Baseball Journal in South Africa

野球と南アフリカとわたし、そしてあなたをつなぐ

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2011-09-16 | トップページ
訪問ありがとうございます。

2005年7月~2007年7月まで、南アフリカで野球普及活動をやっていました。
いまは更新していませんが、記録として残しています。



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2005年7月、ベースボールの普及・発展を使命に、遥か西、アフリカ大陸へ。
WBCにも出場した南アフリカ、しかし赴任したフリーステートは、環境・水準ともに他地域とは雲泥の差。州選抜による全国大会、悪夢の8連敗から悲願の初勝利を経て、新しい目標を探す2007年へ。大学を卒業したばかりの日本人と現地アフリカンの織り成す、2年間の青年海外協力隊活動記録。

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以下は最近更新された記事です。

To Be Continued.

2007-07-10 | 活動記録
さて、いよいよ出国の時がせまっています。
日本人学校訪問、大使館訪問、JICAでの報告会と嵐のように終えて、何はともあれ今はヨハネス空港、飛行機の時間を待っているところ。
もう南アフリカを旅立ちます。


2年間書き続けてきたこのベースボール・ジャーナル・イン・サウスアフリカも、今回で最終回となります。

ここ一週間、色々なところで送別会も開いてもらって、本当にこの国でお世話になった人たちには感謝の気持ちでいっぱいで、でも当の本人はあんまりこの国を離れるんだという実感はなかったりする。確かに2年間の協力隊生活が終わりという意味では区切りだけど、この地で見て聞いて経験してきたことが、たくさんの疑問を自分に投げかけてきて、答えが見つからないことが多くて、そしてそれを考え続けていくことがこれからの人生のような気がして、だから今は道の途中にいるんだと思うのです。あれだけ待ち望んだ任期終了の時なのに、離れる実感も、充実感も、達成感もないのは、満足の行く仕事が出来なかったというのもあるけど、やっぱりこれが終わりじゃなくて、きっと自分のなかで何かが動き始めたからなんだと思う。それが何かは、これからの人生の中で少しずつ分かっていくことだと思います。

逃げ場をつくらないという自分へのルールのもと、何とか達成できた皆勤の目標。
雨が降っても、風邪をひいても、前へ前へと歩き続けた日々を通して、形にも言葉にも出来ないけれど自分に足りなかった何かが、今は手の届くところにあるような気がしています。それでもこの2年間で何が変わったかという問いに答えられるほど、ゴールは近くない。

不公平で、不誠実で、それでも希望のある世の中。
卑怯で、弱くて、それでも大きな可能性を持っている人間という生き物。
そして、その一部である自分を見させられてきた、2年間でした。
いま強く思うことを一つあげるとするなら、一人じゃ何も出来ないとは言い切れなくても、一人じゃないと出来ないことより、二人や三人、たくさんの人数で力を合わせれば出来ることの方が圧倒的に多いんだ、ということ。


コメントやメールなどを通じて励ましの便りを送ってくれたみなさん、本当に有難うございました。支えになりました。
このブログは今日で終わりですが、日本に帰ってからのことも何らかの形で書いていこうと思うので、もしその後もお付き合いくださる人がいましたら、個人的にメールをください。



またどこかで会えるといいですね。
そのときはよろしく。

2007.7.10  Naomichi. Y

やることたくさん

2007-07-02 | 活動記録
です。

金曜日に無事、任地を引き上げて戻って来ました。
とりあえず部屋の掃除など含めまったく終わらず、二日合計で4時間半しか眠れず、あげく配属先報告会の準備をしようと思ってPCを開けてパワポを作ろうと思ったら・・・・


パワポが消えてる!!!


