深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

象徴機能と身体-幻想的身体論 1

2023-03-15 17:01:40 | 一治療家の視点

2014年に「象徴体系を使った治療システム」という記事を4本にわたって書いた。その治療システム自体は今はもう使っていないが、特に「4」の中で述べた、象徴体系を治療(施術)の中に取り込む意味と意義は、私の中で少しも変わっていない。

そんな中、竹田青嗣の『新・哲学入門』を読んでいて、その中に興味深い論考を見つけた。ちなみに、この『新・哲学入門』はタイトルからも分かるように哲学書であって、治療関係の本ではない。竹田はこの本の目的について

哲学は、いまもう一度、普遍的な「世界説明」の創出の営みとして、普遍洞察の方法として再生されねばならない。(中略)この課題は、われわれの時代の人間と社会の可能性にとって必須のものである。これを本書のマニフェストとしたい。

と宣言している。そんな本がなぜ象徴体系だの治療だのと関係するのか?と訝(いぶか)しむ向きもあろうが、ご用とお急ぎでない方はおつき合いあれ。

『新・哲学入門』は全部で12の章(と終章)からなるが、ここで関係するのは主に第五章「幻想的身体論」と第六章「無意識と深層文法」なので、以下その2つの章を中心に考察する。

第六章の中で竹田はレヴィ=ストロースの例を引いて、次のように述べている。やや長いが、その箇所を引用する(なお、中に(中略)とあるのは、竹田自身によるもの)。

*クロード・ レヴィ=ストロースは、未開社会におけるシャーマン的呪術による心理治療を見聞したあと、以下のような興味深い記録を残している。

《治療は、したがって、はじめは感情的な言葉であたえられる状況を思考可能なものにし、肉体が耐えることを拒む苦痛を、精神にとって受けいれうるものとすることにある。シャーマンの神話が客観的現実に照応しないということは、大したことではない。患者はその神話を信じており、それを信ずる社会の一員である。守護霊と悪霊、超自然的怪物と魔術的動物は、原住民の宇宙観を基礎づける緊密な体系の一部をなしている。患者はそれらを受けいれる。(中略)細菌と病気との関係は、患者の精神の外にある。それは原因と結果の関係である。これに反して、患者と怪物との関係は、意識か無意識かを問わず、この同じ精神の内部にある。これは象徴と象徴されるものとの関係、あるいは言語学者の言葉を用いれば、意味するものと意味されるものとの関係である。シャーマンは、その患者にいい表されず、またほかにいい表しようのない諸状態が、それによって直ちに表されることのできるような言葉をあたえるのである》(『構造人類学』田島節夫ほか訳、p218)。

これを竹田はこう評価する。

レヴィ=ストロースの考察は以下のことをよく示唆する。すなわち、シャーマン医療の効果は、現代医学の合理性からは説明できない。しかい、患者、治療者、家族、部族の人間たちに共有されている「病」の原因についての共同的信憑が、治療の効果を支える重要な要因になっていることは十分に推測される。患者にも人々にも言い表せない病の原因が、シャーマンの言葉と振る舞いと施術によっていわば「象徴的に」「与えられ」、さらに除去されるように見える。
レヴィ=ストロースによれば、こうした事実を説明するのは未開人の共同信憑が形成する「象徴機能」の構造である。そして、この「象徴と象徴されるものの関係」は、深層心理学や他のさまざまな心理療法においても見出すことのできる本質的構造である。

ここでレヴィ=ストロースや竹田は、「象徴機能」=「象徴と象徴されるものの関係」が未開人社会におけるシャーマン的治療において有効だ、と述べているが、これはことさら「未開人」社会のみに有効なわけではない(そもそも「未開人」、「文明人」というが、その両者の間に何か本質的な違いなどあるのだろうか?)。その部分を除けば、病というものは現代医学的な機序に還元されるものではない、というこの2人の洞察は極めて深い意味を持つ。

以前、我々治療業界で サイモン・シンと エツァート ・エルンストの共著で、代替医療には科学的根拠がないゆえにまやかしである、ということを論じた『代替医療のトリック』(後に『代替医療解剖』と改題され文庫化)が話題になったことがあった。この本でシンらは
「真に科学的根拠を持つ(から病に対して効果的)と言えるのは西洋医学のみで、代替医療には(ハーブ療法などホンのごく一部を除いて)は何ら科学的根拠と言えるものが示されておらず、病に対して治療効果があるとは言えない」
と結論づけている。彼らの論理展開は非常に強固で、私も「Trick or Treatment ?」と題した一連の記事で彼らの主張に反論を試みたものの、全く正面突破できるようなものではなかった。

が、上に引用したレヴィ=ストロースと竹田の論考は、この『代替医療のトリック』への明確な反証になっている。実はシンらはこの本の中で、科学的根拠が(示されて)ないはずの代替医療の治療効果が、明確な科学的根拠に基づいているはずの西洋医学的な治療より高いことに疑問を呈し、その理由として
「代替医療の施術者が言う『治った』というのは、(「○○療法は効くんだ」と患者に思い込ませる、ある種の洗脳的な働きかけによる)プラセボ(プラシーボ)効果のため」
だと述べているが、そこには共同信憑が形成する「象徴機能」の構造という視点が完全に欠落していることが分かる。それを竹田は次のように表現する。

動物の身体を動きを見ると、われわれはそこに「心的なもの」の存在を、つまり、一般に、「意志」、「判断」、「感覚」、「感情」と呼ばれるものの存在を直観的に確信する。この「心的なもの」の存在を、事物存在との連関として形式的に表現するなら、それは、本質的に、事物的因果の連関を超え出たある「不可視なもの」、「空白」の領域として見出される。つまり事物連関の記述のうちに現れ出る、いわば「ブラックボックス」の領域である。
どれほど高度に設計された「思考する」コンピュータの働きも、物理的-事実的因果の厳密な系列として記述できる。一方、どれほど単純な組成からなる生き物も、それが動物である限り、その事物-事実的因果系列のうちに記述不可能な「空白」の領域をもつ。高度な科学は、それに連接するインプットとアウトプットの系列をどこまでも厳密に記述するが、ここに見出される「ブラックボックス」の内部については決して記述できない。
この記述不可能性は原理的なものだ。もし記述されるなら生き物から「自由」の領域が消失し、それは単なる機械仕掛けの存在とみなされるほかないからである。

そう、生物としての身体には科学(に基づいた西洋医学的な治療システム)では届かない「空白」の領域が存在するのだ。その「空白」を埋めるには、竹田やレヴィ=ストロースの言う「象徴機能」を用いる必要があり、そのためのツール(の1つ)が「象徴体系」なのである。

長くなったので「2」に続く。

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