美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乘  2・26事件

2007年02月26日 | 歴史

 

平成19年2月26日(月) トップ画像はウスベニヒゴ(スミレ)

 

 昭和11年の今日は「雪の2・26」といわれた事件の起きた。
 私の父はこの事件をリアルタイムで記憶していた。“すごい雪のなか何事かと思った”と語っていたが。
 硬派の事件ながら漫画のモチーフになっている。その代表が庄司陽子の『テンペスト』であろうか。
 事件の首謀者,磯部浅一らが実名で登場しモデルとなっている。
 主人公は秋庭中尉とその妻・翔子。秋庭は架空の人物で皇道派,翔子は統制派の兄と体制側の父を持つ。まぁロミオとジュリエット的な要素を加味した作品。

 


1月にコンビニ本仕様で再刊された



 余談だが,このコンビニ本版では作者の庄司陽子氏が巻末の作者紹介に写真で登場している。正直,ご本人を見たのは初めてだった。


庄司陽子氏

 

 映画では三島由紀夫の「憂国」がその代表的なもの。

 こちらの作品は,新婚故に反乱軍への誘いを見送られた武山信二中尉が主人公。彼はそのために鎮圧する側になってかつての親友達と対峙することになるが,それができない故に自決するというストーリー。ストーリーは単純だが,それが能舞台を利用したなかで展開されると,一気に三島の構築する美の世界になる。今回,DVDで観た(2回目)が隠れた名作であろうと思う。


『憂国』のラストシーン
主演は三島本人と鶴岡淑子(妻役)


日乘  『言葉の歳時記』

2007年02月25日 | 風流

平成19年2月25日(日)“冬”

 

 俳人の櫂未知子氏の新刊『言葉の歳時記』を購入。36のテーマで季語について論じた作品。歌人から俳人になった氏ならではの切り口と思える意見になるほどと納得するところ大だった。

誰も皆靴冷たくて始発駅
純白で私を避ける雪ばかり
眠るたび父は銀河に近づきぬ
二人とはさびしき器鳥雲に
万緑の賞味期間の真つただなか
殺すほど愛したこともなく夕立
やは過ぎて私の毛皮に成れぬ
ぎりぎりの裸ゐる時も貴族
草の実はどこにも行けぬ味がする
冬銀河言葉で殺し合ふことを
手鏡を汚してしまふ泉かな
いきいきと死んでゐるなり水中花
佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり
薔薇色の肉を手渡す夜の秋
絶息や湯たんぽすぐに外すべし
 
       金子兜太編『現代の俳人 101』新書館より

  
春は曙そろそろ帰ってくれないか
白梅や父に未完の日暮あり
佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり
南風吹くカレーライスに海と陸
いきいきと死んでゐるなり水中花
雪まみれにもなる笑つてくれるなら
広島忌振るべき塩を探しをり
よし子万事済んだ安心して凍れ
簡単な体・簡単な服の中
海流のぶつかる匂ひ帰り花
       
自選句「俳句α 現代俳句の300人」毎日新聞社より



櫂未知子氏

 

 


日乘 菅公忌

2007年02月25日 | 風流

平成19年2月25日(日)“冬”

 

  菅原道真が今日が命日。行年数えの59。左遷先の大宰府でなくった。京都の北野天満宮では梅花祭が行われる。菅公忌は私が勝手につけた名称。

  道真は藤原氏や源氏などの名門一族が権勢をほこっていたころ,ときの宇多天皇や醍醐天皇から格別の信任を得て,右大臣にまで昇進した人物。(多分に既存勢力を牽制する目的もあったが。)
 そのため,特に藤原氏から疎まれ,道真謀反の噂を流されついに左遷の憂き目に遭った悲劇の文人である。
  道真はその後天満宮・天神社にまつられ,学問の神様として多くの日本人から天神様として信仰されている。実はこの天神信仰は,彼を追放した藤原氏の中心メンバーが道真の怨霊に悩まされたことから,その霊を鎮めるための措置の結果でもあったのである。藤原氏は道真に負い目を持っていたわけである。