前回使ったのがおよそ1年前。なぜ消えたかの理由は不明。昔のファイルも開けず。
ちなみにこの時点で報告会の13時間前・・・
諦めてワードに全部打ち込んで、配って、これ読んどいてという形にしました(笑)
こういう行動を、南ア隊員のあいだでは、投げ捨てジャーマンといいます。

ま、それだけじゃもちろん冴えないので写真を見せながら簡単に今後へのアドバイス的なものを入れました。たぶん伝わってないけど。
あとは、子供たちを呼んで、居並ぶ重鎮どもに向かってしゃべらせました。結局、そういった草の根の声と、それを助けるはずの上の意識をつなげるというのが、特にここ一年の最大のテーマであって、まあ思うようには行かなかったけれど、最後の最後でいい機会が持てたんじゃないかと思ってます。

赴任初日から最後まで、日本に帰りたいと思わない日は無かった。でも来たことを後悔した日も無かった。この活動を楽しいと思える日はなくて、苦しいことばかりの日々でしたが、ここに来るまでの22年間じゃなくて、それまでの22年にプラスされたこの2年間で感じたこと、考えたこと、作り上げてきたフィルターを通してこれからの人生を生きていきたいと思っています。


で、プレトリアに戻ってきたんですが、まあ遊びも含め、やることが多い!
あんましゆっくり振返ってる時間が今のところありまへん。

とりあえず明日の日本人学校訪問の準備をします。

なごり雪

2007-06-28 | 日常生活
ガンガン部屋を片付けています。
なんかこう色々とこみ上げて来ますね。
治安が悪いのと友達がいないおかげで、膨大な時間を過ごしたこの部屋。
嬉しい時も、悲しい時も、怒りに震えて壁を殴った時も、タンスに足をぶつけてもんどりうった時も、ひとりぼっちだったこの部屋。
2年間の思い出が、凝縮されています。

でも今の一番の心境は・・・


寒い!!!!


昨日といい、今日といい、雪が降りました。
だからもうちょっと待ってくれって何回言ってんだよ。

ところで報告書とか、報告会の準備とか、まったくやっていません。
いま、2年間で一番忙しいかもしれない。笑

次回はプレトリアから書きます。
さて、僕はどんな心境でこの街を去るのか。

Black Magic !

2007-06-26 | 活動記録
本格的に荷物の整理を始めています。金曜日に現地配属先にて報告会を行い、そのまま首都に引越し。
充実感や達成感というのはあんまりない。平静で、落ち着いています。ちょっとはすっきりしてるけど。
遠征とこないだの州内大会に関して、一連の最大のサポート先であったジンバブエ野球会に提出したレポートのコピペで報告します(前もこんなことやったな。)。

