今朝、小さい水槽を見たらヒメダカが1匹死んで浮いていた。
餌のやり過ぎかも。
昨夜、朝の餌の量が少なかった気がして量を確かめずにヒメダカの水槽に餌をまいた。
暗かったのでどれだけ入ったのか分からない。容器を傾けずにふたを開けて蓋のネジの所にまとわりついている少量の餌を落としただけのつもりだったが、少し食べ残しみたいなものが浮いているので、思いのほか大量に入れてしまったのかもしれない。
死骸を掬い取ったがどうしたものだろうか。
今朝、小さい水槽を見たらヒメダカが1匹死んで浮いていた。
餌のやり過ぎかも。
昨夜、朝の餌の量が少なかった気がして量を確かめずにヒメダカの水槽に餌をまいた。
暗かったのでどれだけ入ったのか分からない。容器を傾けずにふたを開けて蓋のネジの所にまとわりついている少量の餌を落としただけのつもりだったが、少し食べ残しみたいなものが浮いているので、思いのほか大量に入れてしまったのかもしれない。
死骸を掬い取ったがどうしたものだろうか。
先日、手賀沼まで自転車で行った。初めて北岸のサイクリングロードを走ったが、南岸と比べて道幅が狭く路面が荒れていたが、土手の湖側、湖面のすぐ脇を走るので、自分のように飛ばさずゆっくり走る者にとっては趣があってよかった。
そのあと南に下って、農免農道という道に出くわした。地図で見ると金山落という小川沿いに走る道である。農免農道とはかつてソビエト連邦で赤い貴族と呼ばれた特権階級「ノーメンクラツーラ」とは全く関係なく、なんか農道として整備するので税金面で優遇措置を受けている道、という意味らしい。
実は千葉のサイクリストさんたちのブログで度々拝見していて、一度走ってみたいと思っていた道なのだ。なるほど、車の通行が少なくアップダウンもまた少なくて走りやすく、景色が気持のいい道である。
この道を道なりに南下していくと田んぼの脇に料亭みたいなお店が現れるのでビックリ。お値段は外の看板にでてなかったと思うがお店の構えからして結構高そう。誰がここまで食べにくるのだろうか?
さらに南に下ると16号線につきあたるので、渡ってファミリーマートの横の道をさらにさらに南下していく。フラットな道がほぼ真っ直ぐ航空自衛隊基地の横を464号線と交わるところまで南北に延びている。
この道の周りの光景がすごく不思議。道は古い感じなのだが、両側に立ち並ぶ家々はほとんどが綺麗な新築っぽい構えなのである。お店などはあまり無い。新しくできた隠れ里、みたいな感じなのだ。地図で見ると西白井駅が割りと近いので北総線開通に合わせて造成された宅地なのかもしれないが、自転車で走っているときは不思議な街だなぁ、とずっと思っていた。この道は木下街道を避けて利根川まで行くとき使えると思う。
464号線に出たところで一休みしていたら、後輪がスローパンクしているのに気がついた。
買ったときについてきたタイヤはよくパンクしたが、2年前くらいにサイクルベースアサヒで買ったタイヤにしてからはまったくパンクせず、これが初パンクだ。
慌てず騒がず、自転車をひっくり返してタイヤを外し、新品のチューブを取り出してチューブを交換した。それからトピーク製のロードモーフという携帯空気入れを取り出した。
これで家まで走れるだけ空気を入れればOK、なはずだったが、実はロードモーフを使うのは初めて。フレンチバルブに口金を固定するやり方がわからずどうしても空気を入れることが出来ない。それどころかなんとフレンチバルブを曲げてしまった!
ガックリ意気消沈である。なんという格好悪さ!パンクなんて楽勝で直せると自負していたのに・・・トホホなのだ・・・人に見られてないのがせめてもの幸いである。地図を見ると新鎌ヶ谷のイオンが近い。チューブを入れたまま自転車を押していく事にした。空気が全く入ってないので、押して歩くのも危険だが近いとはいえ、担いで歩いていく体力は無い。段差などを超えるときは持ち上げる事にしてトボトボ押して歩いていく。
途中の車屋さんで見てもらったがフレンチバルブに合う口金がないので断念。黙々と歩くうちにやがてユニクロの看板が現れPCデポを通り過ぎイオンに到着した。そこで空気入れを貸してもらい、とりあえず空気を入れてチューブを購入して帰った。
家に帰ってからネット上でロードモーフの使い方を検索して、スローパンクしたチューブで練習したのは言うまでもない。
フレンチバルブが曲がっているチューブは空気漏れする気配が無いので、とりあえずそのまま使っている。
次はアメリカンバルブのチューブにしようかとも考えた。米式だったら車と口金が一緒らしいので。まあ、ロードモーフの使い方を理解できたので良いけど。分かっているつもりで分かってなかった。イオンに近いところで助かった。
花びらがしわしわ。
本を捨てて部屋を掃除しないといけない。取捨選択していると捨てられないので、ゴソッと箱に放り込んで捨てるしかない。
ハードディスクが吹っ飛んだりして、写真やら何やら大事なデータも消えてなくなることがある。本もそのように捨てるつもり。
形あるものは全て滅びる、祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きアリ、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
形あるものは全て滅びる、のなら、人にとって大事なものとはなんなのだろう?