  トップ画像は,吉田秋光による大宰府における恩賜の御衣を前にして歌を詠む道真,の絵画の一部。
 道真が左遷されて一年後,去年の今は「秋思詩」を詠み,天皇から御衣を賜ったな,と思っている図である。

 そのときの心境は次の七言絶句にのこされた。よく詩吟でうたわれている。(詩吟界では「九月十日」と称される)

  九月十日

去年今夜侍清涼   去年の今夜,清涼に侍し
秋思詩篇独断腸   秋思の詩篇,独り腸を断つ (“独り断腸”とも)
恩賜御衣今在此   恩賜の御衣,今ここに在り
捧持毎日拝余香   捧持して毎日,余香を拝す

 

そして,その一年前に作った詩が以下の七言律詩の作品。

 秋思詩

丞相廃年幾楽思   丞相年を廃して,幾度か楽思す
今宵触物自然悲   今宵,物に触れて自然に悲し
声寒絡緯風吹処   声は寒し,絡緯風吹くのところ
葉落梧桐雨打時   葉は落つ梧桐雨打つの時,
君富春秋臣漸老   君は春秋に富み臣漸く老ゆ
恩無涯岸報猶遅   恩は涯岸無く報ゆること猶遅し
不知此意何安慰   知らず此意何をか安慰せん
飲酒聴琴又詠詩   酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず

 


束帯天神像の一部【北野天満宮蔵】


日乘  『阿比留のブログ』

2007年02月25日 | 風流

 

平成19年2月25日(日)“冬”

 

 書店で知人(厳密には顔見知りくらい)の本があったので購入。書名は阿比留瑠比の『阿比留のぶろぐ』。なんでも100万アクセスある記者ブログなのだそうだ。今流行りのブログ本ということになるか!
 懐かしくなり即購入。政治の世界の勉強にもなるかと。
 私が出会ったころは,確か社会部に所属していたと思うが,今は政治部で首相官邸担当ということである。

 内容的には新聞では知りえない(書けない)ことを,記者個人の目から見て書いている,ここまで書くか~という感じ。
 確かに面白いので,アクセス数も伸びるのだろう。
 今後も健康に留意して健闘されることを祈りたい。


日乘 喜一忌・不器男忌・三十五忌

2007年02月24日 | 風流

 

平成19年2月24日(土)風寒く冬らしい日に

 

  2年前の今日は蔦谷喜一の忌日,行年91。
  最近の塗り絵ブームのためか,昭和レトロのゆえか,彼の塗り絵も復刻のような形で出版(小学館による)されている。

 

  手元の『2』のとびらには,喜一の言葉が載っている。それによれば,昭和2,30年代の女の子の夢は,可愛いお嫁さんになることだったとか。その女の子たちは,すると現在40~60代ということになる。実感的には40代後半から60代前半であろうか。
  いずれにせよ喜一の塗り絵は昭和を感じさせる。きっと“可愛いお嫁さん”にあこがれた世代がこの本を手にしたにちがいない。

  

  今日は他にも著名人が亡くなっている。

  長谷川等伯・内藤丈草芝不器男 ・久米邦武

  直木三十五・河口慧海神代辰巳・前畑秀子

  

  俳人の芝不器男は行年26。愛媛県出身ということもあり,俳句にしたしむ環境は整っていた。しかし,彼がその短い一生で作句にいそしんだのは大学に入ってから,本格的になったのは22歳。だからわずか4年程の創作期間であったわけだ。遺した句はおよそ370。彗星の如くに俳壇に登場し,そのまま逝き急いだ人生と句には,高純度な青春の叙情が込められている。
 ちなみに,ある国語教科書(小学校)
には,彼の次の句がのっている。

   卒業の兄と来てゐる堤かな

 


