレーヤーをこいつはいいあいつはダメと判断することをフェアだなんていうなら、それは平等の意味を履き違えている。
教員なんて全く頼りに出来ないという事実と、それでもやっぱり教員を頼りにするしかないという事実が重なり合って、前は見えないまま。毎回毎回ご立派に飛び交うもっともらしい意見に「今度こそ」とやっぱりしてしまう期待と、ことごとくそれが裏切られてきたという経験で、もうあんまり心が動かなくなってきました。

ミーティングを聞いてても、上の空。自分はもういなくなるんだなあ、という実感だけが浮かんで。
とりあえず手帳に、「10月20日 州選抜トライアル」とだけ書き込んでみた。
自分は日本で何してるんでしょうか。

嗚呼、青春の日々

2007-05-28 | 活動記録
5月も終わりですね。日本はそろそろ暑くなって来たかな?

先週はほとんどホテル暮らし。デニスヴィルから帰ってすぐに指導者講習会で、いつも行くボツァベロの奥のタバンチュというところにいました。ホームランドといって、アパルトヘイト時代に黒人専用の居住区となっていたところです。しかしそんなところにあって泊まったホテルはカジノ付きという相変わらずわけの分からない国ではあります。

南アの学校スポーツには、指導者資格制度というものがある。どのスポーツでも今回のように教育省主催で地区の教員を集めワークショップを行い、最後に筆記試験を行なってそのレベルに応じた資格が取得できる。話だけ聞くと、なんだずいぶん立派なことやってるじゃないか、なんて思うところですが、その実態にはいろいろと疑問符がつきます。今回自分は講師という立場で、三日間を通して野球のセオリーから始まって、基礎的な技術の指導、戦術の説明、試験監督と、なかなかタフな役回りでした。本来なら野球連盟に所属している専門のコーチがやるべきなんだけど、まあいろいろ有りまして、自分が代理を務めたのです。困ったこと、
① 時間が守られない
これはもうひどい。2日目は7時朝食、8時セッション開始だったのに、7時50分頃に超ハイテンションで食堂に現れる神経が理解できません。ちなみに3日目はさらにひどく、7時15分に食堂に行ったら、人っ子ひとりいませんでした。8時が過ぎても半分近くが現れない。もともと時間的に足りないものを泣く泣くいろいろと削って準備したところで、さらに人を追い詰めるようなことはしないでもらいたい!
② 試験問題が不親切
いちおうメジャーリーグの普及プログラムに乗っかっているところもあって、それなりにコーチングのシステムなんかはしっかりしているんですが、基礎レベルの資格のためのテストなのに、自分でさえ解けないような問題が次々と出てくるのはどうかと・・・。自分の仕事は指導者を増やすことなので、試験問題から逆算して講習会のプログラムを作ったのだけれど、どう考えてもこの段階でカバー出来ない問題まで組み込まれているし、テキストブックを参照しても答えられない問題が出てくるのは、不親切としか言いようが無い。南アフリカの指導者を育てるということで、南アフリカのテキストブックに沿って進めましたが、なかには「それはちょっと違うだろう」って思うものもあって、折り合いをつけるのが難しいところもありました。
③ 参加者にやる気が無い(そのくせ文句が多い)
この類のワークショップ、日本と違うところは、参加者がびた一文も払っていないというところ。ホテル代、食事代、交通費、飲み物代、全て教育省が持っている。さらに(こちらからすれば)悪いことに、この資格制度は彼らが喉から手が出るほど欲しい“出世”に関わってしまっている。つまり野球を教える気がなくてもとりあえず取っておこう的な参加者がうじゃうじゃといるのです。10分のトイレ休憩に30分も使う教員たち、飲み終わったペットボトルをそこら中に捨てる教員たち、技術講習を無視して塊になってタバコを吸っている教員たち、技術練習の時間だと分かっているのにタートルネックと皮のジャケットにデニムを合わせてくる教員たち(2人)、行方不明になる教員たちなど、その状況たるや惨憺たるものです。
さすがに堪忍袋の緒が切れた瞬間↓
 教員a:「今日は何時に終わるんだ?」
 自分:「18時」←もともとそういうプログラムで要請された。
 教員a:「ラグビーの試合があってテレビみたいからもっと早くしてくれ」←この時点で言ってることがすでにおかしい。
 自分:「何時から始まるの?」←けっこう物分りの良いフリ
 教員a:「15時だ」
 自分:「15時??そんなの無理に決まってるでしょ。」
 教員a:「じゃあしょうがないから15時半でいい。俺の30分を犠牲にしてやる。」
・・・思わず講師とか何だとかそういう立場を忘れて、気付いた時には手に持っていたカラーコーンを地面に投げつけてました。幸い昼休みで周りに人も少なかったので大事にはなりませんでしたが、思い出すと今でもはらわたが煮えくり返ります。そして気が滅入って無口で夕食を食べていると、「WHAT’S Wrong?」。いや、それはこっちのセリフだから・・・。何でオレがあんたらの出世のためにこんなことを我慢しなくちゃならないんだ、ってね。
④ 責任者に責任感が無い
とりあえず道具の準備とか、フツウは真っ先に考えることじゃないのかってね。

