ならおうは穏やかに語る

Fly Fishingを中心に難しい話からヨタ話まで支離滅裂な雑文。
(09/08/23カウンターを付けました。)

著作権とWinnyとYoutube

2006-12-16 22:06:18 | Weblog
堅い話。

Winnyの開発者が有罪となって罰金刑となった。これでWinnyが悪いんだという概念が広まったであろう。開発者は技術のなんたらかんたらと言ってるが、何となく違和感がある。
その違和感を整理してみよう。

・WinnyがP2Pであるが、File共有とP2Pとの関わりがよく分からない。
・Winny利用者の殆どがソフトの無料入手であり、著作権侵害実行確信犯。
・開発者はそれがソフトの無料取得を推進することを知っていた。

まず、file共有とP2Pが判らないのは知識不足だからどうしようもない。でも匿名性を持つ必要があるのかどうかが疑問。匿名性を利用するのは次の二つだろう。
・意見を述べる時に個人攻撃を避けるため。
・犯罪行為において個人の特定を避けるため。
この辺は材料技術者にはよく分からない話だ。
さて、P2Pはサーバーを経由しない通信というのはわかる。Internetが双方向通信であることから、基本的には(光だろうが電子だろうが)どこかの相手とオンラインで繋がっている。通信そのものを特定の共通方法(プロトコル)に則って行う普通のInternetと別に特別な方法で行えばどこかの相手と通信することは可能だ。
そのためにどちらもポートが開いているとか色々あるだろうが
この技術はサーバ負荷を軽減できる技術なので悪くないと思う。それぞれの端末が有機的に結びついて良い仕事をしそうだ。波及した一つにSkypeも含まれる。

だが、Winnyはソフトの無料入手を目的とした手段。

音楽ソフトで考えてみよう。
大昔ならカセットテープに落としていた。LPのまま再生すると傷、埃が付くので普段はテープで聞き、特別な時にLPのままで再生していた。テープも再生回数が増えると音がこもったモノだ。またダビングすると急激に音質が劣化したので孫が精一杯で配布はほぼ不可能だった。ま、録音時間と再生時間が同じなので10本ダビングするならカセットデッキ複数台を駆使するか、10回再生しながら録音するという根性モノだった。
アナログビデオもそうだ。ダビング屋というのもあったが、再生するほど画像は劣化したし、各種孫コピービデオも全部がモザイクか「ぼかし」がかかってた。

音楽に戻す。
CD、MDが出回ってもあまり状況は変わらなかった。コピーによる音質劣化は低下(ましになった)したが、デジタルコピーが出来なかった。
CD-R以降デジタルコピーが容易になった。しかし現物がないとどうしようもなかった。貸し借りしたりレンタルを使ったりしたが、交友関係の範囲内だった。

しかしWinnyは交友範囲に現物が無くても良くなった。検索で誰か篤志家がアップロードしたファイルを探し出せば良くなった。コンテンツが無料で入手出来る様になった。だが、篤志家のアップロードに恩恵に与っていると最後にはエライ目にあう。

音楽コンテンツが無料配布されるとどうなるか。
音楽作成のスタッフが食えなくなる。音楽だけではない、各種ソフトも。デジタル化できる情報は全て無料になってしまう。コンテンツを作っても資金を回収できなくなる。芸術家も技術者もコンテンツで食ってはいけないなんて事を言ったら駄目だ。音楽も個人的に芸をきわめるとか、女子に持てたいというのはあってもメジャーデビューで大金持ちになりたいって欲望には負ける。
作品を褒めるだけではなくカンパすることでその芸術家は(それがソフト作者であることも含む)生きながらえられる。
ま、音楽ソフトももっと軽量化したら人件費も食わないだろうから安くなるような(笑)気もするが・・・。結果的に誰も有償コンテンツをデジタル化しなくなる。そしてソフト産業が滅ぶ(プログラム産業だけではない)。

やはりWinnyは配布すべきプログラムではなかった。

さてもう一つのYoutubeだが、これはテレビ局が権利・著作権を主張しすぎだ。Youtubeで無ければ見逃した番組は見られない。Youtube等にアップロードされるのはPay Per ViewとVideo On Demandを早期導入し無かったツケだ。
YoutubeはWinnyと異なる。通常のinernet プロトコルで視聴できるので変に危ないこともない。

さて、ここで著作権について考えてみよう。
作品に対して対価を払うことが基本だ。料理と同じだ。例えまずくても、店構えだけが立派でも定められた料金を払わないと食い逃げだ。つまみ食いを許すか否かは権利者にある。だからソフトは有償である。広告付で無償になっても構わないが、そうなると広告主様の意向に縛られる。言うなれば給食みたいなものだ。選択の自由がない。
しかしテレビ番組のように、元々広告主様の意向が基本にあるのなら一旦放送した内容は再度広告付で無償公開すべきだろう。殆どの人間が勘違いしているがTVCMを見てもらうための番組である。テレビ局が嫌がるのはその番組を違う広告主が使うことだ。それを許すと元々の広告主の意向が失せる。まいうなれば面目丸つぶれって訳ですね。でもテレビ局が番組を勝手に再放送しているのも事実で、広告主は元の時間帯しか買っていないってのも事実。テレビ局も自分の都合の良いように言ってるわけだ。

Youtubeの様に番組を早々に無料公開すればWinnyに載せる必要もなくなる。
音楽もうまく利用できるはずだ。
ストリートミュージシャンは自分の音楽を聴いて欲しいだろう。それから先にもうけるかどうかはCDを作らなくても良い。CDを作るためにメジャーレーベルと契約する必要もない次はiTunesの様な場所で公開すればよい。ま、そういううまい話はないと思うが・・・。CDを作る必要性が無くなればメジャーレーベルは存在価値が無くなる。ここもテレビ局と同じく既存権益を守ろうとする奴らとの戦いがあるわけだ。

いずれにしてもこれから著作権を巡って面白くなりそうだ。

だがWinnyの様に著作権、特許権を侵害するものは駄目だ。誰も良い物を作ろうとしなくなる。もっともっとはびこるとハード作成意義も失せるだろう。














最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。