松山中学時代(現在の高校)の不器男

 あなたなる夜雨の葛のあなたかな
 下萌のいたく踏まれて御開帳


 

 

  直木三十五(行年43)は,直木賞に名前をのこした作家だが,現代ではその作品を気軽に読むことはできない。かなりまえ『南国太平記』が文庫で出版されたが,今では多分絶版だろう。古本屋でも見かけることはまずない。ある意味で貴重なので個人で収蔵されているのだろう(私もその一人)
 芥川賞の芥川龍之介は,今でも作品ともに有名であるのに対し,直木三十五は,筆名が年齢からとったことは有名な話であるが,文学好きでないとその風貌や作家活動を知らないだろう。
 ひとえに友人で文藝春秋社社長だった作家・菊池寛の二人への思いのゆえに賞になったというところである。


直木三十五


日乘 クロッカス開花

2007年02月24日 | 風流

 

平成19年2月24日(土)風寒く冬らしい日に

 

  クロッカスが花開き始めた。3種植えたのであるが,一番早く咲いた黄色のものは,ヒヨドリのデザートになってしまった。
   今回やっとクリームイエローのものが開き始めた。


日乘 白蓮忌

2007年02月22日 | 風流
 
 
平成19年2月22日(木)  俳人・富安風生忌

  

  昨日に続き3大閨秀歌人の二人目,柳原白蓮の忌日。昭和42年に行年81で亡くなっている。生前「筑紫の女王」と呼ばれ,原阿佐緒に負けないくらいの情熱の歌人で,現在でも高い人気を保っている方である。九条武子とは歌誌「心の花」を通じて交流があった。

  白蓮は本名が子(あきこ),大正天皇とは生母の柳原愛子(なるこ)を通じて従兄妹という名家に生まれた。1度目の結婚に破れ,2度目は九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁したが,経済的に「女王」だったが,精神的な安寧を得られずしばらくして,若き記者・宮崎龍介と恋に落ちることなり,ついには伊藤に対して妻の側から三行半を突きつけるにいたった。

  そのころの内面は次の歌に読み取れる。

 今はただまことに人を恋ひそめぬ
           
甲斐なく立ちし名の辛さより

 

 わが命惜しまるるほどの幸を
           初めて知らむ相許すとき

 

 

  

 


 

殊更に黒き花などかざしけるわが十六の涙の日記

わが魂は吾に背きて面見せず昨日も今日も寂しき日かな

おとなしく身をまかせつる幾年は親を恨みし反逆者ぞよ
           
われといふ小さきものを天地の中に生みける不可思議おもふ
           

 

 

 

 なお,今日は異説もあるが聖徳太子の忌日でもある。(暦がちがうのでなんとも)
 近年,聖徳太子の存在を疑問視する向きもあるが,その多くは「厩戸豊聡耳皇子」はいたが,「聖徳太子」とは呼ばれてはいなかったので,いなかったという,意地悪クイズみたいなものだ。
 もちろん中に存在自体を否定するかたがたも多くいる。別人を比定する方や,聖徳太子信仰にみられる事績をおこなった先人の集合体ではなどと議論は喧しい。

 かつて漫画家の山岸涼子の『日出処の天子』が聖徳太子像を大胆に解釈(超能力者として)して高い評価を得たが,そのような解釈ができるほどに史料が少ないことも現時点では事実である。
 山岸の太子像に対し,池田理代子の『聖徳太子』は,公的発表どおりで漫画としてはつまらなかった。本の装丁はハードカバーで立派だったが。

 


日乘  情熱・原阿佐緒忌

2007年02月21日 | 風流
 
平成19年2月21日(水)  トップ画像は雪柳
 

 今日も気になる方々の忌日だった。共通するのは“情熱”か?!