ってな感じで身も心も削られて家に帰ってきました。で、これから試験の採点です。
彼らの出世が僕の手にかかっています。
滑稽です。

cold enough

2007-05-25 | 活動記録
ここに来ていきなりドタバタしてます。
火~木まで北部のデニスヴィルという町へ出張していました。教育省のプログラムで、初心者へのベースボール講習会。初日がセカンダリー、二日目がプライマリーと別れていたので、たった一回、それも3時間でベースボールのべから始まって、ゲームにまで持っていかないといけないという相変わらず超過酷な試練を与えられたわけで(笑) 言葉の通じないアフリカンキッズにやったことも見たこともない野球を教えるなんて大変でしょう、なんて同情的な言葉をかけられることもよくありますが、はっきりいいましょう。

めちゃめちゃ大変です

大変というか、一人でやろうとしたら不可能です。今回は同僚のPETERが同行してくれ、さらに初日がセカンダリーということで二日目に彼らをコーチ役として回せたので、かなり助かりました。初日はある程度、自分の予定をもとに進めたのですが、二日目は困難を見かねたPETERが出したプラン通りに進めました。自分の思惑とだいぶズレがあったのであんまり納得が行かなかったんですけど、結果的にはそれで上手く行って、ホッとしました。自分もちょっと頑固なところがあるので進行面などでよく衝突するんですけど、アフリカ人のことはアフリカ人が一番良く知っているということ。指導の目的であるベースボールに対する自分の知識と、指導の対象であるアフリカ人に対するアフリカ人の知識がミックス出来ないと、決して上手くはいかないものです。永遠の反省材料。

で、また金曜日から、急遽入ってきた指導者講習会のために出張です。ただいまヒーコラいいながらその準備をしています。
ヘタすると子供より扱いの難しい大人達と過ごす3日間。どうなることやら・・・


ところで明日の最低気温もマイナス3℃。
ずっとゲストハウスに泊まっていたのですけど、部屋がむちゃくちゃ寒かった。「むちゃくちゃ寒いんだけど」ってオーナーに文句を言ったら、「俺はロシアに行ったことがあるけど、あそこはマイナス30℃にもなるんだぞ。日本だって北の方に行けばもっと寒いだろ。こんなものは寒くない!」と一蹴されました。暖房くらい入れろよ!! 二度とあんなところには泊まらねぇ。
2年前に韓国に行った時も、韓国人ツアーガイドに「寒いって韓国語でなんていうの?」って聞いたら、「こんなのは寒くないよ!」って日本語で返されました。その後、そのガイドとしゃべることはありませんでした。 

どうやら外国人とは心が通じないようです。

チーム力向上ぜっ

2007-05-19 | 活動記録
放っておくとゴタクばかり並んでしまうこのブログなので、たまには野球のコーチらしい内容でも。

今日から始めた練習法。名づけて”Speed up Fielding”。練習に名前をつけることは大事です。開発者はわたし。
技術的な効果は、
―野手の一歩目のスタート能力向上
―スローイングのスピードとコントロール強化
―カバーリング能力の向上
他にも、
―プレイ時の集中力向上
―攻守交替のスピードアップ
などが期待されます。