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参加中止になった大会にて
 2007年4月、本来なら再びフリーステート州のチームを連れて参加しているはずだった少年野球大会を一人で観戦しつつ、子供たちを晴れ舞台にあげてやれなかった悔しさを感じていました。相も変わらず連携の取れない州内の体制に業を煮やしつつも何とかチーム作りを進めていましたが、大会の一週間前になって、往復の交通をサポートしてくれる予定だったスポーツ省が突如その姿勢を転換し、遠征はキャンセルに・・・。そのことを選手に伝えた時の彼らの表情は忘れられません。自分としてもこの大会を最後のひと山と考えていたため、大きなショックを受けると同時に、現場の声をきちんと橋渡しすることが出来なかった責任を深く感じ、何とかこの大会の中からフリーステートに持って帰れるものを探そうと失意を抱えたまま大会に足を運びました。共に観戦に行く予定だった州の会長がケガで入院してしまい、結局ひとりで見ることになりましたが、やはりそこで目に浮かぶのはそこにいないはずのうちの選手達がプレイする姿・・・。2年間かけてようやく野球らしい野球が出来るようになったうちのチームがここにいたらどんなプレイが出来るだろう、その姿をなんとしても自分の目で見てみたい、そういった気持ちを抑えることが出来ませんでした。
思いつきから実現へ
 その日のうちに、兼ねてから親交のあったハウテン州(ヨハネスブルグ周辺)の野球関係者にアタックし、交流戦という名目での大会の再度実施を懇願しました。本来なら南アの少年野球は4月の大会後に半年間のオフシーズンに入るため、開催は難しいかもしれないという懸念はありましたが、ホスト役になるハウテン州野球連盟も好反応を示してくれ、結果的に任期終了前最後の週末である6月23,24日に、全国大会と同じボクスバーグ野球場を舞台にしたFRIENDSHIP TOURNAMENTが開催されることになりました。
 開催は決まったものの、やはり我がフリーステート州の大きな課題は資金面。現在のところ州内での野球は黒人低所得層の間でしか行なわれていないため、遠征するといっても自分達で資金繰りを出来るはずも無く、スポンサー探しの日々が始まりました。自分で提案しただけに失敗は許されず、これまでの経験から信頼できる相手のみを頼ってリクエスト、結局最後までドタバタは続きましたが、上述のようにジンバブエ野球会さんをはじめ、JICAや、任期最後に同情した(?)州スポーツ省も同僚の協力が手伝って救いの手を差し伸べてくれ、何とかGOサインを出すことが出来ました。
フリーステート州内大会の実施
 交流戦の前に、前段階として州内大会を企画しました。といっても、これまで州内の大会の実績が無かったため、その準備も容易には行きませんでした。今回その動きの中心となったのが、この3月に設立した州南部の野球協会。協会といっても明確な後ろ盾があるわけでもなく、学生や元ソフトボールチームのメンバーで構成された自主的な集まりです。州内の野球環境は教育省が主導ですが、その彼らに運営力が全くといっていいほど無く、このままでは野球が潰れて行くのは時間の問題という危機感から、ローカルレベルでもっと子供たちにプレイの機会を与えようと、彼らを中心に4月以降お互いの地域を行ったり来たりしながら試合のたびにミーティングを行い、環境向上に努めてきました。
 正直な所、州内大会は決して成功とは言えませんでした。何とか実施にはこぎつけたものの、予定していた20チームのうち結局参加できたのが半分以下の9チーム。というのも、実は大会を二週間後に控えたとき、アパルトヘイト後最大規模の公務員ストライキが始まり、学校、公共セクターの機能が停止してしまい、各関係者との連絡が急に途絶えてしまったのです。さらに施設などの提供先であった自治体もその余波に巻き込まれ、最後にグラウンドが見つかったのが大会の3日前というギリギリの状態でした。しかし、中には仕事を休んでグラウンド探しに奔走してくれたメンバーたちの努力の甲斐もあり、晴天の野球日和のなか、それでも100名以上の参加者によりフリーステートNo.1の座をかけた戦いが繰り広げられました。自身は大会運営委員長?としてメインフィールドのネット裏で観戦、シニアチームの決勝では審判も務めましたが、二年前のルールも指導も滅茶苦茶だった頃と比べれば、まずは正確なルールで“野球”が行なわれているという現況を嬉しく感じました。第一回の州内大会ということで、様々な課題は出ましたが、WBCよろしく、「まずは始めることに意義がある」の精神で、優勝の喜び再びを胸に第二回、第三回と続いていって欲しいと思います。大会後は表彰式が行なわれ、優勝チームにはトロフィー、参加者にはメダル、各年代ごとのMVPには自分の方から野球道具の贈呈を行ないました。