 

 古くは忠臣・和氣清麻呂,行年数えの67。当時としては長命! 戦前は紙幣の肖像として,すべての日本人が知っていた。皇居前の銅像も立派である。道鏡の皇位簒奪を阻止したことで有名である。【忠義への情熱】

 

 
  昭和36年には和製ジェームズ・ディーンと呼ばれた俳優の赤木圭一郎が,撮影所内でゴーカートを運転し,事故を起し 22で逝っている。 赤木をリアルタイムで記憶しているは団塊世代以上になるか? 【青春への情熱】
 
 
 

  昭和40年には米国の黒人解放運動指導者のマルコム・エックス が39で命を奪われている。【平等への情熱】

 

  
 昭和44年に情熱の歌人・原阿佐緒が80の天命をまっとうした。

 大正2年(1913年),「アララギ」に参加。処女作『涙痕』を出版(序文・与謝野晶子),九条武子,柳原白蓮とともに三閏秀歌人として,その美貌と才能をうたわれる。

 2度目の離婚後,大正10年(1921年)の東北大学教授・石原純との恋愛が新聞上でスキャンダルとなったことで,一躍有名になった。石原は我国にアインシュタインの理論を紹介したことで高名をはせていた。
 文献によれば,かなり年長で既婚者の石原が一方的に阿佐緒の存在を求めたのであって,阿佐緒に罪はない。
 阿佐緒が石原に求めたものは,精神的な愛であった。
 【真の愛への情熱】

 原阿佐緒
   

 

 家毎にすももはな咲くみちのくの春べをこもり病みてひさしも
 
沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきく生きのさやぎを
 夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも

 生地・宮城県大和町宮床に記念館がある。


 

  平成11年にはロケット博士・糸川英夫が86で多大な功績を遺し逝っている。【科学への情熱】

 

日乘 ウグイスカグラ

2007年02月21日 | 四季

 

平成19年2月21日(水)快晴 春かぁ~

  

  実のなる木の多くある学校なのだが,このウグイスカグラ(鶯神楽)には少し驚いた。まちがいなく移植したのだ。この木を植えた先人に感謝である。
 この木,山地に行けばありきたりなのだろうが,市街地では自生の様はなかなか見ることはできない。
 花はあかるい色だが小さく,幹が分かれて茂る関係で,よくみないとわからない可能性がある。
 今日は運が良かったというべきであろう。きっと去年よりは早く咲いたのであろう。

 ウグイスカグラの良いところは,初夏にできる赤い実である。これが甘くておいしいのである。子供たちはグミと思っているが,そのつややかで半透明の実をみれば違うものだとわかる。

 これから,たくさんの花が咲くだろうから,満開のころにもう一度画像に収めよう。

  

 

 


日乘 サクランボ・槐多忌・鳴雪忌・多喜二忌

2007年02月20日 | 四季

平成19年2月20日(火)午後ほんの少し久しぶりに冬

 

 サクランボの花芽がふくらんできた。やはり例年より早い!今年もたくさんの実を付けてくれることだろう。

 学校では昼休みに舞台発表があった。和太鼓・バトン・演劇の各クラブが演技を披露した。特に演劇部は学期ごとの公演(?)でその意欲に頭がさがった。子供達も生き生きと楽しんでいるのがわかった。将来,演劇の道に進む子がでるか?!

 

 


 

 

 

今日は次の3名の方々の忌日
 
 

村山槐多
  (詩人・洋画家) 大正8年(1919年)行年22

 

鳴雪忌(老梅忌)
 俳人・内藤鳴雪の大正15(1926年)年の忌日。行年78。別号の老梅居から「老梅忌」とも呼ばれる。
 子規よりもかなり年長であったが,弟子となる。

 

 

 

 

 

       

 


    内藤鳴雪

    
   初冬の竹緑なり詩仙堂
   雀子や走りなれたる鬼瓦
   朝立ちや馬のかしらの天の川
   矢車に朝風強き幟かな
   元日や一系の天子不二の山
   湯上りを暫く冬の扇かな
   夕月や納屋も厩も梅の影 

