定期購読機関紙・発刊したばかりの号・Webで公開していらっしゃらないページなので
ご遠慮していましたが、リクエストもありお尋ねしたところ快くご許可いただきました。
ボリュームのある記事ですが〈u>週刊うたごえ新聞11月21・28日合併号より
掲載させていただきます。
(改行・文字等はできるだけ原文に準じますが、表記できないものは一部代用。
webの読みにくさのため段落前後に一部行間を設け、重複する見出しは省きます)
お会いしたときには既にこのブログを隅々までお読みくださっており、驚かせていただきました。
素晴らしい記事をお書きくださった「うたごえ新聞」石川道彦記者に、心より感謝申し上げます。
TOMOKO
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「核実験を止めた歌と歌を広める歌手」
カザフスタンのセミパラチンスク核実験停止を促した歌「ザマナイ(※キリル文字でZaman-ai)~時代よ!~」を歌い広めているTOMOKOさん。(写真)「福島と重なる」と言う、この歌のこと想いを聞いた。 石川道彦記者
カザフスタンの北東部セミパラチンスクでは、旧ソ連時代1949年から(91年停止)約450回もの核実験が行われた。1989年、市民の中から核実験反対運動が起こり、その中で人々はこの歌、「数え切れない爆発に ふるさと奪われた『ザマナイ~時代よ!~』」を歌い、運動を進めた。そして91年、ついに核実験場を閉鎖させた。この歌が今TOMOKOさんによって日本で広がりつつある。
留学生が運んだ「ザマナイ」
原曲(エスダレートフ詞/ムハメジャノフ曲)を日本に紹介したのは、幼い頃から聞いて育った留学生アケルケ・スルタノワさん(“ヒロシマ・セミパラチンスク・プロjジェクト”(ヒロセミ=広島のセミパラチンスク核被害者支援団体)で来日)。
カザフスタンと日本のヒバクシャの悲しみを共有するこの歌がさらに広く知られるのは09年、NHK番組「ノーモア・ヒバクシャ」でカザフスタンの国民的歌手ローザ・リムバエワさんの熱唱が放送されてから。
♪哀れなるわが大地 数え切れぬ爆発 閃光に 引き裂かれたわが心…。
障害を持つ子の出生、様々な健康被害等の哀しみを流麗な旋律で歌い上げ、さら被害の元凶への強い怒りに高まっていく。
(写真 都内の演奏ステージで ※TOMOKO注 写真提供:みどり様、撮影場所:ともしび新宿店様)
音楽で行動せよ
TOMOKOさんも番組で歌を聴いた一人。子どもの頃から毎年のように原水爆についての番組を観てきたが、このときは「頭を殴られたような衝撃。音楽を志す者は音楽で行動せよと言われた気がした」と言う。ヒロセミに連絡し、翌年広島の平和公園慰霊碑前“平和の灯火のつどい”で歌ったことなどから、ヒロセミによるCD(左 ※写真)制作に参加することとなった。
その頃、TOMOKOさんはヴォーカリストとして「生き直そうとしていた」時でもあった。「ある時『声が体から出たがっている』ように、歌が次々と口元から溢れ出た」と言う。「ソプラノから民族voiceまで操る」と評される歌唱力の発見だった。大手から声がかかるが、めざす音楽と相容れないため、独自の道を進む。そんな中で「ザマナイ」と出会った。
歌うほどに核兵器は消え
「みんなで歌うほどに核兵器は消えてゆく」と、今はこの歌の普及に力を入れる。「ザマナイ」を契機に原発と核兵器の関係やただ一度の事故も生活基盤を脅かすことを学んだTOMOKOさんは、自分も知らせ手になろう、CDだけでは足りないと演奏の場を探し始めた矢先に、東電福島原発事故が起こった。
「本当に悔しくて落込み、しばらくは動けなかった」が、「福島に重なる歌。被害者に辛い思いをされても、核実験を止めた歌だから」と歌い始めた。
“さようなら原発!9・19集会”にも参加し、そこでうたごえ合唱団と出会った縁で先月の東京のうたごえ合唱発表会にも参加している。「女声二部合唱譜もある『ザマナイ』を全国のうたごえで歌ってほしい」と呼びかけている。
※CD「ザマナイ…」、送料込み\1000 TEL/FAX 082・274・1634
http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan ヒロセミプロジェクト
(※ブログtop「ご案内」ご購入方法 にリンクあり)
