本格的に荷物の整理を始めています。金曜日に現地配属先にて報告会を行い、そのまま首都に引越し。
充実感や達成感というのはあんまりない。平静で、落ち着いています。ちょっとはすっきりしてるけど。
遠征とこないだの州内大会に関して、一連の最大のサポート先であったジンバブエ野球会に提出したレポートのコピペで報告します(前もこんなことやったな。)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
参加中止になった大会にて
2007年4月、本来なら再びフリーステート州のチームを連れて参加しているはずだった少年野球大会を一人で観戦しつつ、子供たちを晴れ舞台にあげてやれなかった悔しさを感じていました。相も変わらず連携の取れない州内の体制に業を煮やしつつも何とかチーム作りを進めていましたが、大会の一週間前になって、往復の交通をサポートしてくれる予定だったスポーツ省が突如その姿勢を転換し、遠征はキャンセルに・・・。そのことを選手に伝えた時の彼らの表情は忘れられません。自分としてもこの大会を最後のひと山と考えていたため、大きなショックを受けると同時に、現場の声をきちんと橋渡しすることが出来なかった責任を深く感じ、何とかこの大会の中からフリーステートに持って帰れるものを探そうと失意を抱えたまま大会に足を運びました。共に観戦に行く予定だった州の会長がケガで入院してしまい、結局ひとりで見ることになりましたが、やはりそこで目に浮かぶのはそこにいないはずのうちの選手達がプレイする姿・・・。2年間かけてようやく野球らしい野球が出来るようになったうちのチームがここにいたらどんなプレイが出来るだろう、その姿をなんとしても自分の目で見てみたい、そういった気持ちを抑えることが出来ませんでした。
思いつきから実現へ
その日のうちに、兼ねてから親交のあったハウテン州(ヨハネスブルグ周辺)の野球関係者にアタックし、交流戦という名目での大会の再度実施を懇願しました。本来なら南アの少年野球は4月の大会後に半年間のオフシーズンに入るため、開催は難しいかもしれないという懸念はありましたが、ホスト役になるハウテン州野球連盟も好反応を示してくれ、結果的に任期終了前最後の週末である6月23,24日に、全国大会と同じボクスバーグ野球場を舞台にしたFRIENDSHIP TOURNAMENTが開催されることになりました。
開催は決まったものの、やはり我がフリーステート州の大きな課題は資金面。現在のところ州内での野球は黒人低所得層の間でしか行なわれていないため、遠征するといっても自分達で資金繰りを出来るはずも無く、スポンサー探しの日々が始まりました。自分で提案しただけに失敗は許されず、これまでの経験から信頼できる相手のみを頼ってリクエスト、結局最後までドタバタは続きましたが、上述のようにジンバブエ野球会さんをはじめ、JICAや、任期最後に同情した(?)州スポーツ省も同僚の協力が手伝って救いの手を差し伸べてくれ、何とかGOサインを出すことが出来ました。
フリーステート州内大会の実施
交流戦の前に、前段階として州内大会を企画しました。といっても、これまで州内の大会の実績が無かったため、その準備も容易には行きませんでした。今回その動きの中心となったのが、この3月に設立した州南部の野球協会。協会といっても明確な後ろ盾があるわけでもなく、学生や元ソフトボールチームのメンバーで構成された自主的な集まりです。州内の野球環境は教育省が主導ですが、その彼らに運営力が全くといっていいほど無く、このままでは野球が潰れて行くのは時間の問題という危機感から、ローカルレベルでもっと子供たちにプレイの機会を与えようと、彼らを中心に4月以降お互いの地域を行ったり来たりしながら試合のたびにミーティングを行い、環境向上に努めてきました。
正直な所、州内大会は決して成功とは言えませんでした。何とか実施にはこぎつけたものの、予定していた20チームのうち結局参加できたのが半分以下の9チーム。というのも、実は大会を二週間後に控えたとき、アパルトヘイト後最大規模の公務員ストライキが始まり、学校、公共セクターの機能が停止してしまい、各関係者との連絡が急に途絶えてしまったのです。さらに施設などの提供先であった自治体もその余波に巻き込まれ、最後にグラウンドが見つかったのが大会の3日前というギリギリの状態でした。しかし、中には仕事を休んでグラウンド探しに奔走してくれたメンバーたちの努力の甲斐もあり、晴天の野球日和のなか、それでも100名以上の参加者によりフリーステートNo.1の座をかけた戦いが繰り広げられました。自身は大会運営委員長?としてメインフィールドのネット裏で観戦、シニアチームの決勝では審判も務めましたが、二年前のルールも指導も滅茶苦茶だった頃と比べれば、まずは正確なルールで“野球”が行なわれているという現況を嬉しく感じました。第一回の州内大会ということで、様々な課題は出ましたが、WBCよろしく、「まずは始めることに意義がある」の精神で、優勝の喜び再びを胸に第二回、第三回と続いていって欲しいと思います。大会後は表彰式が行なわれ、優勝チームにはトロフィー、参加者にはメダル、各年代ごとのMVPには自分の方から野球道具の贈呈を行ないました。