多喜二忌
 『蟹工船』で有名なプロレタリア作家・小林多喜二の忌日。行年29。昭和18年の今日,東京・赤坂で特高警察に捕らえられ,その日のうちに拷問によって虐殺された。かつてまさに熱病のように世界をおそったイデオロギーのある意味犠牲者でもある。
 革命家としての顔が先行しているせいか,彼に思い人がいたことはあまり流布していない。田口タキがその女性である。

 多喜二の小説『曖昧屋』のモデルにもなっているが,2人の思いはタキが身を引くことで成就することはなかった。彼女にはこれ以上多喜二に迷惑をかけられないという決意があったのである。一時はともに生活することもできたが,時代は2人を結びつけることはしなかったのである。

杉並区の自宅  
多喜二といえばやはりこの写真          田口タキ

 

 


日乘 雑草なれど 2 & 専太郎忌

2007年02月19日 | 四季

 

平成19年2月19日(月)雨水  快晴

 

 昨日の天気とうって変わり,快晴。気温も一気上昇。校庭のすみに,ホトケノザ,オオイヌノフグリ,ナズナの花を見つけた。

 

 

 

 今日は挿絵画家・岩田専太郎の命日,行年73。

 岩田は明治34年,浅草に生まれた。伯父が木版の刷士だったことから絵に興味を持ち,独学で絵を学んだ。
 大正9年に博文館発行の『講談雑誌』で挿絵画家としてデビューした。
 以後,雑誌や新聞を中心に,時代小説・現代小説・探偵小説などのジャンルで挿絵を描き続けた。吉川英治の新聞小説『鳴門秘帳』の挿絵が出世作となった。
 専太郎は浮世絵の伝統を基盤としつつも,時代の流行を的確にとらえ新しい印刷技術も利用して,画風を変化させていった。
 彼の華麗で独自な画風は「和製ビアズリー」「専太郎調」といわれた。今でも熱烈なファンが多い。

 

 岩田専太郎
専太郎と『岩田専太郎-挿絵画壇の鬼才-』河出書房新社刊

 

  自然のつくる素朴な美と人間が創る華麗な美!やや強引なオチか。


日乘 かの子忌

2007年02月18日 | 風流

 

平成19年2月18日(日)のち

 

  午前中は結構な雨。午後は止んで曇となった1日。

  そのような天候下で3万人以上のランナーの参加で東京マラソンが開催された。首都らしい大会となったが,大きな混乱もなく無事終わったようだ。
  日本人の秩序正しさ(だいぶ乱れてきてはいるが)を証明する大会でもあったと思う。
  

※追記 
 翌朝のニュースバラエティでこの点にふれていたコメンテーターがいたことは喜ばしいことである。確かNTVだったような。

 

  今日は歌人・小説家,岡本かの子の命日。行年49。岡本太郎の母のイメージが先行するが,本人も相当の有名人である。夫は漫画家(1コマ漫画)の岡本一平であるが,こちらは現在ではかなりマイナーな方で,知る人ぞ知るというところであろう。

  かの子の人生は波乱万丈といって差し支えないものであり,そのため息子の太郎は独身主義者になったとさえいわれている。

  かの子の第二歌集『愛のなやみ』(大正7年,29歳)の序文には次のようにある。

 〈 愛はなやみなり。進めば囚はれ易く,退けば之堪へず淋し。われこれを求むる情のかぎりもなくはげしきに,心あやにくくかよわくて,絶へずそのなやみに傷む。わがうちにひそみつつうつむき勝ちに綴れる『愛のなやみ』一巻をひもとけば,おのずからなるおんなのなげきをききたもうべし 

  関心あるむきは,瀬戸内春美(寂聴)の『かの子繚乱』を参照されたい。

 
左から〈一平・太郎・かの子・恒松安夫・新田亀三〉昭和5年,渡欧の船上にて