で、やり方はというと、
(準備)9人一組で2チーム作り、片方は守備、もう片方は休憩。守備チームはベンチ前のラインに並び、コーチの笛の合図でそれぞれのポジションにつく。
① 投手はストライクを投げる。
② キャッチャーが捕球する瞬間に野手はその場でジャンプ。これを3ストライクまで続ける。
③ 3ストライク目をキャッチャーが2塁送球。これをショート→ファースト→サード→セカンド→バックホームと回す。
④ キャッチャーが捕球したら、野手はベンチ前のラインまで戻ってくる。
⑤ 最後の野手がゴールしたら、もう片方のグループが今度は守備につく。
⑥ これを3~9イニング分、繰り返して、総合タイムを計る。
(備考)
・ 各ポジションに目印を置き、野手は必ずそこでジャンプ(投手は投球前に必ず確認する)。
・ 一人でもジャンプしなかった場合はストライクでもカウントしない(相手チームの選手がチェック)。
・ 送球がそれたり、落球したりした場合は、ノーストライクからやり直し。
・ ポジションは自由に変えてよい。
・コーチは攻守交替ごとにタイムを計測し、経過をボードに記入していく。

で、ためしに今日やってみた結果は、、
☆投球に対する野手の集中力がアップする(と思われる)
☆つまりは一歩目のスタートが向上する(と思われる)
☆ミスの後のリカバリーを早くするために、送球コースを事前に予想してカバーリングにいくようになった。
☆試合に近いスピード感と緊張感の中でプレイが行なわれた。コミュニケーションのスピードもアップした。
☆ミスを繰り返しながら、相手のとりやすいコース、スピードになるように送球を修正する姿が見られた。
☆少しでも時間を短くするように、攻守交替を駆け足で行なっていた。
☆運動量が多いので、トレーニング効果もあり。

けっこうアフリカンベースボールの弱点は突けているんじゃないかと思う。日本でも小学生~中学生くらいには効果的かと。
およそ2時間半という試合の中で実際にボールが動いているのはわずか20分強といわれている。つまり残りの2時間を有効に使うことでゲームの流れを支配する。攻守交替の流れを早くすることで、相手より先にコミュニケーションを含めたプレイ準備を完了し、常に先手を取って自分達に有利な状況を作り出す。理論を頭に入れたら、後は訓練。スピードのある状況で集中力を発揮する訓練。

精神的にもかなり一体感を感じることの出来る練習だし、残り一ヶ月は、この練習をひとつのメインとして徹底的にやっていこうかと思います。様子を見ながらね。

②言葉と文化

2007-05-17 | 写真で振返る南ア生活
協力隊は赴任後、2週間~1ヶ月の現地訓練を受ける。まずは現地の生活に慣れ、ここで活動に向けた準備期間とする。
この写真はその時の様子で、南東部にあるグラハムスタウンという街の大学の施設を借りて、現地語の授業を受けているところ。

この隊員生活の失敗談を挙げるとするなら、言葉のこと。南アは公用語が11個もあって、イギリス系の英語、オランダ系のアフリカーンス語、アフリカ系のズールー語を筆頭に、ンデベレ語、ツワナ語、ソト語、シスワティ語、コーサ語など地方ごとに言葉を使い分けている。公用語といっても、定義は曖昧で、黒人の中には5つも6つもしゃべれる人がたくさんいるが、白人は基本的に英語かアフリカーンス語しか解さない。さすがに全て同じレベルで扱おうとすると混乱が生じるので、英語によるコミュニケーションが一般的といえます。
で、結論から言うと、いちボランティアとして、もっと現地の言葉を使うことの意味に早く気付くべきだったな、と思います。最初はやはり好奇心も手伝ってある程度は吸収出来たのだけれど、やはりどうしても英語を使うほうが簡単なので、段々と現地語から離れていってしまった。もちろん英語を使うこと自体も自分にとっては挑戦で、けっこうな時間もその勉強に費やしている。異言語に対する理解が進んでくるとひとつ気付くことがあって、例えば日本語と英語はひとつのランゲージという括りの中で並列に捉えられるけれども、それは違うのではないか。それじゃあ対訳が出来ない言葉の説明にはならないではないか、と思う場面がある。異なる文化の中で生活していてよく意識した言葉、例えば