いよいよ全国の舞台へ
当初の予定通りに(!)州内大会を勝ち抜いた、自身が直接指導するブルームフォンテンベースボールクラブのアンダー16ボーイズがハウテン州との交流戦の舞台に駒を進めました。本来ならガールズのチームも参加する予定でしたが、ハウテン側が最終的にガールズを用意することが出来ず、代わりに大会準優勝の隣町ボツァベロのチームが第二代表として、ボクスバーグに乗り込みました。参加チームは4月の全国大会優勝チーム、イースタンズが参加するなど、自身が提案したはずの交流戦もどうやら話が一人歩きしてしまったらしく、予想外の強豪ぞろい。しかしそこはフリーステート最強チームとしてひるんでばかりもいられない、選手にもハッパをかけて試合に臨みました。緒戦はチーム・ハウテン。全国大会でも上位に食い込む実力のチームを相手にエースを立てて臨みましたが、普段とは違うキレイな球場に緊張がほぐれず、エラー連発でいきなり5点を失うなど散々な立ち上がり。しかしエラーした張本人が会心の当たりでランニングホームランを放つなど、中盤から徐々に集中力を発揮し始め、一時は1点差まで詰め寄る猛攻。結局横田監督の継投ミスもあり13-16で落としましたが、やはり全国レベルでもある程度の野球になることを証明。イースタンズとの試合では守備陣が崩壊して1-21で大敗するなど、もちろんまだまだトップには程遠い道のりが残されていますが、ハウテン学校連合チームや、ハウテン州北部選抜チームに快勝するなど、3勝2敗で参加6チーム中3位のAクラス入りを果し、観戦に訪れた南ア野球連盟の幹部にも「(純正アフリカ人チームゆえに)ブラック・マジックだ!」と賞賛を受け、その存在を十分にアピールすることが出来たと思います。3名の選手が個人の表彰も受け、特に全試合で4番を務めたカベロ選手には他チームの監督からも声がかかるなど、子供たちの経験から見ても計り知れない効果を得ることが出来ました。
終わりに -アフリカ野球の発展を願って
この大会・交流戦を通して、現地関係者に伝えたかったことがありました。それは、野球はチームスポーツであるということ。現在のところ、南ア少年野球では教育省主催の大会は州選抜チームによる参加という形で行なわれています。そのプロセスにおいて重視されるのはあくまで個人としての能力であり、毎年トライアウトを行い、技術のある選手をかき集めて、そのままチームで練習することもほとんど無く、大会に臨みます。結局日の目を浴びることが出来るのは能力のある少ない人間のみで、その何十倍もの数の子供たちは明確な目標を持つことも出来ないまま、静かにグラウンドから去ってゆきます。生活も含め、環境が整っていないからこそ、そういった子供達の心を動かすことがこのスポーツを底上げしていくために大切なことではないのだろうか、という思いをいつも抱えていました。たとえ自分が活躍できなくてもチームが強くなることで自分も勝利の喜びを共有できる、その喜びを再び味わうために自分がチームに対して貢献できる道を探す。日本で野球というスポーツがひとつの青少年育成の手段として大衆の心を捉えているのは、そういったプロセスに力があるからだと思います。今回の交流戦では、普段からキャッチボールをしている相手ゆえのプレイ、コミュニケーションも多く見られ、何よりも選手自身がそれを感じていたと思います。将来的に野球を職業としていける人間がほとんどいない中で、野球を通して選手達が何を得られるのか、もっともっと関係者は真剣に悩まなくてはならないと思います。また南アでは、未だに人種差別の歴史が残した後遺症から抜け出すことが出来ていません。野球でも白人を中心としたトップレベルのクラブチームと、旧黒人居住区の学校のチームとでは大きな環境の違いがあり、何よりもそこから生まれる低所得層の劣等意識が向上を妨げる大きな壁となっています。しかし今回の大会で選手達が見せたパフォーマンスのように、明確な目的意識と確かなプロセスの先には必ず光があるということも、このプログラムで伝えたかったことの一つです。残念ながらこの地での隊員活動はこれで終わりですが、バトンはこの経験を生かすべき彼ら自身に託し、一緒に戦ったチームのメンバーと共に、未来へと繋いでいって欲しいと願います。