長淵剛の歌で「人間になりてぇ」という歌があった。
その歌詞に次のような一節があった。
月並みな、薄っぺらな安らぎなどに、どっぷりはまってたまるものか・・・
当時はこの歌を聴いて格好良さに快哉を叫んだものだが、勘違いしていた。
長渕は、月並みな安らぎにひたる一般人を馬鹿にしていたわけではない。
これは、月並みな薄っぺらな安らぎに飲み込まれそうになっている芸術家、長淵剛の闘争宣言なのである。Declaration なのである。
想像するに、無頼漢、暴れん坊、尖がった刃物のようなミュージシャン、というイメージで数々のヒット曲を作ってきた長渕が齢を重ねフト己を省みたら、セルフイメージとは違う自分がいた。いかんいかん、こんなのは俺じゃない、俺はもっともっと暴れ続けるんだ、という気持でこの歌をつくったのではないだろうか?
当時、自分にはそこまで読み込めなかった。ただ既存の権威だとか価値観に反抗する歌だと思っていた。
たしかこの「人間になりてぇ」の入っている「家族」というアルバムの次だと思うが、「ふざけんじゃねぇ」というアルバムに、長渕は「しあわせの小さな庭」という歌をおさめている。
自分の家族の事を素直に歌った、すごくいい歌なのだが、そこではもう「月並みな薄っぺらな幸せ」などと突っ張った事は言ってない。
歌い手は、花の東京でやっと手に入れた土地に適当におったてた家で隔離されており、引きちぎった電話線を首に巻きつけて「死にてぇ」なんて言ってみるが、その部屋の窓からは庭に咲く花々が見え歌い手の不安と恐怖を解き放ってくれる。
その庭に奥さんと子供たちと幸せの花が咲きますようにとお祈りしながらひまわりの種を播いた。5人家族の庭に背高ノッポの5本のひまわりが咲いてなぜか俺たちは黙って見上げていた。
やっと花咲かせたその5本のひまわりの花がやがてしおれ朽ち果てるとき子供たちは命の儚さに改めて気がつくだろう。
子供たちよ望むらくは真っ直ぐに伸びて苦しくても人より厳しい道を歩き続けてくれたら嬉しい。台所で料理している奥さんは気がつけば3人の母になっていた。
歌い手の老いた父親はその庭でニワトリを追いかけているが、奥さんの寝室に飾ってあるもう死んじまった奥さんの父親が何か語りかけてくる事はあるのかい。
今はただ、幸せの小さな庭で、天まで届け、ひまわりたち・・・
色々なことに折り合いをつけることができたのだろう。
幸せってなんだろうか、とぼんやり考えてうちに色んな事を思い出したものである。
アナカリスの白い花。
この2週間くらい次々と花が咲いている。
スネールキラースネールの姿が全く見当たらない。
小さな巻貝を潰すようになった。インターネットでスネールキラーに貝を食べさせるためには、餌にしたい貝を潰して体液を水中に放出する必要がある、と書いてあったのでやり始めたがなんら罪悪感なくブチブチ潰している。
今日は物凄く蒸し暑く、夜ついにたまらず、エアコンをドライ23度で動かした。
雨は降りそうで振らなかった。夜から朝にかけて降るかもしれない。
マッタリ水槽に小さな巻貝の1mmほどの稚貝を発見し、バーリトゥード水槽に移動させた。
そのあと、マッタリ水槽を見ていると、他にも稚貝をポツポツと発見した。全部バーリトゥード水槽に移動させたが、おそらくまだ沢山残っていると思われる。
だいたい駆逐したと思っていたのだが、先日の生き物導入の際に混入したのだろうか?
バーリトゥード水槽は藻が大幅に減少している。ヤマトヌマエビの効果なのだろうか
その代わり、マッタリ水槽で藻が増えている。それも水面近くのみ。深いところの水は澄んでいる。太陽光が届きにくいからなのか、藻を食べる生き物が水面まで上がってこないのか。
あとアカムシを今日入れてみていたら、1匹のヤマトヌマエビが食らいついていた。なんかあわてているのか興奮しているのか、ブキッチョな感じでかじりついていた。
冷蔵庫の中に入れているアカムシはさすがに元気がない。1匹カビたようになって死んでいた。早めに全部処理したい。ユスリカは血を吸わないらしいので、エビやヤゴが食べるのが間に合わなくても全部入れてしまおうかな、と考えている。