野球を教えていて伝えたかった「応用」という感覚と、その英訳の”application”
キリスト教信仰を目の前にしての”unusual”という感情と、その日訳の「普通でない」「異常な」

日本語じゃないと伝わらない感覚もあれば、英語のほうがしっくりと伝わる感覚もある。一時期話題に上っていた「MOTTAINAI運動」を考えてもそうで、こちらの人たちなんかを見ても、とにかく物を無駄にするのが目に付くのはMOTTAINAIに値する言葉がないというのと密接な関わりがあるはず。 考え方を表現する手段として言葉が生まれ、そこで生まれた言葉をもとに新たな考え方を構築する。言葉というのはその文化で育った人間の考え方を反映するもので、現地の人間の考え方を本心で理解しようとするならやはり現地の言葉を学ぶというのは、相手の考え方を尊重するという意味でも切り離せないものなのではないか、ということ。だから相手の言葉を知らないで相手のことを理解するのは到底無理な話で、それは相手に対するリスペクトを持っているか否かという重要な意味を持っている、と感じるわけです。
年始にタンザニアに行って、公用語とされていた英語が通じない事実に疑問を持ってから考え始めたこと。世界基準、という世の中の目はあるだろうけれど、スワヒリ語という彼らの文化を象徴する言葉があるのだから、それを公用語として押し通す誇りはあっていいと思うのです。でないと、自分のように英語が通じると思って来てしまう観光客に、土足で踏み込まれるような事態が起きてしまうのでは? この一件は、自分にとってもいい反省材料でした。

2年経ってようやく気付けた、という意味でこの地での活動を評価するか、そんなことにも気付かずに2年も過ごしてたのか、という意味でこの地での活動を無価値化するかは、難しいところです。まあ無価値といってしまえるほどの潔さは自分にはないけれど・・・。

刺身が食いてぇ

2007-05-15 | 活動記録
久々に英語版のほうも更新しました。
土曜日の写真も載せてあります→Club news

今後の主な活動予定。
5月22~24日 フリーステート北部(デニスヴィル市)出張
6月2日 フリーステート・トーナメント地区予選開始
6月16・17日 フリーステート・トーナメント決勝ラウンド
6月22~24日 ハウテン・チャレンジ(勝手に名づけた)
で、野球指導が終了。
6月27日 フリーステート州にて活動報告会
7月3日 プレトリア移動
7月4日~6日 隊員総会、活動報告会(JICA、大使館)
7月10日 出発

です。いよいよ、と思いきやそれなりのイベントもあり、かといってお馴染みの連絡待ちの状態なので今はそんなに忙しくもなく、何だかあっけらかんとしております。

日曜の野球でまた日本食材をゲットしたので、今週も何とか食いつないで行けそうです。
冷蔵庫が欲し~~~~~

Difference

2007-05-11 | 活動記録
さて、土曜日にはトライアルが控えています。6月から始まる大会に向けて、そろそろチームのメンバーを決めなければならない。今回のカテゴリは、U-14Boys, U-14 Girls, U-16 Boys, U-18 Girsとなっているが、1チームあたりの登録人数を選手13名としたので、うちのメンバーをそれぞれのカテゴリに振り分けるとU-16 Boys以外は何人分かのスペースが出来てくるので、それを埋めるためのトライアルです。プレーヤーたちにトライアルのチラシを持たせて、それぞれの学校にインフォームをしたので、けっこうな人数が来ると思われます。
で、今回の選手選抜は、すべてコーチであるオラに任せようと思っている。自分は運営役としてU-16Boysをこき使いながら、サポートの役回りで行きたい。で、今までだとこういったトライアルで落ちてしまった子供はそれでサヨナラだったけれど、今回はチーム構成が自由なので、ダメでも自分達でチームを作って大会には出れます。といってもやっぱり大人達がリードを取ってやれないことにはそれも難しいので、その辺の仕組みを今日のミーティングでしっかりと説明してこようと思います。