いよいよ全国の舞台へ
 当初の予定通りに(!)州内大会を勝ち抜いた、自身が直接指導するブルームフォンテンベースボールクラブのアンダー16ボーイズがハウテン州との交流戦の舞台に駒を進めました。本来ならガールズのチームも参加する予定でしたが、ハウテン側が最終的にガールズを用意することが出来ず、代わりに大会準優勝の隣町ボツァベロのチームが第二代表として、ボクスバーグに乗り込みました。参加チームは4月の全国大会優勝チーム、イースタンズが参加するなど、自身が提案したはずの交流戦もどうやら話が一人歩きしてしまったらしく、予想外の強豪ぞろい。しかしそこはフリーステート最強チームとしてひるんでばかりもいられない、選手にもハッパをかけて試合に臨みました。緒戦はチーム・ハウテン。全国大会でも上位に食い込む実力のチームを相手にエースを立てて臨みましたが、普段とは違うキレイな球場に緊張がほぐれず、エラー連発でいきなり5点を失うなど散々な立ち上がり。しかしエラーした張本人が会心の当たりでランニングホームランを放つなど、中盤から徐々に集中力を発揮し始め、一時は1点差まで詰め寄る猛攻。結局横田監督の継投ミスもあり13-16で落としましたが、やはり全国レベルでもある程度の野球になることを証明。イースタンズとの試合では守備陣が崩壊して1-21で大敗するなど、もちろんまだまだトップには程遠い道のりが残されていますが、ハウテン学校連合チームや、ハウテン州北部選抜チームに快勝するなど、3勝2敗で参加6チーム中3位のAクラス入りを果し、観戦に訪れた南ア野球連盟の幹部にも「(純正アフリカ人チームゆえに)ブラック・マジックだ!」と賞賛を受け、その存在を十分にアピールすることが出来たと思います。3名の選手が個人の表彰も受け、特に全試合で4番を務めたカベロ選手には他チームの監督からも声がかかるなど、子供たちの経験から見ても計り知れない効果を得ることが出来ました。
終わりに -アフリカ野球の発展を願って
 この大会・交流戦を通して、現地関係者に伝えたかったことがありました。それは、野球はチームスポーツであるということ。現在のところ、南ア少年野球では教育省主催の大会は州選抜チームによる参加という形で行なわれています。そのプロセスにおいて重視されるのはあくまで個人としての能力であり、毎年トライアウトを行い、技術のある選手をかき集めて、そのままチームで練習することもほとんど無く、大会に臨みます。結局日の目を浴びることが出来るのは能力のある少ない人間のみで、その何十倍もの数の子供たちは明確な目標を持つことも出来ないまま、静かにグラウンドから去ってゆきます。生活も含め、環境が整っていないからこそ、そういった子供達の心を動かすことがこのスポーツを底上げしていくために大切なことではないのだろうか、という思いをいつも抱えていました。たとえ自分が活躍できなくてもチームが強くなることで自分も勝利の喜びを共有できる、その喜びを再び味わうために自分がチームに対して貢献できる道を探す。日本で野球というスポーツがひとつの青少年育成の手段として大衆の心を捉えているのは、そういったプロセスに力があるからだと思います。今回の交流戦では、普段からキャッチボールをしている相手ゆえのプレイ、コミュニケーションも多く見られ、何よりも選手自身がそれを感じていたと思います。将来的に野球を職業としていける人間がほとんどいない中で、野球を通して選手達が何を得られるのか、もっともっと関係者は真剣に悩まなくてはならないと思います。また南アでは、未だに人種差別の歴史が残した後遺症から抜け出すことが出来ていません。野球でも白人を中心としたトップレベルのクラブチームと、旧黒人居住区の学校のチームとでは大きな環境の違いがあり、何よりもそこから生まれる低所得層の劣等意識が向上を妨げる大きな壁となっています。しかし今回の大会で選手達が見せたパフォーマンスのように、明確な目的意識と確かなプロセスの先には必ず光があるということも、このプログラムで伝えたかったことの一つです。残念ながらこの地での隊員活動はこれで終わりですが、バトンはこの経験を生かすべき彼ら自身に託し、一緒に戦ったチームのメンバーと共に、未来へと繋いでいって欲しいと願います。