※ジャケットはセミパラチンスク市のモニュメント母子像=川崎裕生画
ご遠慮していましたが、リクエストもありお尋ねしたところ快くご許可いただきました。
ボリュームのある記事ですが〈u>週刊うたごえ新聞11月21・28日合併号より
掲載させていただきます。
(改行・文字等はできるだけ原文に準じますが、表記できないものは一部代用。
webの読みにくさのため段落前後に一部行間を設け、重複する見出しは省きます)
お会いしたときには既にこのブログを隅々までお読みくださっており、驚かせていただきました。
素晴らしい記事をお書きくださった「うたごえ新聞」石川道彦記者に、心より感謝申し上げます。
TOMOKO
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「核実験を止めた歌と歌を広める歌手」
カザフスタンのセミパラチンスク核実験停止を促した歌「ザマナイ(※キリル文字でZaman-ai)~時代よ!~」を歌い広めているTOMOKOさん。(写真)「福島と重なる」と言う、この歌のこと想いを聞いた。 石川道彦記者
カザフスタンの北東部セミパラチンスクでは、旧ソ連時代1949年から(91年停止)約450回もの核実験が行われた。1989年、市民の中から核実験反対運動が起こり、その中で人々はこの歌、「数え切れない爆発に ふるさと奪われた『ザマナイ~時代よ!~』」を歌い、運動を進めた。そして91年、ついに核実験場を閉鎖させた。この歌が今TOMOKOさんによって日本で広がりつつある。
留学生が運んだ「ザマナイ」
原曲(エスダレートフ詞/ムハメジャノフ曲)を日本に紹介したのは、幼い頃から聞いて育った留学生アケルケ・スルタノワさん(“ヒロシマ・セミパラチンスク・プロjジェクト”(ヒロセミ=広島のセミパラチンスク核被害者支援団体)で来日)。
カザフスタンと日本のヒバクシャの悲しみを共有するこの歌がさらに広く知られるのは09年、NHK番組「ノーモア・ヒバクシャ」でカザフスタンの国民的歌手ローザ・リムバエワさんの熱唱が放送されてから。
♪哀れなるわが大地 数え切れぬ爆発 閃光に 引き裂かれたわが心…。
障害を持つ子の出生、様々な健康被害等の哀しみを流麗な旋律で歌い上げ、さら被害の元凶への強い怒りに高まっていく。
(写真 都内の演奏ステージで ※TOMOKO注 写真提供:みどり様、撮影場所:ともしび新宿店様)
音楽で行動せよ
TOMOKOさんも番組で歌を聴いた一人。子どもの頃から毎年のように原水爆についての番組を観てきたが、このときは「頭を殴られたような衝撃。音楽を志す者は音楽で行動せよと言われた気がした」と言う。ヒロセミに連絡し、翌年広島の平和公園慰霊碑前“平和の灯火のつどい”で歌ったことなどから、ヒロセミによるCD(左 ※写真)制作に参加することとなった。
その頃、TOMOKOさんはヴォーカリストとして「生き直そうとしていた」時でもあった。「ある時『声が体から出たがっている』ように、歌が次々と口元から溢れ出た」と言う。「ソプラノから民族voiceまで操る」と評される歌唱力の発見だった。大手から声がかかるが、めざす音楽と相容れないため、独自の道を進む。そんな中で「ザマナイ」と出会った。
歌うほどに核兵器は消え
「みんなで歌うほどに核兵器は消えてゆく」と、今はこの歌の普及に力を入れる。「ザマナイ」を契機に原発と核兵器の関係やただ一度の事故も生活基盤を脅かすことを学んだTOMOKOさんは、自分も知らせ手になろう、CDだけでは足りないと演奏の場を探し始めた矢先に、東電福島原発事故が起こった。
「本当に悔しくて落込み、しばらくは動けなかった」が、「福島に重なる歌。被害者に辛い思いをされても、核実験を止めた歌だから」と歌い始めた。
“さようなら原発!9・19集会”にも参加し、そこでうたごえ合唱団と出会った縁で先月の東京のうたごえ合唱発表会にも参加している。「女声二部合唱譜もある『ザマナイ』を全国のうたごえで歌ってほしい」と呼びかけている。
※CD「ザマナイ…」、送料込み\1000 TEL/FAX 082・274・1634
http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan ヒロセミプロジェクト
(※ブログtop「ご案内」ご購入方法 にリンクあり)
※ジャケットはセミパラチンスク市のモニュメント母子像=川崎裕生画