というところまでがミーティング前の話。

で、改めてミーティングを通してアフリカで仕事することの難しさを感じましたよ、という話。
計画性というものがない。計画性がない人たちの中に紛れて計画的に物事をやろうとすると、例えばもうフリーステート大会に向けてシステムがほとんど出来上がっているのに、いきなりそれに被せる様に彼らの思いつき的な学校リーグだなんたらを入れてきたあげく、お前の作ったその予定を何とか変えろ、とか言われるわけです。で、それに反論すると、ふぅお前は確かにベースボールを知ってるけどちょっとわがままな所があるね(苦笑)的な空気が流れる。 果たして譲歩したところで、ミーティングが終わって家に帰れば自分たちの発言はキレイさっぱり忘れて、その後は何も起こらない。この辺は日本人的感覚だと理解しにくいんですけどね、本当に何も起こらないんですよ。
でもこれでじゃあ自分が正しくて彼らが違っているかというと、それがまた別問題だから難しい。なぜならここは南アフリカであって、日本ではないのです。思想も思考の方法もマイノリティなのはこちらの方。「郷に入らば郷に従え」という言葉の重みが感じられる今日この頃。賢人の言葉は色褪せませんね。 

主張は続けます。
殺せるもんなら殺してみろってんだこのやろう。

怨念ピッチ

2007-05-09 | 活動記録
久々に筋肉痛を味わっています。
日曜日はJ-EXPRESSの試合に今季初参戦するため上京しました。今季からリーグがひとつ上がって、いくら南アといえど、去年のような弱いものイジメ的な試合は続かない。苦しい台所事情もあるため、個人的には去年より一回り気合が入っております。
というわけで初登板。この前の大会観戦を通し、野球で南アに負けるわけにはいかないという決意が固まったので、ぐうの音も出ないほどにねじ伏せて来ました。まがりなりにもこっちは野球でメシを食っているわけで、つまりは人生がかかっているわけです。負け=死。むしろ死んでも死に切れないくらい。
8回、 121球、 1安打、 2四死球、 21奪三振、 でもなぜか3失点(自責点1?) 
南アに来てからでは一番、球は走っていました。意外と守れる相手に苦戦し、4-3(8回コールド)で辛くも勝利。アブね・・・

来週も投げます。


本業のほう。
6月から始まる大会に向けての準備期間。何とか関係各所とも連絡が進みつつあり、サポート体制も整いつつ、今のところロジック面は順調です。しかし今度は逆に、コーチングの方に問題を抱えています。こないだあるプレーヤーに言われたちょっとショックな一言。フリーステート大会をネタにモチベを上げようとしたところ、

「どうせそんなこと言って、また直前にキャンセルなんじゃないの?」

・・・やっぱりこうなるか。野球を通して目標を持って物事に取り組むことの意義を伝えたい、そんな思いでやってきた2年間。それでも度重なる不手際に対する不安で、コーチである自分でさえ先を見ることが出来ない環境。伝えたいことがあっても、それを伝えることが出来ないというジレンマに対して、子供の見せる反応は正直なものです。
とにかく今は、やるしかない。自分のこだわりとか、ボランティア観とか、そういったうるさいことはもう脇に置いておいて、プラクティカルに動いて行きたい。目下のところ、ローカルのミーティングやら、サポート申請、選手のリクルート、PR活動、会場のコンファーム、宿泊所の確保、賞品の準備、などなど、とにかく終わるまでは気を抜けない。はっきりいってこれが成功したところで、フリーステート野球の未来は95%危うい。それでも残りの5%の可能性を信じ続けることが、今の自分に残された唯一の道。


今日の一言

人間にとって成功とはいったいなんだろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、
努力したかどうか、ではないだろうか。

(「強く生きる言葉」/ 岡本太郎)

ズツウノタネ

2007-05-06 | 活動記録
朝晩は、秋も深まる南アフリカです。

今日は久々にボツァベロで練習試合。
4月の連休以来、どうもプレーヤーたちとの行き違いが多く、連絡伝達が上手く行かなくて、結果的に練習~試合もイマイチ活気が出てこない。7月以降のことも考えて、色んな仕事をプレーヤーや他のコーチに任せたりしようと思っているのだけれど、今のところそれが裏目に出てしまっている感じ。初めだから戸惑っている、というのなら仕方が無いのだけれど、やっぱり約束ごとや金銭的なものが絡んでくるとちょっと彼らの手には負えないのではないか、という感じ。
という感じで色々と頭痛のタネを抱えていると、昨日あたりから本当に頭痛がしてきました。頭が痛いというのはこういうことか・・・

もっと言いたいことはあるんですが、今から出掛けないと行けないので、また今度。
いったん失礼!