速報

2007-06-25 | 活動記録
ただいま。無事に帰ってまいりました。

試合結果:
1.vs Gauteng  16 - 13 ●
2.vs Gauteng schools  2 - 11 ○
3.vs Easterns  21 - 1 ●
4.vs Gauteng North  7 - 11 ○
5.vs Free State B  5 - 6 ○

3勝2敗の勝ち点6で、3位入賞。
勝てる試合に勝ち、勝てるかもしれなかった試合に負け、勝てない試合に負け、という内容でしたが、結果には満足!!

今日のところは安心して寝ます。

Pride

2007-06-22 | 活動記録
2年間の指導の中で彼らにもっとも伝えたかったこと。それは、結果は確かなプロセスの先にあるということ。
赴任して最初の大会だった2005年のサマーゲーム、少しは楽しみにしていた彼らの大惨敗。20点差の結果よりも、ちょっと状況が不利になるとすぐに諦め、自分のミスからは目を反らし、責任を他人に押し付けて、知らない顔をして逃げ回る、プライドのひとかけらも見当たらない彼らの姿に愕然とした。教員達も同じで、審判が悪いから、選手達がレイジーだから負けた、出てくるのはそんな言葉ばかり。そしてそういう態度の裏にある、どうせ自分達は何をやってもダメなんだ、という腐りかけた心。自分なんかが歴史の問題を語るのはお門違いかもしれないけど、それが白人は優で黒人が劣というレッテルを貼られ続けた人々の意識。相手が白人に固められたチームなら尚更モロに出る。

確かに環境は違う。ゴロが真っ直ぐ転がってくるグラウンドなんかうちには無いし、ボールだってボロボロになっても使わなきゃならない、グラブはチームの中で順番待ち、遠征だってろくに出来ない。言い訳は探せばいくらでもある。でもだからといってそれを盾に自分の身を守っているだけじゃ、何も始まらない。野球が本当に好きで、その好きなことを通して自分を表現していきたいんだったら、その少ないボールをみんなで追いかけて、しっかりと相手の胸に投げて、どうしたら自分達が強くなれるかみんなで話し合う。 1年後の2006年、ボーイズは白星を0から3つ積み重ねた。やるべきことを継続してやっていたら、必ず前には進めるんだということ。あえて地元の学校を呼んで結果の明らかな試合を組み続けたのも、彼らに自分達は野球選手なんだという「プライド」を植え付けたかったから。そういう「プライド」は、彼らの周りにある犯罪やドラッグや酒やタバコといった問題とも対抗できる、人生を生きぬく力になるから。

木曜日で、ついに最後の練習を終えました。もうこれで、このブルームフォンテンで野球を教えることはない。ほぼ一年半にわたって続いた週3~5回の自転車往復30kmの旅も、ついに終わりました。痔にはなりませんでした。良かった。
チームの状態は、本番に100%になる可能性がある80%といったところ。相手は格上ばかりですが、勝ち負けはともかく現時点でのベストは出せると思う。準備としては、満足しています。

それでは、行ってきます。

あとひと山

2007-06-18 | 活動記録
2007、第一回フリーステート・ベースボール・トーナメントが終了しました。
大会について、あげていけばキリがないんですが、ちょっといまそれについて書きたい気分じゃないので、少し時間を下さい。
参加者の8割は楽しんでくれたと思うし、大会をやったことに意味があったとも思っています。

野球コーチとして、最後の一週間が始まりました。
金曜日にブルームを出て、ボクスバーグ入り(ヨハネスのすぐ近く)。自分の2年間のエキスがたっぷり入った、フリーステート最強のブルームフォンテン・レインボーズ(アンダー16)が初めて州の境をまたぎます。相手はヨハネスブルグの強豪クラブチームたち。

乞うご期待。
(写真:優勝したブルームフォンテン、アンダー14ボーイズ+ガールズ)