①南アといえば・・・

2007-05-03 | 写真で振返る南ア生活
今日から新連載をスタートします。といっても誰にも頼まれてませんが。
名づけて、「写真で振り返る南ア生活」。
おいおいもう終わった気になってんじゃないの!? なんてことは言わないで下さい。だって日本に帰った後に初心を取り戻しても遅いでしょ? 日本に帰れば、青年海外協力隊としてここに戻ってくることはもう出来ないから(精神的にも)。長渕剛も言っている。「生まれ変わるなら生きてるうちに」。
赴任以来、撮ってきた写真の中から一枚ずつピックして、当時の思いと今の思いを比べながら、2年間の暮らしの中で、自分が得たものと、失った物を考えたい。変わったことと、変わらないこと。今の立ち位置が分からなければ、新しいスタートだって切れないわけだし。

協力隊が決まった後、夜の筑波をドライブしながら信号待ちで、ふと「アフリカに着いた最初の夜」のことを思い巡らせた。緊張して眠れないんじゃないだろうか、というのが当時の推測。この写真の日付は、2005年の7月12日。そう、つまり南アに来た初日。で、実際はどうかというと・・・

爆睡(笑)

日記を書きながらも、脳の芯から眠りを欲していました。まあ20時間の長旅で疲れていたというのもあるけれど、治安の悪さにビビッてた上に空港で怪しいオヤジに絡まれ、道端で光る物乞いの目の鋭さにひるみ、大使館の警備の厳重さはアンビリーバブルで、日中の緊張感というのは、日本では感じることの出来ないそれだったから、ホテルの部屋に帰ると安心して疲れがドッと出た。初日の日記からの引用、

 「生きている実感、大げさに言えばそれが初日を終えての感想」
 「お金が無くても心が豊かってアフリカ人を形容するのに良く使われる言葉で、自分もそれを確かめたかったけれど、そうもさせてくれないのがアパルトヘイトの苦い歴史なんだろうか」
 「日本は犯罪の起きないことが前提だった。ここでは犯罪が起きることが前提にある。」

それでも何だかんだで人間というのは社会に順応するもので、犯罪に気をつけて暮らすというのは南ア生活では「当たり前」のこと、と捉えられている自分が今はいます。ちなみに南アは治安が悪いというのは、紛れもなく本当です。2005年のデータでは、殺人事件発生率がコロンビアに次いで世界第2位。人口10万人辺りおよそ57人。つまり2000人に1人という計算(ちなみに日本だと86000人あたりに1人:2004年)。レイプは報告されているだけで年間5万件を超え、一日辺りにすると150人で、24分毎に1人の少女が性的暴行を受けているというのがこないだ新聞に載っていました。はい、南ア自慢でした・・・。

なぜこんなになってしまっているのか。まあ表面的な理由としては、貧富の格差、銃所持が合法(一人4丁まで)、警察が弱い、といったことは挙げられますが、個人的に一番の原因だと思うのは、ズバリ「みんなが犯罪が多いと思っているから」だと思います。要は、公衆トイレの法則(と自分は呼んでいる)。キレイなトイレはみんなキレイに使う、汚いトイレはみんな汚く使う。罪を犯したところで、所詮は氷山の一角にしかならないのであれば、リミッターは下がってしまうわけです。
と、まあそんなことを考えてみたところで解決策なんか僕の頭には無いのですけれどね。生活スタイルは、「用も無いのに出掛けない。」いや寧ろ、「用があってもあんまり出掛けない」。せっかく知らない街に来たのだから散歩でも・・・・・NO WAY! 

やっぱり治安が良いにこしたことはない。結局、治安が悪いことのメリットなんてものはありません。何かいきなり本来の趣旨から話題が外れましたが(笑)、結局は仕事も私生活もこの話を前提に持ってこないと何も進まないのが南ア隊員生活なんだ、と思っていただいて間違いはありません。