怒り その4

2007-06-15 | 活動記録
このブログの命も、もうあと少しです。もう少しだけ、お付き合い下さい。

水曜日。ここに来てというか、ここに来たからこそというか、子供らにキレました。 キレてしまった、という方が正しいか。
大会に向けて、最後の一週間だというのに、練習も心なしかダラダラムード。そういう雰囲気を感じ取ってピリッと締めてくれるような選手も出てこないし、コーチのオラも全然やる気が無い。たぶん学校に行っていないというせいもあって、彼らのメンタリティにハリが無い。と、まあこれだけならまだ施しようがあるんですが、大会に向けて大事な説明をしているのにふざけて聞いてないやつもいるし、練習に姿を見せないプレーヤーたちをどうするかという問いかけに対しても真剣に考えてるのは数人だけ。もう後は自分はただ大会に行ってプレイすればそれでいいと思って、ヘラヘラ笑っている。 
 ひとつの目標に向かって、チームメイトと汗水流しながら、それを達成する喜びを伝えたいと思ってやっていた。それだけでなく、その目標達成のために関わって、支えてくれる多くの人たちへの感謝の気持ちを持つように、それによって自分達が大人になったときに今度は支える側となってその喜びを次の世代へ伝えていく、そういうことが大事だと思っている。今回の大会や遠征にしたって、多くの野球を愛する日本人が支援してくれたお金が無ければ成り立たなかったし、球場探しから当日の食事にいたるまで、コーチのリオをはじめシニアチームの人間が仕事を休んでまで各所を走り回って準備してくれた。精神的にかなりきつい時もあったが、いつも背中を押してくれる日本人の応援があったからこそ自分だってここまでやって来れたし、そうやって本当なら今すぐに崩れ去ってもおかしくないフリーステートベースボールを陰で支えてくれる人たちがいて、自分達はこうしてここに立っていられるのだということ。そういう気持ちを持つことが出来ないプレーヤーたちには、少なくともこの最後の試合のグラウンドには、立って欲しくない。

歴史の重さを理由に、ただ待っているだけでも何かが与えられる環境。でもそんな生活がいつまでも続くと思っていたら、それは違うんだよって。
幸せは、お前のその手で掴めよ!

野球を通じた青少年教育。言葉でいうほど簡単なものではない。どうしたって、自分は日本人の立場でしか物事を言ってないということが分かっている。伝わらない伝わらない、といいながら、結局伝えるだけの能力が無い自分に対しても憤りを感じています。結局キレただけで、言いたいことが全然言葉にならなかった。ひとりで馬鹿見てる。

あぁ~ やるせない


次回は、大会の報告をします。

Undramatic Drama

2007-06-11 | 活動記録
何度も言いますが、ストライキのせいで任期最後の企画がガタガタです(笑)
さすがにこんな状態になるとは想定外のさらに想定外ですが、これもまた現実。

アフリカで野球を教えるというイメージから想像するドラマ。期待されるサクセスストーリー。そんなものとは全く程遠い出来事ばかりの現実を見続けてきた2年間。精一杯の期待と信頼に対して返ってくる裏切り、歴史や文化に対する自分の絶対的な無力さ。
でもそんな欲望とか自己中心的態度とか怠惰さとか無責任さとかが渦巻く2年間を体験できたことは本当にいい勉強になりました。日本人は律儀で真面目だとよく言われるが、むしろここでの暮らしで感じた人間のそういう弱かったり、ズルかったりする部分のほうに人間としての本質はあるような気がして、それはこれから生きていく上で覚えておくべきことかなと思います。


土曜日。フリーステート大会に向けた最後の壮行試合。フリーステートベースボールの未来を担うであろう我がブルームフォンテン・アンダー16ボーイズと元強豪ソフトボールチームのウィルソンズのゲーム。やはりシニアの壁はまだ破れず、5回まで2対2の接戦も投手の疲れに畳み掛けられ、2対8で負け。中盤以降の集中力、守備時のコミュニケーション、コーチ(自分)の投手起用、といったところが課題です。まあでもだいぶ野球らしくなってきたので、審判してても面白いです。


ところで、寒いです。
うちは暖房器具がない。去年は部屋の中まで寒くなかったのに・・・とこないだ一人で愚痴ってたんですが、よく考えると去年は寒くなかったから今年も寒くないというのは理屈として通ってないことに気付きました。そのあと新聞を読んでたら、5月は59年ぶりの寒さと書いていました。
だからせめてあと一ヶ月待ってくれって。。